第一幕『うつしよはかくもくさのゆかり』9

文字数 14,863文字



 芝浦ふ頭の暗闇を、パトカーの赤色灯が断続的に照らしだす。

 眼の前を制服警官が忙しなく行き交う。陣平は到着した救急車の後部座席で、怪我の治療を受けていた。

 鈴璃は倉庫出入り口のシャッター付近にしゃがみ込み、我関せずしたといった様子で、本日何本目かの煙草に火を点けた。警官がなにか質問をしてくるが、間に入った九郎が代わりに質問に答えている。公にできない内容から、なにかしらの納得のいく説明を行なっているようだが、警官の訝しんだ表情を見るに、あまり成果は芳しくないみたいだった。

 ふと視界の端にあるものを捉える。それは、警官に支えられパトカーに連行されていく藤柳の姿だった。先ほどまでの自信のある態度は見る影もなく、もう自分で身体を動かせないほど憔悴しているのが窺える。その姿はまるで魂を抜かれた人形のようで、瞳にはもう何の景色も写していなかった。

 訊いた所によると、鳴茶木真愛と名乗る女とは、ある夜に一度出会ったきりで、連絡先も知らないどころか、その容姿についても既に記憶は朧げで、結局彼女が何者なのかはわからず終いだった。藤柳のその供述に、鈴璃は一瞬苛立たしげな感情を覗かせた。

 藤柳がおとなしくなってから陣平は九郎に連絡を取った。

「直ぐ行く。そこを動かず待っていろ」の一言の後、しばらく経って現れたのは、パトカー三台に救急車一台という想像以上の大所帯だった。

「結局、鈴璃と組むことにしたのか……まあ、そのおかげで事件が解決できたみたいだがな」

 九郎は陣平の隣にどかっと腰を下ろす。衝撃で救急車のサスペンションが少し跳ねる。

「オレはなにもしていませんよ……」

 目線を合わさずに陣平は答える。

「わはは、そうか。まあ最初はそんなもんだ。しかし今回、お前は良くやったさ」

 本心からの言葉か、ただの慰めか、真意がつかめない。九郎のことだからおそらく前者のような気もするが、追求したところで自分が納得するとも思っていない。それに、今考えるべきことはそんなことではない。

「……管理官はどうして、この仕事をオレに引き継ごうと思ったんですか?」

 しばしの間があった。考え込む素振りを見せた九郎だったが、やがてゆっくり立ち上がると、陣平の肩を軽く叩いて歩き出す。ついて来いという意味らしい。

 赤色灯の届かない倉庫の外れ。暗闇の中に二人の男のシルエットが朧げに浮かぶ。

 九郎はスーツの内ポケットから煙草を取り出し、火を点ける。吸うか? と煙草の箱が差し出されるが、陣平は丁寧に遠慮した。

 九郎は深く煙草を吸い込むと、言葉を選びながらゆっくりと煙を吐き出す。

「今回、鈴璃と仕事をしてみてどうだった?」

 その言葉に脳内では、ここ何日かで起きた超常的な現象が次々と想起される。よくもまあ、あのような非現実的現実に耐えられたものだと、自分を褒めてあげたい気持ちになりながら陣平は口を開く。

「未だに現実とは思えませんよ」

「いずれ慣れるさ」

「管理官はいつ頃慣れたんですか?」

「全く慣れなかった」

「ははは……」

 乾いた声で陣平は笑う。

「正直、お前を後任にする予定はなかったし、選ぶ気もなかった」

 少々トーンの下がった九郎の声がそう告げる。

「は?」

 突然の告白に陣平は驚きの声を上げる。

「あの日同行させたのは、詳細な捜査状況を鈴璃に説明してもらうためだ。お前は事件の担当だったからな」

「本当に、オレを後任にする気はなかったってことですか?」

「当然だろう。お前は左腕の怪我もあるし、鈴璃のお守りはあれはあれで大変な仕事だ。事前に何も言わなかったのは余計な混乱を防ぐのと、情報の流出を防ぐためだ。もう分かったと思うが、魔女のことは誰にでも話していいことではないからな」

「そんな……じゃ、じゃあなんで、どうしてオレが?」

「鈴璃がお前を気に入ったからだ」

「気に入った? それだけですか?」

「あいつがお前に『面白い』って言っただろ? 鈴璃は滅多なことではあんなことは言わん。だから渋々だが俺も話を合わせた。俺だってまさか、お前みたいな狂犬が選ばれるなんて毛ほども思ってなかったよ。それに、あいつは一度決めたら梃子でも動かんからな。全く、あの我儘姫は……」

 九郎は大きくため息をつき目頭を揉む。その仕草は多感期の娘に手を焼かされっぱなしの父親のような哀愁を帯びていた。しかし言葉からは長年仕事を共にしてきた信頼感も感じられた。

