第三幕『よはなべてこともあり』4

文字数 5,996文字



 鈴璃たちが飛び出していった穴から入り込んでくる冷気が、じわじわと体温を奪ってゆく。穴の近くの床には既に薄く雪が積もり始めている。

 もう何度目かわからない爆発が過ぎ去った後でも、陣平は取調室の中から動けないでいた。理由は単純。部屋の外にいる屈強なSP二人を倒す手段が見当たらなかったからだ。

 しかし理由は不明だが、SPたちが部屋の中に入ってくる気配はない。足止めだけが目的なのか? 

 陣平は考える。体格的に彼らには敵わない。銃で殺すのは簡単だ。しかし彼らは真愛に精神支配されているだけ。出来ることなら殺しはしたくない。先ほど打ち倒した刑事たちから銃は奪ったが、所詮は気絶させただけだ。いつ意識を取り戻して、再び襲いかかってくるとも限らない。どうするのが最善だ? 

「くそっ。時間がねえってのに」焦る気持ちの中で時間だけが過ぎてゆく。「にしても眼が回るな」

 陣平は苛つきを抑えながら右瞼を押さえる。

 鈴璃と陣平はひっそりと視界を共有していた。これは鈴璃が、自分たちに追い付けるようにと施した策だった。

 鈴璃との視界共有はこれで二度目だが、何度経験したところで、一向に慣れる気がしなかった。というかもう、少し吐きそうだった。

「うおおおおお!」

 考え過ぎて行動が出来ない現状に、まるで喝を入れるような雄叫びが訊こえ、陣平は反射的に身体をびくつかせる。吐き気も一瞬で引っ込んだ。

 扉付近でなにか大きいものが壁に叩きつけられるような音が轟き、次いでなにかを殴りつけるような鈍い音が二度鳴った。辺りがしんと静まり返る。しかしその静寂も二秒ともたなかった。

「陣平、無事か?」

 蝶番が引き千切れそうな勢いで扉が開くと、ライオットシールドを持ち、防弾チョッキに身を包んだ九郎が、肩で息をしながら取調室に飛び込んで来る。

「管理官?」陣平は唖然とした声で言う。

「良かった。まだここにいたか、もう殺されちまったのかと思ってたぞ」

 九郎は持っていたもう一着の防弾チョッキを、陣平に投げてよこす。

「今のところはまだ大丈夫です。下はどうなってますか?」

 陣平は素早く防弾チョッキを装着すると、九郎に向き直る。

「ついさっき、急に庁舎内全体がヤバいくらい殺気立ち始めた。皆お前のことを親兄弟を殺した凶悪犯罪者だと思い込んでいやがる。なにがなんでも殺してやろうって勢いだ」

 凶悪犯罪者。陣平は床に倒れている二人の刑事に眼を向ける。

 彼らも、真愛に鈴璃と陣平を凶悪犯罪者だと思いこまされ、二人を殺そうとした。ついさっきの出来事だ。九郎の話を信じるなら、庁舎内の人間全員が彼らのような状態になったということになる。いやむしろ、それより悪い状況かもしれない。それがどういうことか、陣平は身体の震えで理解する。

「早くこの建物から脱出しないとやばい。行くぞ」

 呼吸を整えた九郎は、ライオットシールドを構え直す。遠くから多くの足音が近づいてくるのが訊こえる。廊下に眼を向けると、SPたちが倒れている。

 シールドで押さえ付けて殴り倒したのか、化物だなこの人。陣平は九郎を見て思った。

「それにしても脱出って……簡単に言ってくれますね。庁舎内にどれほどの人間がいると思っているんですか? こっちはたった二人ですよ」

「なに、何とかなるさ」

 陣平の苦笑に九郎は苦笑で答える。九郎もわかっていた。これがどのような状況か。

 二人は部屋から一歩踏み出す。

「いたぞ、あいつだ」

 陣平の姿を確認するや否や、波のように押し寄せた刑事たちが、発狂したかのように一斉に銃を構え発砲を始める。九郎は陣平の前に立ちシールドを構え、防御の姿勢を取る。

 雨のような数の銃弾を受けたライオットシールドは、ばちばちと大きな悲鳴を上げる。ついには、数発がシールドを突き抜け、九郎の防弾されていない肩や首、大腿部を貫通する。そのうちの一発が陣平の頬を掠める。

