第二幕『さまことなりくにやかう』4

文字数 5,076文字

 

 駅のホームに降り立つと、不愉快な熱気が身体に纏わりつく。電車内の冷房との寒暖差に体力が奪われる。陣平は絶え間無く吹き出す汗を乱暴に拭う。

 蝉時雨が五月蝿く、湿ったアームホルダーに覆われた左腕が不快だった。

 話すなら早い方が良いと判断した陣平は、監察医務院を出た後、真っ直ぐに鈴璃の店に向かった。時計の針は十一時半を過ぎた所だった。

 九郎の後任になってから、もう四ヶ月が経とうとしていた。時間の経過の早さに陣平は戦慄する。その間に陣平はなにか不可解な事件が起きるたび鈴璃の店に足を運んでいた。

 陣平は土産にと、店に向かう途中のアーケード商店街で、煙草のカートンを買った。

 もはや慣れ親しんだ道を早足で進むと、商店街では老人から子供まで、多くの人が買い物を楽しんでいる。陣平は歩調を緩めると、商店街を眺めながらゆっくりと歩いた。

 あの日から取り残されたように感じる日常。その中の一員であることを忘れない為に。

 店に着いた時、店先には直前まで接客をしていたのか、雨耶が立っていた。

「おや、いらっしゃいませ。輪炭様」

 陣平に気付いた雨耶は、深々と頭を下げる。

「急に押しかけて悪いな。いま、家館さんはいるか?」

「はい。事務所の方に」

 雨耶は無表情で淡々と答える。

「ちょっと用があるんだが、邪魔させてもらってもいいか?」

 どうぞ。と雨耶は脇へ避け道をあける。陣平は礼を言って事務所に向かう。

「あ、お待ちください」

 何かを思い出した様子の雨耶に呼び止められる。陣平が振り向くと、雨耶は店の奥へ向け、指先だけで手招をする。ややあって現れたのはもう一人の店員だった。並んで立つ二人の顔は、相変わらずそっくりだった。

「ご挨拶が遅くなってすいません。(わたくし)霧耶(むや)と申します。どうぞよろしくお願いします」

 霧耶と名乗ったグレイアッシュのショートヘアの女性は、ハキハキとした口調で自己紹介をする。

「ああ。こちらこそ」と陣平は軽く会釈して応える。

 改めて二人を見比べると、雨耶はややたれ目気味で、霧耶はつり目気味だという些細な違いに気付いた。

「あ、そうだ。アレ、お見せますね」霧耶は言う。

 アレ? 陣平がその言葉の意味を考える間もなく、霧耶はワイシャツのボタンを外し、胸元の肌を露出する。

 刺青のことか。陣平はすぐに理解する。正直見せる必要はないのだが、と思ったが、口には出さなかった。そもそも止める暇すらなかった。

「これが私の魔女の証、下弦の月です」

 霧耶の左鎖骨付近には、雨耶のそれとよく似た模様の刺青があった。

「確認した。わざわざ気を遣わせちまって悪いな」

 陣平は刺青を一瞥すると、一応礼を言う。

「事務所にご案内します。どうぞこちらへ」

 霧耶は微笑むと、ボタンを留めながら陣平を先導する。雨耶に比べると霧耶は、随分と表情豊かでフランクな印象を受けた。

「主人さま。輪炭さまがいらっしゃいました」

 扉をノックするが返事はない。「失礼します」一拍ほどおいて霧耶は扉を開ける。返事がないのはいつものことらしい。扉を開けた霧耶の横をすり抜けて陣平は室内に入る。

「ごゆっくりどうぞ」

 霧耶は一礼し、ゆっくりと扉を閉める。扉が閉まる静かな音が後に続く。

 事務所は明るかった。天井にぶら下がっている幾つもの照明が、音を立てず定位置に収まっている。何度見ても、壁一面の抽斗には圧倒される。

「家館さん。輪炭だが?」

 呼びかけるが返事はない。それどころか物音ひとつしなかった。

 不自然に静まりかえる事務所に、不穏な空気を感じながらも。陣平は扉の前から室内へと足を進める。

 事務所奥にある机に眼を向けると、そこに鈴璃の姿を確認できた。

 彼女は革張りの椅子に深く身を沈めて眼を閉じていた。どうやら眠っているようだ。

 不穏な空気は只の思い過ごしだったみたいだ。陣平は安堵で肩の力が抜けていくのを感じる。

 耳を澄ますと寝息が微かに訊こえてくる。机の上には完成済のビーズアクセサリー数点と、その材料であろう、小さなビーズと極細のワイヤーが無造作に置かれていた。起こしてしまうのは悪いと考えた陣平は、暫くその場に佇み、鈴璃の顔を眺める。

