2-4
文字数 2,648文字
すべてを話し終え、良輔は羞恥に頭を抱えたくなった。
「俺は卑怯者です。友達を陥れた屑野郎です……」
「あなたは自分を守りたかっただけです」
マスターが静かに言った。
「もちろん、あなたがしたことは惨いし、卑劣な行為だ。でも、そんなに自分を責めすぎないでください」
「駄目ですよ、そんな優しい言葉を俺なんかにかけたら。俺はどこまでも図に乗ってしまうタイプなんです」
自分は高い高い波を乗りこなしているつもりのお調子者のサーファーのようなものだ。
気づいたら、ひっくり返って波に呑まれて溺れていた。
「俺は自分の窮地を救ったつもりだった。でも、結局、自分のしたことが許せなくて、自分が大嫌いになってしまいました……」
大量の飲酒、偏った食事、自堕落な生活――それらは一種の自分への罰だったのかもしれない。
「親友を陥れて、人生をめちゃくちゃにした。
なのに、謝る勇気がどうしても出ませんでした。必死で見て見ぬふりをして、生きてきました。
俺があいつにちゃんと向き合おうと思ったのは、こうして死んでから。
しかも、あいつに猫を託したいからという身勝手な理由だ」
――なんて最低な人間なんだろう。
誰がそう言わずとも、激しく自分が自分を責め立てている。
――ああ、ずっと俺は俺が嫌いだった。だから、自分を大事にしようなんて思わなかったし、その資格もないと思っていた。
その結果が、誰ともちゃんと関わらず、不摂生を繰り返す生活――。
そして体に限界が来た。
落ち着くべきところに落ち着いたわけだ。
俺はいったい何のために保身を図ったのか――こんなふうに早く死ぬんだったら、俺が会社をクビになったってよかったのに。
「あなたはずっと後悔している……そうですね?」
「ええ」
「ここはあなたのような人のためにある場所ですよ。たった一回ですが、思い残しにケリを付けるチャンスなんです」
マスターの目が慈愛にあふれていて、良輔は泣きそうになった。
こんなひどい話を聞いてもまだ、優しい言葉をかけてくれるのか。
「彼を――肥後大樹さんを呼びたいんですね?」
マスターの声が優しく染みる。
「ええ……」
思わず笑ってしまう。
俺は死んでしまった後まで、大樹に甘えようとしている。
「謝って、すうずうしいけど猫のことを頼みたい。でも、来てくれるかわからない……」
俺があいつだったら――ずっと仲が良かった友達に裏切られた立場だったら、どうするだろう。
撥ね付けるかもしれない。
でも、反省したのかもしれないと、一度だけチャンスを与えるのかもしれない。
――大樹!
不意にラグビーの試合が浮かんだ。タックルされて引き倒されながらも、必死であいつに投げたボールを――あいつは受け止めてくれた。
「他に呼びたい人がいなければ、ぜひ。あなたに残された最後の時間は、あと一時間半くらいしかありません」
「……」
そうだ、迷っている時間はない。
そもそも、俺はもう死んだのだ。
いいじゃないか。他に呼び出したい人なんていないのだし、無視されたって、罵倒されたって。めちゃめちゃ傷ついても、それがなんだ。
あいつはもっと苦しんだに違いないのだ――。
良輔はおもむろに立ち上がった。
「受話器を持って、呼び出したい人の名前を言うだけで繋がりますよ」
マスターの声に背を押されるようにして、ピンク色の公衆電話の受話器を握る。
「……肥後大樹」
そう呟いた瞬間、耳元で軽快な呼び出し音が鳴った。
トゥルルル、トゥルルル、という呼び出し音は、なんとなく鳩の鳴き声を彷彿させるな――と思ったときだった。
呼び出し音が途切れ、聞き慣れた声が耳に届いた。
「はい、もしもし」
「俺、良輔。久しぶり……」
「えっ……良輔!?」
声が震えている自分とは対照的な、大きなしっかりした声が返ってきた。
大樹だ――昔から変わらない大樹の声だ。
懐かしさが込み上げる。
「すまん、急に。実はおまえに話があって……すごく大事な話で、悪いんだけど今すぐ会いたいんだ」
「え……?」
そのとき、背後で女性の声がした。おそらく妻だろう。夫にかかってきた電話が気になったらしい。
心臓が急にドキドキする。
「いや、ちょっと待って……今電話中だから。うん、後で話すから」
妻に声をかけたらしい大樹が通話に戻ってきた。
「悪い。で、会うってどこで……?」
