第１５話　サプライズ？

　今朝は朝寝坊ができるというのに、こんな日に限って早く目が覚めた。
　それでも気分のいい目覚めだったから、ルナはベッドへは戻らずに顔を洗った。

　今日の朝食の支度(したく)は、いつもより、ずっと楽チン。なんといっても、ゆうべ食べるはずだった食事を、お皿に盛(も)るだけなんだから。

（朝ごはんらしく、真っ白で大きなお皿を使おう）

　そんなことを考えながら階段を下りていると、玄関の方から、やさしい金色の頭が曲がって来るのが見えた。

「お師匠さま！　おはようございます！」

　階段の手すりから身を乗り出してあいさつするルナに、師匠のルイ・マックールはまだ少しだけ眠たそうな顔で、おはよう、と微笑(ほほえ)んだ。

「やけに早く起きたね。今日はもう少し眠っていていいと言ったのに」
「目が覚めちゃったんです！」

　それならちょうどいい、とルイ・マックールは玄関へ引き返した。

「おいで」

　ルイ・マックールについて玄関を出ると、ルナは外の空気をたくさん、たくさん、吸い込んだ。
　早朝の山の空気はなんて清々(すがすが)しいんだろう。

　その様子を微笑ましく見守りながら、ルイ・マックールは城に沿(そ)って歩く。ルナもゴキゲンでその後を追った。

（一体どこへ行くんだろう？）

　このまま進んでお城の角を曲がっても、あるのは〈地下図書室〉の出窓くらい。
　出窓は明り取りも兼(か)ねているから背が高い。三つほど並んでいて、そこを通り過ぎるとまたすぐにお城の角になる。

　お師匠さまは、やはりお城の角を曲がった。それに続いてルナも曲がる。
　あっと、ルナは驚(おどろ)きの声を上げた。

　一番手前の出窓から、太い植物のツルがはみ出している。
　つまり、ルイ・マックールは〈地下図書室〉を、本当に、そのままにしているということ。昨夜(ゆうべ)冗談(じょうだん)のように話していたとおりに！

　ルナはうれしくなって、三つの出窓に近づいた。
　お城の外から見る出窓は、地面から少し高い位置に張(は)り付いている。
　ルナは二番目の出窓のふちに指をひっかけて、つま先立ちをして、図書室の中をのぞき込んだ。

　明るい中で見る植物たちは、全然怖くない。それに色んな種類がある。
　形も大きさも違う草木は、どれもこれも楽しそう。絡(から)み合ったり競(きそ)うように伸ばし合ったりしている。

（まるで大きなアスレチックみたい！）

　ルナはわくわくした。
　そんなルナを見て、ルイ・マックールは満足そう。上機嫌(じょうきげん)で、一番手前の出窓からはみ出ている植物に足をかけた。

「ここから入る方のが面白い」

　太い植物を階段代わりに、ヒョイと図書室の中へ入る。
　ルナも同じように、図書室からはみ出して伸びる太いツルなのか、枝なのかを踏み台にして出窓へ上がった。
　ルイ・マックールは出窓のそばで待っていて、ルナの手を引き、出窓からぴょんと、床に降ろした。

「さて、この本棚はこれから〈森〉の本棚と呼ぼう。こっちが〈草〉で、これは〈花〉」

　そう言って、窓のすぐそばにある本棚をルナに示した。
　〈森〉と名付けられた本棚は、〈草〉や〈花〉より、植物が茂(しげ)っている。〈花〉の本棚も同じように、前二つよりも花が多く咲いていた。
　
　続いてルイ・マックールは、綺麗なエメラルドグリーンの羽ペンを、自分のマントの左胸からさっと引き抜いた。
　流れるような手つきで、宙(ちゅう)に〈森〉〈草〉〈花〉という文字をさらさらと書いていく。

　書かれた文字は、いつかのほうきの店で見た魔法陣のように、キラキラ光っている。
　ヒラヒラとそれぞれの本棚に向かって飛んでいき、ピタリと本棚の側面に貼りついた。
　そうして、ルイ・マックールが書いた文字は小さなプレートになった。

「わあ……！」
「ここの本は、いつでも好きな時に読んでいいよ。それ以外は――」

　ルイ・マックールは二階を見上げた。

「――僕といるときに限る」

　図書館の奥には、二階へ上がるはしごがある。
　二階といっても、大部分が吹(ふ)き抜けになっていて、どちらかというと通路のようなもの。

　そこには収(おさ)まる場所がないのか、はたまた使っている途中(とちゅう)なのか……。
　丸椅子(いす)の上や通路のはしっこに、あちこち本が積(つ)み上げられている。
　
　慎重(しんちょう)なことに、それらの本にまで植物を利用した封(ふう)がしてある。ルナが間違って開くことのないように。二階の通路の手すり越しに、それが少しだけ見えた。

