『受け囃子』

文字数 3,118文字



 不意に背中を軽く叩かれる。その衝撃で、陣平の意識は覚醒する。

 オレは眠っていたのか? 一瞬自分がどこにいるのか分からなくなった陣平は、ゆっくりと辺りを見回し始める。

 徐々に正常に働き始める思考が、周りの景色を無意識に拾い出す。そこは大きな交差点だった。横断禁止の赤信号が視界に入って来る。

「おい、どうした? 急に固まったと思ったら、今度はキョロキョロしだして」

 瞬間、視界が城築真古登の顔でいっぱいになる。

「ああ、悪い。ちょっと寝不足でな」

 飛び上がりそうなほど吃驚した陣平だったが、なんとか感情を表情に乗せずに答える。

「おいおい、まさか立ったまま寝てたのかよ? すげえ特技だな」

 真古登は大声で笑い始める。その声の大きさに、近くで信号待ちをしていた人々の視線が、一斉に真古登と陣平へ向けられる。

「おい、声がでけえよ。うるせえな」

 

真古登を小突いて彼を窘めたその瞬間、陣平は不思議な違和感に襲われる。

「お前、真古登か? 確か死んだ筈じゃ……」

 その言葉を訊いた真古登は、大仰に顔を顰める。

「はぁ? 寝ぼけてんのか? シャキッとしろよな。仕事の最中だぞ」

「仕事だって?」

「最近立て続けに起きてる連続殺人事件の聞き込みに行くんだろうが。お前本当に大丈夫か?」

 真古登がそう言ったとき、陣平の頭には、最近多発している連続殺人事件の概要が急に想起される。

 そうだ。オレたちはいま、現場に聞き込みに行く最中だったんだ。どれも人通りの多い場所で起きた事件だというのに目撃者が全くいない奇妙な殺人事件だ。陣平は頭の中で概要を整理する。何故忘れていたと言わんばかりに次々に情報が頭の中に流れ来んでくる。

「ああ、そうだったな。悪い。ちょっとボーッとしてたみたいだ」

「ちょっと弛んでるんじゃねえか? ほら、スマホもマナーモードにし忘れてるみたいだしよ」

 真古登は陣平の胸元を指差す。そのとき初めて陣平は、胸元でけたたましく鳴り響くスマホを認識する。

 陣平は慌ててスマホを取り出すと、着信画面を見ずに、通話ボタンを押す。

「あ、もしもし陣くん? 瑞稀だけど、今日大丈夫そう?」

 電話口の相手は瑞稀だった。彼女の声を訊いた途端、陣平は再び不思議な感覚に襲われる。

「瑞稀? お前本当に瑞稀なのか? 生きているのか?」

 陣平は無意識にそう口走っていた。

「そうだけど……どうしたの陣くん。大丈夫?」

 電話口からは、明らかにとまどいを感じている瑞稀の声が訊こえてきた。隣にいる真古登の怪訝な視線が感じられる。

 陣平は、既に瑞稀と約束した今夜の予定を思い出していた。それは数ヶ月前から約束していた食事の予定だった。

 なんで忘れていた? 陣平は難しい顔で黙り込む。

「もしもし陣くん?」

「ああ、大丈夫だ。今夜十九時だったな」

 我に帰った陣平は、忘れていたことを悟られないように冷静さを保ちながら応えた。

「そうそう。よかった。朝からずっと連絡が返ってこなかったから心配してたんだ」

「そうか。悪かったな。もう切るぞ。仕事中なんだ」

「え、ちょっと陣くん? 待っ……」

 陣平は瑞稀の返事を待たずに電話を切る。スマホをポケットに仕舞っていると、隣の真古登が、にやけ顔で覗き込んでくる。言いたいことが手に取るようにわかったが、陣平はあえて黙っていた。