「でも、あいつは最初、オレを遠ざけようとしてたみたいですが?」

「それは俺も訊いた。全く、あいつは結局なにがしたいんだかさっぱりわからん」

 陣平の質問に九郎はやれやれといった様子で答える。

「それにあいつ、俺が選出して紹介した相棒候補を散々いじめやがって」

 九郎は怒り心頭の様子で、歯ぎしりをする。口元は笑っていたが額には青筋が浮かび上がっていた。

 過去に鈴璃の魔術により酷い目に合わされた諸先輩方か。吐いたり逃げ出したり銃を向けたりしたとか。先輩方の気持ちはわからなくもないし、正直同情もする。あんな悪夢を見せられれば仕方ない、陣平は思った。

「やはり三年間ろくに会いにも行かず、ずっと一人で仕事させてたのがいけなったのか? 陣平どう思う?」

 九郎は髭の伸びた顎を親指で撫でながら尋ねる。

「……多分、それが原因だと思いますよ。管理官」

「ええっ、ホントかっ⁈」

 九郎は眼を丸くしている。想像だにしていなかった陣平の返答に、本気で驚いているようだった。

 先輩方への同情がさらに深まった。彼等は間違いなく鈴璃に八つ当たりされていた。そのうえ、怒り未だ消えずのようだ。しかしそのおかげで得心することが一つあった。鈴璃に初めて会った時の機嫌の悪さは恐らく、ほったらかされていたことが原因なのだろう。

「そうかー。悪いことしちまったなー。今度詫びでも持って行くか」

 九郎はその場にしゃがみ込み、頭を抱えてうんうん唸っている。その姿を見て陣平は脱力し、ため息をついた。

「よしっ」

 九郎は気持ちを切り替えるように膝を叩いて立ち上がると、陣平に向き直る。

「輪炭陣平警部補」

「は、はい」

 大きく快活な声に、陣平の背筋は電気が走ったが如く、まっすぐに伸びた。

「順番が逆になったが、改めて辞令を出す。輪炭陣平警部補。お前には家館鈴璃への捜査協力、及び、その監視の任を与える」

「監視、ですか?」

「得体の知れない力を使う以上、あまり気を許すなということだ」

 煙を吐き出すと、真剣な顔と眼差しで、吸い殻を安っぽい携帯灰皿に押し込んだ。

「そうは言っても、付き合い方はお前次第だがな」

 九郎の表情がふっと和らぐ。

「どういう意味ですか?」陣平は怪訝そうな顔をした。

「要するに俺は滅茶苦茶気を許してたってことだ。それこそ最初は、相当鬱陶しがられるほどにな。仕事は信頼関係がなによりも大事だからな。例え相手が人間じゃなくても。気を許すなと言ったのは、まあ、形式上仕方なくだ」

らしい考え方ですね。オレにはそんなことできそうもないです」

 九郎の器の大きさに圧倒され、苦笑する陣平を横目に、九郎は笑いながら二本目の煙草に火を点けた。



 警官の怪訝な視線が、間を置かず眼の前を通り過ぎていく。相変わらず居心地が悪い。それもこれも全て九郎のせいだ。鈴璃は苛つきを舌打ちに変えた。

 九郎はどんな事件だろうが、どんな状況だろうが「彼女はいいから」の一言と笑顔でゴリ押ししてきた。そんな方法では誰も納得などする筈もなく。毎回事件現場は漏れなく鈴璃に対する怪訝な視線で溢れかえる。九郎に何度注意しても、一向にやり方を改める気配はない。動物園の檻の中とはこのような気分なのだろうか。

「隣、いいか?」

 顔を上げるとそこには陣平の姿があった。九郎がその脇をすり抜け、警官たちに撤収の指示を出し始める。

「ようやく知っている顔が現れたな。あと五秒遅かったら、ストレスでここら一帯を吹き飛ばしていたぞ」

「物騒な物言いはやめてくれ」

 そう言いながら陣平は壁にもたれかかり、鈴璃の隣に腰を下ろす。

「お疲れだな」

「いろいろありすぎて、脳が容量不足でフリーズしているよ」

「そんな口がきけるなら大丈夫だな」

 鈴璃は言った。心配してくれたのだろうか。

 横目で鈴璃を見ると、左手首に見覚えのある刺青があった。それは藤柳の手首にあった刺青とよく似ているように見えた。

「家館さん。その手首の刺青って……」

「ああ、これか。魔女の力を喰うと、その証拠に刺青が移動するんだ。同じ場所にな」

 鈴璃は、陣平によく見えるように腕を上げる。間近で見て確信が持てた、それは藤柳の手首にあった刺青と同じものだった。

「とういうことは、その刺青は魔女を見分けるだけの物じゃなくて、力の象徴でもあるんだな」

 今までの情報を元に陣平はそう結論付ける。

「というか、魔女そのものだな。諱も刺青に付いている」

「そもそも諱ってなんだ?」

 藤柳泉と名乗ったあの魔女のことを、鈴璃はヒビハナヒと呼んだ。察するに、それが彼女の諱なのだろう。

「魔女の持つ真の名前のことさ。名前は存在の証明。逆にいえば名前がわからないということは存在していないのと同義だ。魔女は存在を認知されることを極端に忌避して身を隠し、実在が捉えられないように名を隠す。眼に見えているものが世界の全てと信じている人間にはピンとこない話かもしれないがな」

