第二幕『さまことなりくにやかう』0

文字数 2,432文字



 酷く耳障りな音がする。それが自分の声だと気付くのに随分と時間がかかった。

 倒れている男に叫ぶように話しかける。男の首から流れ出る血を、右手で必死に止めようとするが、手に力が入らない。

 作戦の内容も、訓練してきた何百時間分の経験も、傍に放られている銃の撃ち方もすっぽり頭から抜け落ちていた。この場に至っては歩き方ですら忘れていたかもしれない。自分がこれほど不測の事態に対応出来ない人間とは思ってもいなかった。

 身体が警告を発している。通常の状態を維持できないと。人間として最低限の機能を維持できないと。

 脳はそれらの警告の一切を無視し、直感的に頭に浮かぶ行動をとり続ける。しかし、無視したからといって身体の発する警告が止む訳ではない。

 震えている。

 眩暈がする。

 寒い。身体が芯から冷たい。

 血が止まらない。

 痛い。痛い。痛い。

 眼の前が霞のような闇に覆われ始める。

 反抗する意思とは裏腹に、意識は徐々に遠のいて行き、やがて喪われる。

 男の心臓はもう止まっていた。

 左腕は動かない。



 跳ねるように瞼が上がる。

 身体中に鉛を詰められたような疲労感が纏わりつく。次いでシーツが汗でじっとりと濡れていることに気付く。

 陣平は鈍重な身体を起こし、溜め息をついた。水を飲もうと、よろよろと立ち上がりキッチンへ向かう。

 コップを持ち上げたとき、左腕に鋭い痛みが走る。関節部を鋭い刃物で何度も何度も刺され抉られるような痛み。

 落としたコップが取り返しのつかない音をたてて割れる。あまりの激痛に陣平は左腕を押さえ、その場に蹲うずくまった。

 陣平は連日続く悪夢が原因で、不眠症になっていた。その横顔は疲弊しきっている。

 左腕の痛みの原因になっているであろう過去の出来事が、精神と身体を蝕んでいく感覚がある。それが悪夢の正体なのは明らかだった。

 しかし、それを未だ担当医を含め、誰にも話せずにいる。何故か過去について話そうとすればするほど口が開かなくなる。なにか柔らかい塊が喉の奥に詰め込まれている感じがして、上手く声が出なくなる。

 心がそれを拒んでいるのか、身体がそれを拒んでいるのかはわからないが、左腕の痛みと眠れない日々、そして延々と続く悪夢だけが、いまある現実だった。

 何度死ねばいいんだろう。何回も何十回も何百回も、あいつは夢の中で死に続ける。

 陣平は蹲ったまま考える。

 壊れたテープみたいに、繰り返し同じ場面を夢に見る。わかっている。これは自分の背負うべき十字架だ。左腕の痛みは罪の証だ。そうだ。わかっている。死ぬべきはあいつじゃなかった。

 死ぬべきは、オレだった。

真古登(まこと)……」

 陣平は膝を抱えて唇だけを動かし、名前を呼ぶ。

 時計は午前二時を指している。真夜中は未だ都市の喧騒を拒絶し、静寂を与え続ける。

 眠れぬ夜を過ごすのはこれで何度目だろうか。

 痛みに耐えながら、ぼうっとそんなことを考えた。

 深い夜が、静かに、優しく寄り添ってくる。






 酷く耳障りな音がする。それが自分の声だと気付くのに随分と時間がかかった。

 倒れている男に叫ぶように話しかける。男の首から流れ出る血を、右手で必死に止めようとするが、手に力が入らない。

 作戦の内容も、訓練してきた何百時間分の経験も、傍に放られている銃の撃ち方もすっぽり頭から抜け落ちていた。この場に至っては歩き方ですら忘れていたかもしれない。自分がこれほど不測の事態に対応出来ない人間とは思ってもいなかった。

 身体が警告を発している。通常の状態を維持できないと。人間として最低限の機能を維持できないと。

 脳はそれらの警告の一切を無視し、直感的に頭に浮かぶ行動をとり続ける。しかし、無視したからといって身体の発する警告が止む訳ではない。

 震えている。

 眩暈がする。

 寒い。身体が芯から冷たい。

 血が止まらない。

 痛い。痛い。痛い。

 眼の前が霞のような闇に覆われ始める。

 反抗する意思とは裏腹に、意識は徐々に遠のいて行き、やがて喪われる。

 男の心臓はもう止まっていた。

 左腕は動かない。



 跳ねるように瞼が上がる。

 身体中に鉛を詰められたような疲労感が纏わりつく。次いでシーツが汗でじっとりと濡れていることに気付く。

 陣平は鈍重な身体を起こし、溜め息をついた。水を飲もうと、よろよろと立ち上がりキッチンへ向かう。

 コップを持ち上げたとき、左腕に鋭い痛みが走る。関節部を鋭い刃物で何度も何度も刺され抉られるような痛み。

 落としたコップが取り返しのつかない音をたてて割れる。あまりの激痛に陣平は左腕を押さえ、その場に蹲うずくまった。

 陣平は連日続く悪夢が原因で、不眠症になっていた。その横顔は疲弊しきっている。

 左腕の痛みの原因になっているであろう過去の出来事が、精神と身体を蝕んでいく感覚がある。それが悪夢の正体なのは明らかだった。

 しかし、それを未だ担当医を含め、誰にも話せずにいる。何故か過去について話そうとすればするほど口が開かなくなる。なにか柔らかい塊が喉の奥に詰め込まれている感じがして、上手く声が出なくなる。

 心がそれを拒んでいるのか、身体がそれを拒んでいるのかはわからないが、左腕の痛みと眠れない日々、そして延々と続く悪夢だけが、いまある現実だった。

 何度死ねばいいんだろう。何回も何十回も何百回も、あいつは夢の中で死に続ける。

 陣平は蹲ったまま考える。

 壊れたテープみたいに、繰り返し同じ場面を夢に見る。わかっている。これは自分の背負うべき十字架だ。左腕の痛みは罪の証だ。そうだ。わかっている。死ぬべきはあいつじゃなかった。

 死ぬべきは、オレだった。

「真古登……」

 陣平は膝を抱えて唇だけを動かし、名前を呼ぶ。

 時計は午前二時を指している。真夜中は未だ都市の喧騒を拒絶し、静寂を与え続ける。

 眠れぬ夜を過ごすのはこれで何度目だろうか。

 痛みに耐えながら、ぼうっとそんなことを考えた。

 深い夜が、静かに、優しく寄り添ってくる。





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