「管理官!」

 陣平は叫び、九郎の襟元を掴むと、力任せに取調室の中に引き込んだ。

 拳銃を取り出し、数発威嚇射撃をすると、人の波の発狂が一瞬止んだ。その隙に陣平は扉を閉め、内側から机や椅子でバリケードを築く。しかしそれはなんとも頼りないものだった。

「管理官、しっかりしてください」

 陣平は九郎の身体に穿たれた銃創を力任せに押さえる。

「はは。仲間に撃たれる日が来るとはな。これは肉体より、精神的にクるな」

 九郎は息も絶え絶えに、笑いながら言った。

「くそっ、血が、血が止まらねえ」

 銃創からは止め処なく血が流れ出ていく。陣平は九郎の体温が急速に下がっていくのを感じていく。九郎はぐったりしたまま遂に一言も発さなくなった。

 陣平の脳裏には、否が応にも真古登が死んだ瞬間の状況がフラッシュバックする。

 くそっ、くそっ、畜生。オレはまた失うのか。オレはまた助けられないのか。結局オレは誰も救うことができないのか。

 陣平は悔しさのあまり唇を噛み締める。唇からは涙のように血が滴る。

 精神支配された刑事たちは発狂を取り戻し、扉を破壊しようと廊下から押し寄せる。その行動の一つ一つはからはもう、本来刑事の持つべき高潔さや崇高さなど微塵も感じられなかった。

 同僚や部下や先輩や後輩が大声で奇声を上げ、自分を殺そうとしている。動物が獲物を追い詰めるように、酷く本能的で、人間味を欠いた姿で。

 人の波の中には楓芽衣刑事の姿もあった。彼女の顔は殺意で醜く歪んでいた。彼女のあんな顔を見たのは初めてだった。他の刑事たちの顔も皆そうだった。魔術は、精神支配はここまで人を変えてしまうのか。

「鳴茶木ぃ」

 陣平は拳を強く握った。

 本来なら人間数人の力程度では破れないであろう扉が、狂気に沸いた人の波により、大きくしなり、扉としての役割を終えようとしている。九郎は微かだが、まだ息はあるようだった。陣平は大きく息を吐くと、前を見据え、扉に向け銃を構える。