 確かにいまいちピンとこない。匿名性が神秘性を帯びるということだろうか。陣平は身近な事柄に置き換え、無理矢理納得することにした。

「ということは、家館さんにも真の名前があるってことか?」

「まあな」

 鈴璃はそう言いながら煙草を咥え、マッチを擦る。どうやら本当の名前を教える気はないようだ。諱とはとても大切なものらしい。それを知り合って日の浅い自分に教えるわけがないか。と納得した陣平は、それ以上なにも訊かなかった。

「それ、一本……貰ってもいいか?」

 陣平の発言に鈴璃は眼を見張る。ただでさえ大きい瞳が、より大きく見える。

「なんだ? 吸うのか坊や」

「いや、普段は吸わないんだが、なんだか急に吸いたくなって……なんでだ?」

 言った陣平本人も、不思議そうな顔をしていた。

「ふうん、そうか。ほら、好きなだけ吸え」

 膝の上にシガーケースとマッチが放られる。ちらりと見えた鈴璃の横顔は、何故か少し嬉しそうに見えた。

 シガーケースは印象的な蒼色だった。

 火を点け、ゆっくり煙を吸うと、苦味が舌の上に広がる。久しぶりの感覚に、思わず陣平は咳き込んだ。

 呼吸を整えた陣平は、立ち昇る煙を無意識に眼で追いながら、躊躇いがちに呟く。

「……あの七人は、幸せだったと思うか?」

 火種がちりちりと音を立てて静かに燃える。

「記憶を観た限りでは、死を迎えた日が、彼等の人生最良の日だった」鈴璃は表情を変えず答える。

「死が最良の日なんて、なんだか悲しいな」

「そうか? 誰にでも平等に、そして唐突に訪れる死を、自ら選択できたうえに、笑顔で最期を迎えられるなんて、幸福とまでは言わずとも、そう悲しいことだとも思わないな。まあ、正しいことだとも思わないが」

 鈴璃の言葉に、陣平はなにも言い返せないどころか、少なからず共感してしまった。確かに死は万人に訪れる。躊躇なく、慈悲なく、誰にでも(すべから)く。唐突に死は訪れる。

「皆、どんなことを言っていたんだ? その……遺品の記憶の中で」

 陣平は、瑞稀のことだけを訊こうとはしなかった。

「死にたい。死にたい。もう生きていたくなんてない。どうしてこんなことになってしまったんだろう。全部自分が悪いのか? 何で自分だけがこんな目に合わなきゃいけないんだ? 自分はなんて価値のない人間なのだろう。あいつが憎い。こいつが憎い。そいつが憎い。でも誰よりも自分が一番憎い。誰かに殺して欲しい。殺して。殺して。殺して……死にたい消えたい死にたい消えたい。ここ数ヶ月の記憶はそんな所だ。まだ訊くか?」

「いや……いい」

 言いようのない無力感が陣平を襲った。

 自殺を肯定する気は毛頭ない。でも人生が素晴らしいとも全く思わない。最期を自ら選択し、実行することは必ずしも不幸なことではない。生が絶対的な正しさとも思わない。

 でも、それでも……。

「それでも……やっぱり人が死ぬのは悲しいな」

 絞り出すように陣平は口にする。それは心の底からの本心だった。

「ふん。他人の生には無関心なのに、それが死となると誰彼構わず悲しむ。おかしな生き物だよ、人間というのは」

 九郎たちが撤収してゆく。一緒に来るかと言われたが、雨耶が預かった遺品を遺族に返還した後に迎えに来ると訊いていた陣平は、鈴璃と共にその場に残ることを選択した。藤柳の取り調べには、後ほど合流ということになった。

「しかしそれでいい。酷く脆い(くさ)(ゆかり)で繋がり、ほつれ、途切れ、そしてまた繋がっていく。お前たち人間は、それくらい愚かで、それくらいおかしなくらいが丁度いい。その方が、面白い」

 そう言いながら鈴璃は笑う。その声色は、嘲笑う態度ではなく、どこか慈しみがあるような、そんな態度が感じられる声色だった。

「七人の持ち物にはな、それはそれは膨大な時間の記憶が蓄積されていたぞ。坊やもその一端を観たからわかるだろう?」

「観たが、それがどうしたんだ?」

「わからないか? 確かに数多の辛い記憶はあったが、それ以上に幸せな記憶も数多くあった。彼等の人生は皆不幸と言われるかもしれない結末を迎えたが、必ずしもその全てが不幸ではなかったということだ」

