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文字数 4,336文字

「今思えば、いつも俺は困ったときはあいつに頼ってました……」
「というと?」
 良輔を促すように、マスターが優しい眼差しを向けてくる。
「たとえば恋愛とか。高校のときに、俺結構モテたんですよ。
 いわゆるモテ期ってやつが来て。急に身長が伸びたのと、あと高校に入学してすぐにあった体力テストで目立ったこともあったのかなあ。
 背筋力と垂直跳びが学年で一位になって。強豪で有名だったラグビー部でレギュラーも取れたし。
 とにかく、同じ高校と別の学校の女の子ふたりと同時に付き合っていたんです。いわゆる二股ってやつ」
 苦笑する良輔に、マスターが責めることなく頷いてみせる。

「可愛い女の子が二人いたら、選ぶのは難しいでしょうね」
「あと、舞い上がっていた、っていうのもあるんです。
 それまで全然モテてなかったから、思い切り味わってみたかったんですよね。
 恋愛の妙っていうか……このチャンスを逃してなるものかって。
 二股をしている罪悪感なんて全然なくって、むしろ誇らしいくらいで……」
 口にするだに、自分の人間性の残念さが浮き彫りになる。

 それでも、高校時代は自分の人生のピークだった気がする。
 十六歳の俺はラグビー部のレギュラーで、可愛い彼女が二人もいて、この世の春を謳歌していた。
 何も知らず、何もわからず、ただただ享楽的だった幼い自分。
「で、やっぱり二股がバレたんですよ。女の子は鋭いし、俺は恋愛沙汰に慣れていないしで。
 そのとき、俺は二人の剣幕に恐れをなして、逃げたんです。後始末をあいつに任せて」
 そうだ。あのときも、大樹は動揺して支離滅裂な言い訳をまくしたてる俺の話をじっと聞いてくれた。

 ――騒ぎになったら、レギュラーを下ろされるかもしれない。
 ――頼む! なんとか女の子たちを宥めてくれ!

 半泣きですがりついた俺に、あいつは笑顔で応えてくれた。

 ――しょうがねえなあ、俺が何とかするよ!

 大樹の頼もしい言葉に、パニックになっていた自分が一瞬で落ち着いたことを思い出した。
 ずっしりと重かった肩の荷が降りた。
 ひび割れた地面が元に戻ったように、世界は劇的に変わった。

「大樹は言葉どおり、たった一人で彼女のところへ話をつけにいってくれました。
 詳しくは聞きませんでしたが、必死で謝罪をして許してもらったと言っていました……」
 大樹の頬が少し赤く腫れていることに気づいたが、俺は何も言わなかった。
 きっと、俺の代わりに彼女に平手打ちされたのだろう。
 卑怯者だ、俺は。
 昔からずっと――。
 苦い思いを噛みしめる。そっとグラスにつがれた水を、良輔は一気に飲み干した。
 砂漠でオアシスに出会ったような、生き返った気分になる。
 気分がスッキリし、再びつらい記憶をたどる勇気をもらえた。

「今思えば、ラグビーのときもそうでした。
 俺が苦しいとき、いつもあいつがそばにいて助けてくれていた……。
 敵に追い詰められてどうしようもないとき、いつもあいつが絶好の位置に来てくれるんですよ。
 それで俺は苦し紛れのパスを出す。あいつは必ずキャッチして、そのボールをゴールラインに運んでくれた……」
「ラグビーですか……」
 マスターが首を傾げる。日本ではラグビーはマイナースポーツだから、競技のことを知らない人は多い。
 良輔はざっくりと説明することにした。

「ラグビーっていうのは、ボールを繋いで点を取る十五人制のスポーツで……基本的には敵陣に攻め込んで、相手方のゴールライン内にボールをタッチすると点が取れます」
 ゴールポスト内へのキックも得点になるが、今は省く。
「大樹のポジションはウィング。トライを決めるのが役割の花形のポジションで、足が速い奴が向いています。
 フォワードが必死で奪い取り、皆で繋いだボールを持って、敵陣を駆け抜ける役目です」

「ああ、テレビで見たことがあります。ボールを抱えながら敵を振り切って走る人ですね」
「ええ、そうです。俺のポジションはセンターで、そのウィングにボールを持っていくのが仕事。
 トライを決めるための突破口を開きます。もちろん、チャンスがあれば自分でもトライを決めます」
 説明しているうちに、いろいろ見えてきた。霧が晴れていくように、急に思い出がくっきりと形になってくる。

「あいつはいつも、俺を助けてくれていた……。俺がミスをしたときも、あいつがトライを決めてくれたから、俺はまるで自分の手柄みたいに思ってた……」
 気づきたくなくて、目をそむけてきた事実だ。
「俺はいつの間にか、あいつのことを都合よく使っていたのかもしれません……。あいつに甘えていた。困ったときはきっと、俺の尻拭いをしてくれる、って」
 良輔はうつむいた。
 いよいよ、最大の難所にさしかかる。
 自分を見下げ果てた問題に、もう一度向き合わねばならない。

「……大学は別々になりました。だから、高校までとは違って頻繁に会うことになくなりましたが、月に一回は会って話したり、遊んだりしてました。それは就職してからも、一緒でした」
 新しい友達ができても、一番ほっとして何でも話せるのは大樹だけだった。
 一番親しい友達の座は、大人になってもずっと変わらなかった。

「俺は大手のIT系の会社に、大樹はシステム管理の仕事に就きました。三年たった頃、大樹が俺の会社に転職してきたんです。
 ちょうど会社が好調で、業務拡張のために大量に中途採用していたタイミングで」
 そのときの自分の態度を苦々しく思い出した。
 三年目でいろいろ任され始めた自分と、新しく入ってきた大樹。
 おそらく無意識に先輩風を吹かしていたに違いない。
 でも、そのときの俺は大樹と同僚になれて純粋に嬉しかった。
 ふたりで大樹の再就職を祝って飲みに行った。

 ――乾杯!!