そうだ、ここの場所を俺は知らない――と思ったら、近くに来たマスターが、さっとメモを差し出してくれる。
「ええっと……。おまえの家を出て右に曲がったところにある、『Heavens』っていうカフェにいるから」
「え? おまえ、俺の家知ってるの?」
心底驚いた声がして、胸がひんやりとした。
向こうからしたら、六年も音信不通だった人間が引っ越し先を知っていたら不気味だろう。
「ごめん、時間がないんだ。詳しいことは会ってから話す」
また電話の向こうで女性の声がする。
「……ちょっと妻と相談してから決めるわ。それでいい?」
「ああ、もちろん。待ってる」
受話器を置くと、良輔は大きく息を吐いた。
ひどく緊張して喉がカラカラだが、やりきった満足感があった。
「どうですか? 来てくれそうですか?」
「……わかりません」
あの様子だと、妻がかなり怒っているのだろう。
そうだ。俺は大樹だけじゃなく、大樹の家族にも恨まれているのだ。
職を奪い、マイホームの夢を壊した。
そんな奴が、六年後ぬけぬけと電話をかけてきたとあれば、妻は反対するに違いない。
そもそも、大樹の妻は最初から、良輔にいい感情を持っていないようだった。
初対面が結婚式だったが、良輔にはまったく笑顔を見せなかった。
付き合っているときも結婚後も、ふたりの家に招かれたことはない。
大樹と会うときは、いつも外でだった。
漏れ聞く話によると、別に人見知りというわけではないようで、要するに俺が嫌われているのだろうと薄々察していた。
元から悪印象を持たれている上に、家庭に災厄をもたらした男がいまさら電話をかけてきた――妻としては絶対に夫を会わせたくないとなってもおかしくない。
結局俺は謝罪できないまま、一生を終えるのか。
卑怯者にふさわしい末路とはいえ、家に一人、いや一匹残されたミイコのことを思うと胸が痛んだ。
「俺は卑怯者です。友達を陥れた屑野郎です……」
「あなたは自分を守りたかっただけです」
マスターが静かに言った。
「もちろん、あなたがしたことは惨いし、卑劣な行為だ。でも、そんなに自分を責めすぎないでください」
「駄目ですよ、そんな優しい言葉を俺なんかにかけたら。俺はどこまでも図に乗ってしまうタイプなんです」
自分は高い高い波を乗りこなしているつもりのお調子者のサーファーのようなものだ。
気づいたら、ひっくり返って波に呑まれて溺れていた。
「俺は自分の窮地を救ったつもりだった。でも、結局、自分のしたことが許せなくて、自分が大嫌いになってしまいました……」
大量の飲酒、偏った食事、自堕落な生活――それらは一種の自分への罰だったのかもしれない。
「親友を陥れて、人生をめちゃくちゃにした。
なのに、謝る勇気がどうしても出ませんでした。必死で見て見ぬふりをして、生きてきました。
俺があいつにちゃんと向き合おうと思ったのは、こうして死んでから。
しかも、あいつに猫を託したいからという身勝手な理由だ」
――なんて最低な人間なんだろう。
誰がそう言わずとも、激しく自分が自分を責め立てている。
――ああ、ずっと俺は俺が嫌いだった。だから、自分を大事にしようなんて思わなかったし、その資格もないと思っていた。
その結果が、誰ともちゃんと関わらず、不摂生を繰り返す生活――。
そして体に限界が来た。
落ち着くべきところに落ち着いたわけだ。
俺はいったい何のために保身を図ったのか――こんなふうに早く死ぬんだったら、俺が会社をクビになったってよかったのに。
「あなたはずっと後悔している……そうですね?」
「ええ」
「ここはあなたのような人のためにある場所ですよ。たった一回ですが、思い残しにケリを付けるチャンスなんです」
マスターの目が慈愛にあふれていて、良輔は泣きそうになった。
こんなひどい話を聞いてもまだ、優しい言葉をかけてくれるのか。
「彼を――肥後大樹さんを呼びたいんですね?」
マスターの声が優しく染みる。
「ええ……」
思わず笑ってしまう。
俺は死んでしまった後まで、大樹に甘えようとしている。
「謝って、すうずうしいけど猫のことを頼みたい。でも、来てくれるかわからない……」
俺があいつだったら――ずっと仲が良かった友達に裏切られた立場だったら、どうするだろう。
撥ね付けるかもしれない。
でも、反省したのかもしれないと、一度だけチャンスを与えるのかもしれない。
――大樹!