 その言葉を訊いたとき、心が軽くなるような感覚と同時に、陣平はある一つの可能性に辿り着く。

「家舘さんって、藤柳の魔女の力を全部喰ったって言ってたよな?」

「言ったが、それがどうした?」

「てことは、死んだ七人の、瑞稀の魂は今、家舘さんの中に在るってことになるのか?」

「まあ、魂が実在するのであれば、そうかもしれないな」

 陣平の質問に、鈴璃は平坦な声で答える。

「そうか」

 陣平は安心した表情で言った。

「どうした? 急にニヤけだして。かなり気色悪いぞ」

「なんでもねえよ」

「ふむふむ。坊やは見かけによらず、なかなかロマンチックな発想をするのだな」

 手で口を覆い、震える声で鈴璃は言った。

「うるせえ」

 陣平は赤くなった顔で悪態を吐く。

 魂が実在するかどうかはわからない。でも、仮に実在するのであれば、藤柳の中よりも鈴璃の中の方がきっと彼等も、瑞稀も、少しは安らかに眠れるだろう。口には出さなかったが、陣平はそう思っていた。例えその思いが、ただ自分の心を軽くするためだけの自己満足でしかなかったとしても。

 もう一つ、陣平にはどうしても確かめておきたいことがあった。

 煙草を地面でもみ消すと、鈴璃の顔を真っ直ぐ見つめて問いかける。

「家舘さん。アンタは何故、こんな警察の手助けみたいなことをしているんだ?」

 遠くから車のヘッドライトが近づいて来る。しばしの沈黙の後、鈴璃は跳ぶように立ち上がった。

「強いて言うなら、面白いからかな」

「面白いってからって……。その人を煙に巻くような言い方やめろよな。そんなんじゃ、アンタのこと、なにもわからねえだろうが」

 つられて陣平も立ち上がる。魔女に感じた恐怖は嘘ではない。陣平にとって鈴璃はまだ得体が知れない存在だった。なにを行動原理にしているのかもわからない。

 鈴璃は悪人ではないだろう。しかし彼女は魔女だ。人間に仇なす存在ではないと証明された訳でもない。だからこそ鈴璃の口からなにか言葉が欲しかった。迷わないように。揺らがないように。

 陣平の迷いを見透かしたかのように鈴璃は眼を細め、せせら笑う。

「わからなくていい。理解する必要もない。敵も味方も自分で見極めろ。他人に判断を委ねるな。現実の存在を疑え。私の存在を疑え。自分の存在を、世界を疑え。善も悪も判断するのはお前自身だ。完全なものなんてこの世になに一つない。不完全ですら完全ではない。そんな世界にお前は生きている」

 捉え所のない鈴璃の言葉を訊いているとき、また陣平の頭の中で音がした。鈴璃の店で訊いた、なにかが壊れるような。

 あの音。

 卵が割れるような、紙が破けるような、ガラスが砕けるような、そのどれもに似ているが、そのどれとも違う、そんな音。

 そのとき、陣平はその音の正体を唐突に理解した。

 その音は、それまでの現実が壊れる音だった。理由はわからないが、何故だか、その確信だけがあった。

 雨耶が運転する車が、近くで音もなく停車する。ヘッドライトに眼が眩む。

 車に向け、歩き出そうとした鈴璃は、なにかを思い出した様子で一瞬動きを止めると、陣平に向けて右手を差し出す。

「なんだ?」

 呆気に取られた顔をした陣平を気にせず、鈴璃はそのまま真顔で話し始める。

「そういえば言い忘れていた。初めて魔女に対峙したにしては、気絶もせず発狂もせず、中々良い働きをしたな。やはり私の眼は間違っていなかったようだ。流石は私。これからよろしく頼むぞ、坊や」

「……こちらこそ。よろしく頼む」

 差し出された手の意味を理解した陣平は、渋々ながらも鈴璃の手を握った。彼女の手は氷のようにひんやりと冷たかったが、生物としての温もりは、しっかりと感じられた。

 陣平は改めて鈴璃をじっと見た。彼女は人の形をした人外。人ではない異形。人ではない。

 魔女。

 まつかひをんな 。

 まるで自分に言い訊かせるように、その事実を忘れてしまわないように、陣平は頭の中で何度も反芻する。

 視線に気付いた鈴璃は、ぱっと手を放すと、含みのある笑顔を受かべ、陣平に背を向けると、舞うように距離をとる。

 身体ごと陣平に向き直り、トラウザーズの裾を両の手でつまみ広げると、腰と膝を曲げて深々と頭を下げる。その格好は、所謂カーテシーと呼ばれる伝統的な挨拶だった。

 車のヘッドライトがスポットライトの役割を果たし、逆光に滲む鈴璃のシルエットは、

神々しく、優雅で、それはまるで演劇やミュージカルの開演のあいさつを彷彿とさせた。

「改めてようこそ。現実(こちら側)へ」

 とても小さな音を立てて崩れ去った陣平の現実は、また新たな現実によって瞬く間に再構築されてゆく。

 魔女も魔術も実在する、不可思議で、有り得ないことなんて、なに一つ有り得ないであろう世界へと。

「そんな現実、受け入れてたまるか」

 陣平は自らの心に固く、そう誓った。






 芝浦ふ頭の暗闇を、パトカーの赤色灯が断続的に照らしだす。

 眼の前を制服警官が忙しなく行き交う。陣平は到着した救急車の後部座席で、怪我の治療を受けていた。

 鈴璃は倉庫出入り口のシャッター付近にしゃがみ込み、我関せずしたといった様子で、本日何本目かの煙草に火を点けた。警官がなにか質問をしてくるが、間に入った九郎が代わりに質問に答えている。公にできない内容から、なにかしらの納得のいく説明を行なっているようだが、警官の訝しんだ表情を見るに、あまり成果は芳しくないみたいだった。