 しゅわしゅわと泡立つ金色のビール、大樹のこぼれんばかりの笑顔。
 同じ社内に大樹がいる――それはまるでホームのような安心感を良輔に与えていた。
 気の合う、信頼できる人間が社内にいるのだ。

「しかも、三年後には一緒のチームで働くことになりました。二十八歳のときですね。
 ちょうど大樹が結婚したのもその辺りでした……。
 先を越された、という焦りはまったくなかったですね。むしろ、大樹はモテないから、学生時代からの彼女を逃したら結婚できないだろう、なんて思っていました」
 上から目線とはこのことだ。二十代のときは、彼女を取っ替え引っ替えしていて余裕があった。
 大樹の妻が想像以上に美人だったのは驚いたものの、自分はもっと美人で若い妻をもらうだろう、と勝手に確信していた。
 今思えば、呆れるしかない脳天気さだった。

「転機は三十歳のときに訪れました。当時チームで扱っていたイベントに、アイコンとして芸能人を使っていたんです。
 で、大樹からその芸能人がシステム上の優遇措置を求めていると指示を仰がれ、あまり深く考えずに承諾しました。で、優遇がバレて、ネット上で炎上しました」
 寝耳に水のトラブルに、真っ青になったことを覚えている。
 ネットの拡散力は恐るべきもので、あっという間にネットニュースのトップを飾る始末だ。
 ユーザーは返金措置を求め、ここぞとばかりに騒ぎ立てた。
 この騒ぎを収めるためには、おそらく何億か支払うことになるだろう。
 大企業とはいえ、大変な損害だ。

 社内の仕事用チャットでも大騒ぎになり、電話もガンガンかかってくる。
「で、直属の上司に呼び出されました。優遇措置の承認したのはきみかと言われ――俺は自分が知らなかった、と言ってしまいました……」
 今でも覚えている。
 恐怖に絡め取られ、足が震えた。ただ息をするのが精一杯だった。
 多大な損失を会社に与えた――下手をすれば、職を失う。

 ――いえ、僕はこの件について、一切関知しておりませんでした。ですが、チームリーダーとして責任は取ります!

 そんな言葉がするっと自分の口から出てきた。

「では、誰が担当だったのかと聞かれ、俺は大樹の名前を挙げました……」
 咄嗟に保身に走ってしまった。
 大樹とのやり取りが、メールかチャットなど明らかな証拠が残るものだったら、踏みとどまったかもしれない。
 だが、口頭での確認のみだったため、魔が差してしまった。

 もし、大樹が俺に確認を取り、承認をもらったと言い張ったとしても、水掛け論で責任の所在はあやふやになる。
 直接優遇措置を取ったのは大樹だし、もちろん自分も監督不行き届きとして責任は問われるだろうが、一人で全部背負い込むよりは罪が軽くなるだろう。
 そんな計算を瞬時にしてしまった――。

「それで……大樹さんはどうしたんですか?」
「あいつはどうやら、全部ひっかぶってくれたようです。
 そして、一ヶ月後退職しました。辞職を勧められたのではなく、自己都合だと聞きました。俺は口頭でのお叱りで済みました……」
 会社に大きな損害を与え、居づらくなったのか、それとも親友の裏切りに心が折れたのか――とにかく、大樹は俺の目すら見なかったし、俺も業務のこと以外は何も言えなかった。
 自分の起こした事の重大さは、じわじわと良輔の心を侵食していった。

「俺は……あいつが住宅ローンの審査が通ったばかりだと知ってました。転職して五年たったし、そろそろマンションを購入すると楽しそうに計画していました」
 郊外だけど、ターミナル駅のタワマンなんだ、と嬉しそうだった。
「ひどいことをしたのに、どこかでホッとしている自分もいました。
 今思えば、あいつのことを羨んでいたんだと思います。俺より先に結婚して、マンションを購入しようとしているあいつに……」
 一つだけ、あいつに負けていると思ったのは家族運だ。優しい実家の両親や、可愛いきょうだいたちがいて、美人の妻もいる。
 俺は唯一の肉親だった祖母も看取り、親戚付き合いもなく、ひとりぼっち。
 結婚しようと思う相手もいない。

「じゃあ、会社を辞めてからは……?」
「それから六年、まったくの音信不通です」
 大樹を最後に見たのは、会社の廊下だ。
 退職の挨拶を一通り終えたあいつと廊下ですれ違った。
 ちらり、と一瞬だけ目が合った。
 大樹の表情は硬く、その目は夜闇よりも暗かった。そんな大樹を見るのは初めてで、良輔は凍りついた。
 言葉は何も出なかった。
 謝罪も、別れの言葉も何も。
 大樹は無言で目をそらせ、静かに歩き去った。
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