「おいおい、仕事中に彼女と電話かぁ? こりゃ岩石管理官に報告して、こってり絞ってもらわなきゃな」

「……ただの幼馴染みだよ。まあ確かに仕事中の使用電話は悪かったよ。報告でもなんでもしてくれ」

「なんだなんだ、いつもの威勢はどうしたんだよ? そんなしおらしくされると、いじめ甲斐がねぇじゃねえか」

 真古登は不貞腐れた顔をして、溜まった鬱憤を晴らすかのように陣平の背中を何度も叩いた。

 陣平は眉間に皺を寄せ、うざったそうに真古登の手を振り払う。

 そうだ。これが現実だ。オレは憧れだった父さんと同じ警察官になり、刑事部に配属され、隣にいる真古登とバディを組んで、日々起こる事件を追っている。

 それがずっと、

。でも何故だろう、なにか欠けている気がする。まだなにか大切なことを忘れている気がする。

 陣平の心の中には、今まで感じたことのない、未だ拭きれない違和感があった。



 赤から青へ。青から赤へ。目紛しく信号が変わる。

 堰き止められていた水が流れるように、人波が交差点に向けて動き出す。

 陣平と真古登は彼等に倣って歩き出す。

 彼は西から、彼女は東から、あの人は南から、あの子は北から。

 俯瞰するとそれらは蠢く一つの塊に見えることだろう。しかし、近くで見るとそれぞれ独立した人間だということがわかる。人々は交差し、入り混じり、各々の目的地に向かい歩を進める。

 陣平は交差点の中央で足を止め、辺りを見渡す。そこには様々な営みがあった。

 仏頂面のサラリーマン。

 スマートフォンをしきりにいじる明るい髪色のOL。

 カフェの喫煙スペースでパイプを燻らす紳士。

 紫外線対策にと、日傘をさす小綺麗な淑女。

 はしゃいで転倒し、泣き出す子供。

 能面のような顔で機械的に歩き続ける大人。

 俯いたまま足早に歩く小太りな男。

 未来が視えると豪語する占い師。

 占い師の話に真剣に耳を傾ける痩せた女。

 腕を組み、幸せそうな笑顔を見せるカップル。

 道端に唾を吐く若者。

 雄叫びのようなくしゃみをする老人。

 真剣な眼差しで携帯ゲームに興じる小学生グループ。

 部活帰りの黒く焼けた中学生グループ。

 仲間と小突き合いながら大声で話す高校生グループ。

 誰かと肩がぶつかり、舌打ちをする大学生。

 険しい表情で電話をかけている男。

 大粒の涙を流しながら走り去る女。

 髪型以外は寸分違わぬほどそっくりな双子。

 善人。

 悪人。

 それ以外の何か。

 行き先も、出自も、性別も、背丈も、趣味嗜好も、過去も、未来も、時間の流れも、見えている世界も、様々なものが異なる彼等にも、唯一共通していることがある。

 それは、いまこの時、この場所で生きているということ。

 この、凡聖一如な悪鬼羅刹が闊歩する、愉快で不思議な世界都市、魔都東京で彼等は確かに生きている。

 陣平はそう感じる。

 誰かとすれ違った気がした陣平は、無意識に振り返った。

 その人は、両手に黒い革の手袋をはめ、白いワイシャツに、丈の短い黒のベストを身に纏い、袴の様な黒いトラウザーズを履いた、人形のように美しい女だった。

 青信号が点滅を始める。

 何故か陣平の身体は勝手に動き出し、その女の背中を追いかけていた。

 手を伸ばし肩を掴むと、女は驚いた顔で振り向いた。

 驚いた女の顔を見て我に返った陣平は、すみませんと言い、女の肩から手を離す。

 女の顔に見覚えはなかった。しかし陣平は何故か懐かしさを感じていた。

 そう感じたとき、陣平は、またあの不思議な感覚に襲われる。それは先程まで感じていた感覚に似ていたが、今回はその感覚が一際強く、まるで脳全体に電流を流したみたいだった。

 女は不審がる様子も、逃げ出す様子もなく、ただ黙って陣平を見つめていた。女の吸い込まれそうなほど大きな瞳には、陣平の姿がはっきりと写っていた。

 なんの前触れもなく女は微笑んだ。その顔はまるで、ずっと探していたものが見つかったと感じさせるような、そんな微笑だった。

 その顔を見たとき、陣平は唐突に思い出す。世界の在り方を。本当の意味で自分が誰なのかを。そして眼の前にいる女のことを。

 魔女のことを。

 陣平の口元にも自然に笑みが宿る。



 そして二人は同時に口を開く。





                                      終幕
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