 ふと視界の端にあるものを捉える。それは、警官に支えられパトカーに連行されていく藤柳の姿だった。先ほどまでの自信のある態度は見る影もなく、もう自分で身体を動かせないほど憔悴しているのが窺える。その姿はまるで魂を抜かれた人形のようで、瞳にはもう何の景色も写していなかった。

 訊いた所によると、鳴茶木真愛と名乗る女とは、ある夜に一度出会ったきりで、連絡先も知らないどころか、その容姿についても既に記憶は朧げで、結局彼女が何者なのかはわからず終いだった。藤柳のその供述に、鈴璃は一瞬苛立たしげな感情を覗かせた。

 藤柳がおとなしくなってから陣平は九郎に連絡を取った。

「直ぐ行く。そこを動かず待っていろ」の一言の後、しばらく経って現れたのは、パトカー三台に救急車一台という想像以上の大所帯だった。

「結局、鈴璃と組むことにしたのか……まあ、そのおかげで事件が解決できたみたいだがな」

 九郎は陣平の隣にどかっと腰を下ろす。衝撃で救急車のサスペンションが少し跳ねる。

「オレはなにもしていませんよ……」

 目線を合わさずに陣平は答える。

「わはは、そうか。まあ最初はそんなもんだ。しかし今回、お前は良くやったさ」

 本心からの言葉か、ただの慰めか、真意がつかめない。九郎のことだからおそらく前者のような気もするが、追求したところで自分が納得するとも思っていない。それに、今考えるべきことはそんなことではない。

「……管理官はどうして、この仕事をオレに引き継ごうと思ったんですか?」

 しばしの間があった。考え込む素振りを見せた九郎だったが、やがてゆっくり立ち上がると、陣平の肩を軽く叩いて歩き出す。ついて来いという意味らしい。

 赤色灯の届かない倉庫の外れ。暗闇の中に二人の男のシルエットが朧げに浮かぶ。

 九郎はスーツの内ポケットから煙草を取り出し、火を点ける。吸うか? と煙草の箱が差し出されるが、陣平は丁寧に遠慮した。

 九郎は深く煙草を吸い込むと、言葉を選びながらゆっくりと煙を吐き出す。

「今回、鈴璃と仕事をしてみてどうだった?」

 その言葉に脳内では、ここ何日かで起きた超常的な現象が次々と想起される。よくもまあ、あのような非現実的現実に耐えられたものだと、自分を褒めてあげたい気持ちになりながら陣平は口を開く。

「未だに現実とは思えませんよ」

「いずれ慣れるさ」

「管理官はいつ頃慣れたんですか?」

「全く慣れなかった」

「ははは……」

 乾いた声で陣平は笑う。

「正直、お前を後任にする予定はなかったし、選ぶ気もなかった」

 少々トーンの下がった九郎の声がそう告げる。

「は?」

 突然の告白に陣平は驚きの声を上げる。

「あの日同行させたのは、詳細な捜査状況を鈴璃に説明してもらうためだ。お前は事件の担当だったからな」

「本当に、オレを後任にする気はなかったってことですか?」

「当然だろう。お前は左腕の怪我もあるし、鈴璃のお守りはあれはあれで大変な仕事だ。事前に何も言わなかったのは余計な混乱を防ぐのと、情報の流出を防ぐためだ。もう分かったと思うが、魔女のことは誰にでも話していいことではないからな」

「そんな……じゃ、じゃあなんで、どうしてオレが?」

「鈴璃がお前を気に入ったからだ」

「気に入った? それだけですか?」

「あいつがお前に『面白い』って言っただろ? 鈴璃は滅多なことではあんなことは言わん。だから渋々だが俺も話を合わせた。俺だってまさか、お前みたいな狂犬が選ばれるなんて毛ほども思ってなかったよ。それに、あいつは一度決めたら梃子でも動かんからな。全く、あの我儘姫は……」

 九郎は大きくため息をつき目頭を揉む。その仕草は多感期の娘に手を焼かされっぱなしの父親のような哀愁を帯びていた。しかし言葉からは長年仕事を共にしてきた信頼感も感じられた。