不意にラグビーの試合が浮かんだ。タックルされて引き倒されながらも、必死であいつに投げたボールを――あいつは受け止めてくれた。
「他に呼びたい人がいなければ、ぜひ。あなたに残された最後の時間は、あと一時間半くらいしかありません」
「……」
そうだ、迷っている時間はない。
そもそも、俺はもう死んだのだ。
いいじゃないか。他に呼び出したい人なんていないのだし、無視されたって、罵倒されたって。めちゃめちゃ傷ついても、それがなんだ。
あいつはもっと苦しんだに違いないのだ――。
良輔はおもむろに立ち上がった。
「受話器を持って、呼び出したい人の名前を言うだけで繋がりますよ」
マスターの声に背を押されるようにして、ピンク色の公衆電話の受話器を握る。
「……肥後大樹」
そう呟いた瞬間、耳元で軽快な呼び出し音が鳴った。
トゥルルル、トゥルルル、という呼び出し音は、なんとなく鳩の鳴き声を彷彿させるな――と思ったときだった。
呼び出し音が途切れ、聞き慣れた声が耳に届いた。
「はい、もしもし」
「俺、良輔。久しぶり……」
「えっ……良輔!?」
声が震えている自分とは対照的な、大きなしっかりした声が返ってきた。
大樹だ――昔から変わらない大樹の声だ。
懐かしさが込み上げる。
「すまん、急に。実はおまえに話があって……すごく大事な話で、悪いんだけど今すぐ会いたいんだ」
「え……?」
そのとき、背後で女性の声がした。おそらく妻だろう。夫にかかってきた電話が気になったらしい。
心臓が急にドキドキする。
「いや、ちょっと待って……今電話中だから。うん、後で話すから」
妻に声をかけたらしい大樹が通話に戻ってきた。
「悪い。で、会うってどこで……?」
そうだ、ここの場所を俺は知らない――と思ったら、近くに来たマスターが、さっとメモを差し出してくれる。
「ええっと……。おまえの家を出て右に曲がったところにある、『Heavens』っていうカフェにいるから」
「え? おまえ、俺の家知ってるの?」
心底驚いた声がして、胸がひんやりとした。
向こうからしたら、六年も音信不通だった人間が引っ越し先を知っていたら不気味だろう。
「ごめん、時間がないんだ。詳しいことは会ってから話す」
また電話の向こうで女性の声がする。
「……ちょっと妻と相談してから決めるわ。それでいい?」
「ああ、もちろん。待ってる」
受話器を置くと、良輔は大きく息を吐いた。
ひどく緊張して喉がカラカラだが、やりきった満足感があった。
「どうですか? 来てくれそうですか?」
「……わかりません」
あの様子だと、妻がかなり怒っているのだろう。
そうだ。俺は大樹だけじゃなく、大樹の家族にも恨まれているのだ。
職を奪い、マイホームの夢を壊した。
そんな奴が、六年後ぬけぬけと電話をかけてきたとあれば、妻は反対するに違いない。
そもそも、大樹の妻は最初から、良輔にいい感情を持っていないようだった。
初対面が結婚式だったが、良輔にはまったく笑顔を見せなかった。
付き合っているときも結婚後も、ふたりの家に招かれたことはない。
大樹と会うときは、いつも外でだった。
漏れ聞く話によると、別に人見知りというわけではないようで、要するに俺が嫌われているのだろうと薄々察していた。
元から悪印象を持たれている上に、家庭に災厄をもたらした男がいまさら電話をかけてきた――妻としては絶対に夫を会わせたくないとなってもおかしくない。
結局俺は謝罪できないまま、一生を終えるのか。
卑怯者にふさわしい末路とはいえ、家に一人、いや一匹残されたミイコのことを思うと胸が痛んだ。