 小さい顔に長い睫毛、きめの細か過ぎる肌。改めて見るとぞっとする。見れば見るほど実在が疑わしくなるほど人を惹きつける美しい造形だと陣平は思った。藤柳泉。ヒビハナヒと言う名の魔女も、とても美しい顔をしていた。魔女というものは皆、このように恐ろしい程美しい容姿をしているのだろうか。

 陣平は顎に手をあて考え込む。

「来ていたのか坊や」

 いつの間にか真剣に考え込んでいた陣平が顔を上げると、そこには椅子から立ち上がった鈴璃の姿があった。まだ眠いのか、眼が開ききっていない。

「いっ……えだちさん」

 驚きのあまり一言目が裏返ってしまった。どれほど真剣に考え込んでいたのだろう。気配や物音に全く気付かなかった。それにしても鈴璃に会うと、高確率で驚いている気がする。毎回律儀に驚いている自分が嫌になる。と陣平は思った。

「すまないな気付かなかった。いま丁度、店に出すアクセサリーの新作をこしらえてた所だったんだが、いつの間にか眠ってしまっていた」

「え? 店の商品て全部家館さんが作ってたのか?」

 衝撃の事実に、陣平はまた驚く。

 鈴璃は口を掌で隠し、小さく欠伸をする。眼の端にうっすらと涙が浮かんでいる。

「まあな。それより、なにか考え事の最中だったようだが?」

「いや、魔女も寝るんだな。と、思ってな」

 魔女ってみんな美人なのか? なんて、気恥ずかしくて口が裂けても訊ける訳がない。陣平は咄嗟に思い付いた言葉で本心を濁し、場を取り繕おうとする。

「そりゃ眠るさ。お前は魔女を何だと思っている」

 鈴璃はけらけら愉快そうに笑う。完全に目覚めたのかいつもの調子だった。寝起きから元気だなと陣平は思う。

「何だと……? 人の形をした、嵐みたいなもんかな」

 陣平は律儀に答える。

 より正確に言えば、意志を持った災害だろうか。絶対的に恐怖を与えるだけの存在。意識的に人間を屠ることが出来る事実。それが災害でなく何だろう。意志がない自然災害の方がまだマシだと思える。口には出さなかったが陣平はそう考えていた。

「ほう、嵐ね。なかなか面白い解釈だな」

 予め用意していた言葉ではなかったが、どうやら鈴璃の気には召したらしい。

「それで、なにか用か?」

「あ、その前に、これ土産だ。よかったら」

 陣平は煙草のカートンの入った袋を鈴璃に差し出す。

「おお、煙草か。ありがたく頂くぞ」

 先程の眠そうな眼は何処へやら。鈴璃は爛々とした瞳でカートンを嬉しそうに抱きしめる。その様子はまるで、新しいおもちゃを買ってもらった子供のようだった。

「なにを愛飲してるか知らねえから、適当に選んだやつだぞ」

 鈴璃のあまりの喜びぶりに、正体不明の罪悪感を感じた陣平は、多少気まずそうに言った。

「ああ、構わん構わん。私の煙草は特別製でな。一般には出回っていない」

「それって、成分的に大丈夫なのか? 違法なものが使用されていたら、見逃す訳にはいかねえぞ? 一応オレも警察だからな」

 過去にその煙草を吸ったことを思い出した陣平は、気分が悪そうに、胸の辺りをさすった。

「心配するな。法に触れるものは使用していない。何なら持ち帰って、成分分析でもしてみるか?」

 まるで後ろめたいことがないのだろう。平然とした表情で、鈴璃はシガーケースを差し出してくる。

「いや、大丈夫だ。アンタはそんな下らないモンには手を出さなそうだ」

 陣平は右手で差し出されたシガーケースを押し返す。

「おや? 随分と信頼されてるみたいだな」鈴璃はニヤリと笑い、取り出した煙草に火を点ける。「で、本題は?」

「ちょっと家舘さんに観て欲しいもんがあってな。確か『記憶観』だったか?」

「ほう?」

 怪訝な顔をする鈴璃に陣平は、深山圭人という身元不明遺体の件を話すと、ポケットから証拠品の指輪と腕時計を取り出した。

「ふむ。中々興味深そうな事件じゃないか。どれ、貸してみろ」

 指輪と腕時計が入った袋を受け取った鈴璃は、煙を吐きながら応接スペースのソファに腰を下ろす。袋からそれぞれ指輪と腕時計を取り出し、両の掌にそっと置くと、呼吸を整え、眼を閉じた。