「でも、あいつは最初、オレを遠ざけようとしてたみたいですが?」

「それは俺も訊いた。全く、あいつは結局なにがしたいんだかさっぱりわからん」

 陣平の質問に九郎はやれやれといった様子で答える。

「それにあいつ、俺が選出して紹介した相棒候補を散々いじめやがって」

 九郎は怒り心頭の様子で、歯ぎしりをする。口元は笑っていたが額には青筋が浮かび上がっていた。

 過去に鈴璃の魔術により酷い目に合わされた諸先輩方か。吐いたり逃げ出したり銃を向けたりしたとか。先輩方の気持ちはわからなくもないし、正直同情もする。あんな悪夢を見せられれば仕方ない、陣平は思った。

「やはり三年間ろくに会いにも行かず、ずっと一人で仕事させてたのがいけなったのか? 陣平どう思う?」

 九郎は髭の伸びた顎を親指で撫でながら尋ねる。

「……多分、それが原因だと思いますよ。管理官」

「ええっ、ホントかっ⁈」

 九郎は眼を丸くしている。想像だにしていなかった陣平の返答に、本気で驚いているようだった。

 先輩方への同情がさらに深まった。彼等は間違いなく鈴璃に八つ当たりされていた。そのうえ、怒り未だ消えずのようだ。しかしそのおかげで得心することが一つあった。鈴璃に初めて会った時の機嫌の悪さは恐らく、ほったらかされていたことが原因なのだろう。

「そうかー。悪いことしちまったなー。今度詫びでも持って行くか」

 九郎はその場にしゃがみ込み、頭を抱えてうんうん唸っている。その姿を見て陣平は脱力し、ため息をついた。

「よしっ」

 九郎は気持ちを切り替えるように膝を叩いて立ち上がると、陣平に向き直る。

「輪炭陣平警部補」

「は、はい」

 大きく快活な声に、陣平の背筋は電気が走ったが如く、まっすぐに伸びた。

「順番が逆になったが、改めて辞令を出す。輪炭陣平警部補。お前には家館鈴璃への捜査協力、及び、その監視の任を与える」

「監視、ですか?」

「得体の知れない力を使う以上、あまり気を許すなということだ」

 煙を吐き出すと、真剣な顔と眼差しで、吸い殻を安っぽい携帯灰皿に押し込んだ。

「そうは言っても、付き合い方はお前次第だがな」

 九郎の表情がふっと和らぐ。

「どういう意味ですか?」陣平は怪訝そうな顔をした。

「要するに俺は滅茶苦茶気を許してたってことだ。それこそ最初は、相当鬱陶しがられるほどにな。仕事は信頼関係がなによりも大事だからな。例え相手が人間じゃなくても。気を許すなと言ったのは、まあ、形式上仕方なくだ」

「九・郎・お・じ・さ・ん・らしい考え方ですね。オレにはそんなことできそうもないです」

 九郎の器の大きさに圧倒され、苦笑する陣平を横目に、九郎は笑いながら二本目の煙草に火を点けた。



 警官の怪訝な視線が、間を置かず眼の前を通り過ぎていく。相変わらず居心地が悪い。それもこれも全て九郎のせいだ。鈴璃は苛つきを舌打ちに変えた。

 九郎はどんな事件だろうが、どんな状況だろうが「彼女はいいから」の一言と笑顔でゴリ押ししてきた。そんな方法では誰も納得などする筈もなく。毎回事件現場は漏れなく鈴璃に対する怪訝な視線で溢れかえる。九郎に何度注意しても、一向にやり方を改める気配はない。動物園の檻の中とはこのような気分なのだろうか。

「隣、いいか?」

 顔を上げるとそこには陣平の姿があった。九郎がその脇をすり抜け、警官たちに撤収の指示を出し始める。

「ようやく知っている顔が現れたな。あと五秒遅かったら、ストレスでここら一帯を吹き飛ばしていたぞ」

「物騒な物言いはやめてくれ」

 そう言いながら陣平は壁にもたれかかり、鈴璃の隣に腰を下ろす。

「お疲れだな」

「いろいろありすぎて、脳が容量不足でフリーズしているよ」

「そんな口がきけるなら大丈夫だな」

 鈴璃は言った。心配してくれたのだろうか。

 横目で鈴璃を見ると、左手首に見覚えのある刺青があった。それは藤柳の手首にあった刺青とよく似ているように見えた。

「家館さん。その手首の刺青って……」

「ああ、これか。魔女の力を喰うと、その証拠に刺青が移動するんだ。同じ場所にな」

 鈴璃は、陣平によく見えるように腕を上げる。間近で見て確信が持てた、それは藤柳の手首にあった刺青と同じものだった。

「とういうことは、その刺青は魔女を見分けるだけの物じゃなくて、力の象徴でもあるんだな」

 今までの情報を元に陣平はそう結論付ける。

「というか、魔女そのものだな。諱も刺青に付いている」

「そもそも諱ってなんだ?」

 藤柳泉と名乗ったあの魔女のことを、鈴璃はヒビハナヒと呼んだ。察するに、それが彼女の諱なのだろう。

「魔女の持つ真の名前のことさ。名前は存在の証明。逆にいえば名前がわからないということは存在していないのと同義だ。魔女は存在を認知されることを極端に忌避して身を隠し、実在が捉えられないように名を隠す。眼に見えているものが世界の全てと信じている人間にはピンとこない話かもしれないがな」