 こんなところで死ぬわけにはいかない。オレはあの二人に追いつかなければならない。追いついて、知らなければならない。自分が知るべきことを。

 壁にヒビが入り、蝶番のネジが外れ、扉が狂気に食い破られそうになったそのとき、壁に開いた穴から、鴉とその背に乗った黒猫が、音もなく室内に飛び込んでくる。

 陣平がその姿を知覚するより早く、黒猫と鴉は人間の姿へと変わる。

 それは、雨耶と霧耶だった。

 雨耶は右手を、霧耶は左手をそれぞれ扉に向ける。

 次の瞬間、見えない力により、取調室の扉と壁が外側に弾け飛び、狂気に支配された人の波を、廊下の壁に強引に固定する。

「申し訳ありません輪炭様。建物内の状況が分からず突入が遅れました」と雨耶が言う。

「間一髪って感じでしたね、あ、岩石様、大丈夫ですか?」霧耶はそう言い、慌てて九郎に駆け寄り、治癒魔術を施す。

「ん、なんだ? 雨耶と霧耶か?」

「管理官、意識が戻ったんですね。良かった」

 陣平は安堵の表情を見せる。

「助かったよ霧耶。いやあ危うく死ぬことだった。わはは」

「なんだか久しぶりですね。岩石様を治療するの」

「貴女、岩石様を治療しようとして、逆に殺しかけてしまったことがあったものね。今回は成功して良かったわ」

「そんなこともあったな。いや懐かしいな」

 三人は笑い合う。

 和やかな空気に陣平は脱力する。

 そのとき数名の暴徒が、およそ人間とは思えない力で、壁の拘束から抜け出してきた。

 彼らはどうするべきか迷った様子も見せずに、その身一つで襲い掛かってきた。壁に拘束される際に落としたらしく、その手に銃は握られていなかった。

 九郎、雨耶と霧耶、そして陣平は、それぞれの方法で暴徒を鎮圧していく。そのどれもが混じり気のない力技だった。

 雨耶は手刀で暴徒の頸椎を抉る。

「申し訳ありません。只今取り込んでいますので、少々お静かに」

 霧耶は回し蹴りで暴徒の脳を揺らす。

「片っ端から蹴り倒しますけど、それでも宜しければ、幾らでもおいでください」

 陣平は絞め技で、暴徒を苦痛なく締め落とす。

「悪いな。恨みはないが、少しだけ寝ててくれ」

 九郎は正拳突きで、暴徒の鳩尾を的確に打ち抜く。

「タイマンなら、まだ若いモンには遅れはとらんぞ」

 大量の血を失ったとは思えないほどの俊敏な動きで立ち回った九郎は、陣平へと眼を向ける。

「さて陣平、お前はこれからどうするんだ?」

「オレは家館さんを、鳴茶木を、あの二人を追います」

「そうか。おい、お前たち、陣平を下に降ろせるか?」九郎は雨耶と霧耶に眼を向ける。

「はい。少し、荒っぽい方法でよろしければ」霧耶が笑顔で答える。

「よし、なら頼む」

 九郎は当人の許可も待たず、霧耶の提案を快諾する。もう陣平はなにも思わなかった。それしか方法がないと知っていたからだ。

「霧耶、お願いね。私はここで彼らを食い止める」雨耶は、尚も押し寄せる人の波を、魔術と武術で抑え続ける。

 ここから出るのであれば、もう防弾チョッキは必要ない。そう判断し、陣平が防弾チョッキを脱いだとき、九郎に背中を思いきり叩かれた。声が出ないほどの痛みに悶え苦しむ陣平の姿を見て、九郎は満面の笑顔で言う。

「行け陣平。行って鈴璃を助けてやれ。ここは任せろ」

 その言葉に陣平は、ぽかんとする。

「オレが家館さんを、助ける?」

「鈴璃は、ああ見えて結構脆いんだ。俺は、あいつを支えてやることが出来なかった。だから、お前があいつを支えてやってくれ」

 九郎の初めて聞く声色に、陣平はまっすぐその眼を見据え、そして頷いた。

「はい。管理官も……九郎おじさんも気を付けて。どうか、死なないでください」

 陣平は九郎に敬礼をする。

「この場面でそう呼ばれると、なんだか死亡フラグっぽいな」

 そう言いながらも九郎は、嬉しそうにサムズアップで応える。

「じゃあ、行きますよ輪炭さま」

 霧耶は陣平の手を掴むと、壁の穴から勢いよく飛び出した。

 二人は空気の抵抗を受けながら、雪と一緒に、地面に向け一直線に落ちてゆく。地面に激突する瞬間、霧耶は鴉へと姿を変え、その脚で陣平の腕を掴み直すと、一度大きく羽ばたいた。身体はまるでパラシュートが開いたように落下速度を急激に落とす。陣平は受け身を取りながら、三メートルほどの高さから飛び降りたような衝撃と共に、地面に降り立つ。足の痺れに耐えながら顔を上げると、眼の前には霧耶のバイクがあった。