 ピリッと室内の空気が張る感覚がある。『記憶観』が始まった。

 鈴璃曰く、物に蓄積された記憶は消えない。持ち主がどこでなにをして、なにを感じたかを『記憶観』は余すところなく読み取る。幾ら実在が不明な人間でも、これで多少は深山圭人がどんな人間かは判明する。陣平は胸の中に安堵感が広がっていく感覚を覚える。

 コン。と、テーブルに指輪と腕時計が置かれる硬質な音の後に、鈴璃の大きな溜め息が訊こえた。どうやら『記憶観』が終わったようだが、何故だか鈴璃の表情には翳が射しているように見えた。

「どうした? なにかわかったのか?」

「……なにも観えない」

「は? どういうことだよ?」

 陣平は、明らかな狼狽を見せて言う。

「いや、正確にはなにも観えなかった訳ではない。この指輪を職人が創って、店の棚に並べられるところまでは観えた。腕時計も同様だ。だがその先はなにも観えない。つまり、この指輪と腕時計には、持ち主がいない」

 持ち主が、いない?

「そんな訳ないだろ。その指輪と腕時計は遺体の所持品だったんだぞ。他の遺体もなかったから、取り違えることもあり得ない。アンタ、なにか観逃したんじゃないのか?」

 早口で捲し立てる陣平に、鈴璃は憤った様子で、袋に戻した指輪と腕時計を陣平へ向け投げつける。

「物に累積されている記憶は、始まりから終わりへの一本線だ。人間の脳内記憶みたく、枝分かれしたり、自然に消えたりする不完全なものではない。観逃すという概念自体があり得ないんだ。お前も『記憶観』を体感したならわかるだろ」

「あんな一瞬でそこまでわかるか」

「全く。これだから人間は……」

 鈴璃はやれやれといった様子で、額に手を置く。

「ちょっと待てよ。じゃあ結局、深山圭人って一体何者なんだ? 持ち物にも記憶が残ってないなんて、まるで、初めから存在してねえみてえじゃないか。そんなことってあり得るのかよ」

 未だ納得いかない陣平はそう言った。

「そんなの私が知るか……ん? 坊や。お前いまなんて言った?」

「あ? まるで……初めから、存在してねえみてえって……」

「初めから……存在していない……」なにかが引っ掛かったのか、鈴璃は考え込むように顎に手を当てる。

「どうした? なにか気になることでもあるのか?」

 陣平は鈴璃の表情を見据えながら言う。

「これは、まさか因果絲(いんがし)を……?」

「インガシ? なんだそりゃ?」

 コンコン。

 扉をノックする音が室内に飛び込んでくる。鈴璃が応じると、開いた扉から雨耶が姿を現す。

「お話中のところ申し訳ありません。主人さま、お取引先の方がいらっしゃいました」

「む。もうそんな時間か」鈴璃は腕時計に眼をやる。「悪いが仕事だ。明日また来てくれるか? すまないな坊や」

「いや、オレの方こそ急に押しかけて悪かった。こっちはこっちで、もう少し深山圭人について調べてみる」

 陣平はそう言うと、事務所を後にする。

 屋外に出て一番最初に感じたことは、魔女もちゃんと働いているんだな。と言うことだった。どうせ魔術で無限に富を産み出しているのだろうと勝手に思い込んでいた陣平は、自らのファンタジックな思考に少し気恥ずかしくなった。

「しかし、調べるっつっても、何の手掛かりもねえんだよな。さて、どうしたもんか」

 残念な思考をさっさと頭から追い出したい陣平は、頭を仕事モードに切り替えようとする。しかし、事件の手掛かりの少なさから、結局、出来ることは苦虫を噛み潰したような顔で唸ることだけだった。

「確か、遺体発見現場は、渋谷のスクランブル交差点の近くって言ってたな」

 暫く思案に耽った末に至った結論は、至極初歩的なことだった。

「とりあえず現場に行ってみるか」

 駅に向かって歩き出そうとしたとき、ふと、頭をよぎったことが自然とその足を止めさせる。

「そういえば、人が消えたのもスクランブル交差点だったよな」

 陣平は、例の神隠し動画を思い出す。併せて、その件を鈴璃に話忘れたことも。

「存在しない人間に、神隠しか。なんだか話がオカルトっつーより、怪談じみてきやがったな」

 気温は恐らく三十度を超えている筈なのに、陣平の身体は寒気を感じる。

 その寒気は、恐怖を感じたことにより血管が収縮して感じる生理的反応だった。





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