 確かにいまいちピンとこない。匿名性が神秘性を帯びるということだろうか。陣平は身近な事柄に置き換え、無理矢理納得することにした。

「ということは、家館さんにも真の名前があるってことか?」

「まあな」

 鈴璃はそう言いながら煙草を咥え、マッチを擦る。どうやら本当の名前を教える気はないようだ。諱とはとても大切なものらしい。それを知り合って日の浅い自分に教えるわけがないか。と納得した陣平は、それ以上なにも訊かなかった。

「それ、一本……貰ってもいいか?」

 陣平の発言に鈴璃は眼を見張る。ただでさえ大きい瞳が、より大きく見える。

「なんだ? 吸うのか坊や」

「いや、普段は吸わないんだが、なんだか急に吸いたくなって……なんでだ?」

 言った陣平本人も、不思議そうな顔をしていた。

「ふうん、そうか。ほら、好きなだけ吸え」

 膝の上にシガーケースとマッチが放られる。ちらりと見えた鈴璃の横顔は、何故か少し嬉しそうに見えた。

 シガーケースは印象的な蒼色だった。

 火を点け、ゆっくり煙を吸うと、苦味が舌の上に広がる。久しぶりの感覚に、思わず陣平は咳き込んだ。

 呼吸を整えた陣平は、立ち昇る煙を無意識に眼で追いながら、躊躇いがちに呟く。

「……あの七人は、幸せだったと思うか?」

 火種がちりちりと音を立てて静かに燃える。

「記憶を観た限りでは、死を迎えた日が、彼等の人生最良の日だった」鈴璃は表情を変えず答える。

「死が最良の日なんて、なんだか悲しいな」

「そうか? 誰にでも平等に、そして唐突に訪れる死を、自ら選択できたうえに、笑顔で最期を迎えられるなんて、幸福とまでは言わずとも、そう悲しいことだとも思わないな。まあ、正しいことだとも思わないが」

 鈴璃の言葉に、陣平はなにも言い返せないどころか、少なからず共感してしまった。確かに死は万人に訪れる。躊躇なく、慈悲なく、誰にでも須すべからく。唐突に死は訪れる。

「皆、どんなことを言っていたんだ? その……遺品の記憶の中で」

 陣平は、瑞稀のことだけを訊こうとはしなかった。

「死にたい。死にたい。もう生きていたくなんてない。どうしてこんなことになってしまったんだろう。全部自分が悪いのか? 何で自分だけがこんな目に合わなきゃいけないんだ? 自分はなんて価値のない人間なのだろう。あいつが憎い。こいつが憎い。そいつが憎い。でも誰よりも自分が一番憎い。誰かに殺して欲しい。殺して。殺して。殺して……死にたい消えたい死にたい消えたい。ここ数ヶ月の記憶はそんな所だ。まだ訊くか?」

「いや……いい」

 言いようのない無力感が陣平を襲った。

 自殺を肯定する気は毛頭ない。でも人生が素晴らしいとも全く思わない。最期を自ら選択し、実行することは必ずしも不幸なことではない。生が絶対的な正しさとも思わない。

 でも、それでも……。

「それでも……やっぱり人が死ぬのは悲しいな」

 絞り出すように陣平は口にする。それは心の底からの本心だった。

「ふん。他人の生には無関心なのに、それが死となると誰彼構わず悲しむ。おかしな生き物だよ、人間というのは」

 九郎たちが撤収してゆく。一緒に来るかと言われたが、雨耶が預かった遺品を遺族に返還した後に迎えに来ると訊いていた陣平は、鈴璃と共にその場に残ることを選択した。藤柳の取り調べには、後ほど合流ということになった。

「しかしそれでいい。酷く脆い草くさの縁ゆかりで繋がり、ほつれ、途切れ、そしてまた繋がっていく。お前たち人間は、それくらい愚かで、それくらいおかしなくらいが丁度いい。その方が、面白い」

 そう言いながら鈴璃は笑う。その声色は、嘲笑う態度ではなく、どこか慈しみがあるような、そんな態度が感じられる声色だった。

「七人の持ち物にはな、それはそれは膨大な時間の記憶が蓄積されていたぞ。坊やもその一端を観たからわかるだろう?」

「観たが、それがどうしたんだ?」

「わからないか? 確かに数多の辛い記憶はあったが、それ以上に幸せな記憶も数多くあった。彼等の人生は皆不幸と言われるかもしれない結末を迎えたが、必ずしもその全てが不幸ではなかったということだ」