 霧耶は人間の姿に変わると、白スーツの内ポケットからバイクの鍵を取り出し、陣平に手渡す。

「良かったら使ってください。免許はお持ちですか?」

「ああ。だが、こんな状況では法律もクソもなさそうだけどな」

「良いんですか? 警察官がそんなこと言って」

 霧耶は、からかうような笑みで陣平を見る。

「良いんだよ。緊急事態だからな」

 陣平は失笑しながら、まるで地獄のようになってしまった東京に眼を向ける。間欠的に起きる大きな爆発が、大気と体内の水分を大きく震わせる。

「私は上に戻ります。あの二人だけじゃちょっと厳しそうですから。ご一緒出来なくてすみません。輪炭さま、どうかお気をつけて」

 霧耶はヘルメットを差し出しながら言った。

「霧耶さんも、雨耶さんもな。悪いが後は任せたぞ」

「お任せください」

 屈託のない笑顔で霧耶は応える。

 陣平はバイクに跨り、ヘルメットを被ると、キーを差込み、バイクの眼を覚まさせる。寝起きのバイクは、待っていたと言わんばかりの軽快な唸り声を上げる。

「主人さまを……頼みます」

 霧耶は、深々とお辞儀をする。

 陣平は無言で頷きスロットルを一気に回すと、最高速度でその場から走り去る。鴉に戻った霧耶が庁舎内に戻って行く姿がミラーに小さく映っていた。

 機能が完全に停止した街で、陣平は首都高速都心環状線に乗り、ある場所に向かう。

 横転し、積木のように重なった車たちが行く手を阻むが、バイクはその隙間を軽々と擦り抜ける。

「それにしても家館さんは大丈夫なのか?」陣平は頭の中で呟く。

 ずっと空中をぐるぐると廻っていたと思ったら、突然共有が途切れちまった。だが、共有が途切れる直前の景色には見覚えがある。

 あの場所は、新宿御苑。

 突然背後で尋常ではない爆発音が訊こえる。本能的危険を感じた陣平は急ブレーキをかけ停車すると、爆発音のした方向に眼を向ける。

 陣平は愕然とした。警視庁庁舎がなくなっている。いや、正確に言えば建物の一部だけは残っている。しかし、建物の大半は、屋上から一階まで、まるでアイスクリームディッシャーで掬い取られたような形で姿を消していた。残った建物の一部たちは、支えをなくし、倒れ始め、控えめに炎を上げ始めていた。

 突然陣平のいる場所が、大きな影に覆われる。頭上に眼を向けると、いまし方消し飛んだであろう警視庁庁舎の破片が隕石のように降り注いできていた。陣平は限界までスロットルを回し、急いでこの場からの離脱を試みる。

 正義を象徴する建物だったものが、いまではなんの価値もない無数の瓦礫となって降り注ぐ。

 降り注いでいるのは瓦礫だけではなかった。その中には無数の人間の姿があった。人間の一部だったものが、陣平のすぐ近くに撒き散らされる。

 死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。

 いま通り過ぎたのは同僚だった。いま降ってきたのは上司だ。そこの瓦礫の下敷きになっているのは後輩だ。見ていないのに何故かわかる。それらは地面に叩きつけられ、瓦礫に潰された衝撃で、頭や身体の中身が飛び出し、もはや人間とは呼べないような、只のグロテスクな肉の塊と化していた。

 雨耶さん。霧耶さん。管理官。頼む、無事でいてくれ。

 辺りの死体を見て、三人のことを考えずにはいられなかった。視界に入る範囲に彼らの死体が見えないのが、唯一の救いだった。

 眼の前の光景に頭がおかしくなりそうだった。ここは地獄よりも地獄で、まごうことなき現実だ。

「うぅうああぁぁああぁああ!」

 陣平は叫ぶ。いま彼に出来る事はこれしかなかった。いま彼は、叫ぶ事しか出来なかった。その叫びも、風の音と爆発音にすぐ掻き消される。

 自分は前に進まなきゃいけない。皆を、東京を、鈴璃を救うために。

 陣平は無理矢理自分の心にそう言い訊かせる。そうでもしないと心が壊れてしまいそうだった。

 そのとき、すぐ近くで最高裁判所が破裂するように爆散し、その爆風と衝撃が、陣平とバイクを内堀通りから軽々と吹き飛ばす。

 宙を舞う感覚と、鈍く鋭い痛みが身体中を駆け巡る感覚の後、意識が暗闇に覆われる。

 オレは行かなきゃならない。家館さんのところに。

 しかし、その決意も暗闇に塗り潰された。

 一筋の光も通さないほど黒く。真っ黒に。





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