 その言葉を訊いたとき、心が軽くなるような感覚と同時に、陣平はある一つの可能性に辿り着く。

「家舘さんって、藤柳の魔女の力を全部喰ったって言ってたよな?」

「言ったが、それがどうした?」

「てことは、死んだ七人の、瑞稀の魂は今、家舘さんの中に在るってことになるのか?」

「まあ、魂が実在するのであれば、そうかもしれないな」

 陣平の質問に、鈴璃は平坦な声で答える。

「そうか」

 陣平は安心した表情で言った。

「どうした? 急にニヤけだして。かなり気色悪いぞ」

「なんでもねえよ」

「ふむふむ。坊やは見かけによらず、なかなかロマンチックな発想をするのだな」

 手で口を覆い、震える声で鈴璃は言った。

「うるせえ」

 陣平は赤くなった顔で悪態を吐く。

 魂が実在するかどうかはわからない。でも、仮に実在するのであれば、藤柳の中よりも鈴璃の中の方がきっと彼等も、瑞稀も、少しは安らかに眠れるだろう。口には出さなかったが、陣平はそう思っていた。例えその思いが、ただ自分の心を軽くするためだけの自己満足でしかなかったとしても。

 もう一つ、陣平にはどうしても確かめておきたいことがあった。

 煙草を地面でもみ消すと、鈴璃の顔を真っ直ぐ見つめて問いかける。

「家舘さん。アンタは何故、こんな警察の手助けみたいなことをしているんだ?」

 遠くから車のヘッドライトが近づいて来る。しばしの沈黙の後、鈴璃は跳ぶように立ち上がった。

「強いて言うなら、面白いからかな」

「面白いってからって……。その人を煙に巻くような言い方やめろよな。そんなんじゃ、アンタのこと、なにもわからねえだろうが」

 つられて陣平も立ち上がる。魔女に感じた恐怖は嘘ではない。陣平にとって鈴璃はまだ得体が知れない存在だった。なにを行動原理にしているのかもわからない。

 鈴璃は悪人ではないだろう。しかし彼女は魔女だ。人間に仇なす存在ではないと証明された訳でもない。だからこそ鈴璃の口からなにか言葉が欲しかった。迷わないように。揺らがないように。

 陣平の迷いを見透かしたかのように鈴璃は眼を細め、せせら笑う。

「わからなくていい。理解する必要もない。敵も味方も自分で見極めろ。他人に判断を委ねるな。現実の存在を疑え。私の存在を疑え。自分の存在を、世界を疑え。善も悪も判断するのはお前自身だ。完全なものなんてこの世になに一つない。不完全ですら完全ではない。そんな世界にお前は生きている」

 捉え所のない鈴璃の言葉を訊いているとき、また陣平の頭の中で音がした。鈴璃の店で訊いた、なにかが壊れるような。

 あの音。

 卵が割れるような、紙が破けるような、ガラスが砕けるような、そのどれもに似ているが、そのどれとも違う、そんな音。

 そのとき、陣平はその音の正体を唐突に理解した。

 その音は、それまでの現実が壊れる音だった。理由はわからないが、何故だか、その確信だけがあった。

 雨耶が運転する車が、近くで音もなく停車する。ヘッドライトに眼が眩む。

 車に向け、歩き出そうとした鈴璃は、なにかを思い出した様子で一瞬動きを止めると、陣平に向けて右手を差し出す。

「なんだ?」

 呆気に取られた顔をした陣平を気にせず、鈴璃はそのまま真顔で話し始める。

「そういえば言い忘れていた。初めて魔女に対峙したにしては、気絶もせず発狂もせず、中々良い働きをしたな。やはり私の眼は間違っていなかったようだ。流石は私。これからよろしく頼むぞ、坊や」

「……こちらこそ。よろしく頼む」

 差し出された手の意味を理解した陣平は、渋々ながらも鈴璃の手を握った。彼女の手は氷のようにひんやりと冷たかったが、生物としての温もりは、しっかりと感じられた。

 陣平は改めて鈴璃をじっと見た。彼女は人の形をした人外。人ではない異形。人ではない。

 魔女。

 まつかひをんな 。

 まるで自分に言い訊かせるように、その事実を忘れてしまわないように、陣平は頭の中で何度も反芻する。

 視線に気付いた鈴璃は、ぱっと手を放すと、含みのある笑顔を受かべ、陣平に背を向けると、舞うように距離をとる。

 身体ごと陣平に向き直り、トラウザーズの裾を両の手でつまみ広げると、腰と膝を曲げて深々と頭を下げる。その格好は、所謂カーテシーと呼ばれる伝統的な挨拶だった。

 車のヘッドライトがスポットライトの役割を果たし、逆光に滲む鈴璃のシルエットは、

神々しく、優雅で、それはまるで演劇やミュージカルの開演のあいさつを彷彿とさせた。

「改めてようこそ。現実 とても小さな音を立てて崩れ去った陣平の現実は、また新たな現実によって瞬く間に再構築されてゆく。

 魔女も魔術も実在する、不可思議で、有り得ないことなんて、なに一つ有り得ないであろう世界へと。

「そんな現実、受け入れてたまるか」

 陣平は自らの心に固く、そう誓った。



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