　「はい」というルナの返事に目でうなずくと、ルイ・マックールは〈森〉の本棚から一冊の本を取り出した。それをルナに向けて、開いて見せる。

「これは魔法陣の基礎(きそ)」

　大きな円の中に、シンプルな記号が一つ描いてある。
　次のページにも。その次のページにも。
　中身の図形が違うだけで、ルナにはどれも同じことのくり返しに見えた。

「こんなものでは、つまらないかな。きみは絵が得意(とくい)だから、きっともっと難(むずか)しいものでも、手本さえあれば描けてしまうだろうね」
「……上手に描けるかは、わかりません。でも、見て描くだけなら……」
「いいかい、ルナ。きみが描いていい魔法陣は、こういうシンプルなものに限る。それ以上は描いてはいけない。なぜだかわかるね」
「ゆうべのように、なってしまうから……？」

　そのとおり、とルイ・マックールは魔法陣の基礎の本を閉じてルナに渡した。
　ルナは正直がっかりした。
　だって、ルナも修行してお師匠さまが描いたみたいな、キレイな魔法陣を描けるようになりたかったから。

　ルナがうつむいていることにも気づかず、ルイ・マックールは封じてある他の本棚に手を伸ばした。ルイ・マックールが手を伸ばすと、本棚をがんじがらめにしていた植物が、不思議とゆるゆると解(ほど)けていく。

　そこから二冊とると、今度は開きもせず、その表紙や裏表紙、背表紙をしっかりとルナに見せ、よく、覚えさせた。

「こういう本には触(ふ)れてもいけない。いいかい？」
「……はい」

　ここで鈍感(どんかん)なお師匠さまも、やっと弟子の様子に気が付いた。
　ルイ・マックールはルナと目の高さを合わせるように屈(かが)んで、ゆっくりと説明した。

「もっと、複雑(ふくざつ)なものが描いてみたかったかい？　ルナはお絵描きが好きだからね」
「はい……」
「僕がこういうことを言うのには、理由(わけ)があるんだよ。前に、きみには基礎以外は教えないと話したね。けれど、昨夜きみがやったことは、基礎の域(いき)を超(こ)えていた。きみは〈魔法使わない〉だからと安心していたから、慌(あわ)てたよ。だからね、ルナ。きみに早く教えなければ、と思ったんだ。使っていい魔法と、そうでないものとをね」

　ルナはうつむいていた顔を少し上げた。
　お師匠さまの優しい声に、ルナの落ち込んだ心も少しずつ温(ぬく)もっていく。

「使っていい魔法は、その本にあるような魔法。簡単に言うと、他人(ひと)のためになる魔法」

　ルナはその言葉に聞き覚えがあった。

「掟(おきて)！　『魔法は他人(ひと)のために』！」
「そう。ちゃんと覚えているね」

　ルイ・マックールはにっこり笑った。

「使ってはいけない魔法――それは、人に危害(きがい)を及(およ)ぼすもの」
「きがい……」

　ルイ・マックールはあごに手を当て、それから、もう一度、ルナにもわかるよう心がけて言い直した。

「他人(ひと)や自分に怪我をさせたり、危ない目に遭(あ)わせたり、騙(だま)したり、奪(うば)ったりするような魔法だよ。昨夜のルナの魔法は、使い方によっては人の心を癒(いや)したり、楽しませたりできる素敵(すてき)な魔法だった」

　ルナの瞳に、ポッと明かりが灯(とも)った。

「植物にトゲや鋭(するど)い枝はなかったけれど、きみはまだ力の制御(コントロール)について知らない。万が一ここの植物が暴走していたら……危ない魔法でもあると、わかるね？」

　ルナは、きのう机の下に隠れた時のことを思い出し、真剣な顔で「はい」と、答えた。

「僕の教えた魔法で、きみが他人を傷つけたり、自分を傷つけたりしたら悲しい。そうならないよう、これから、その本を使って教えていくつもりだよ」
「はい！　お師匠さま、よろしくお願いします！」

　ルナは真剣な顔で、頭を下げた。胸には魔法陣の基礎の本を、しっかりと抱きしめている。
　ルイ・マックールはひとまず、ほっと胸をなで下ろした。

　ぐうう……。

　ルナは真っ赤になって、本でおなかを押さえる。可愛らしい音が、朝ご飯を催促(さいそく)した。

「さて、朝食にしようか」

　ルナは耳まで赤くなった。お師匠さまは、にこにこ笑っている。
　ふたりでキッチンへ向かおうとしたその時――

　――ガチャン！

「！」
「！」

　何か重たいものが落ちたような鈍(にぶ)い音がした。
　ふたりは音のした方を見た。
　出窓に近い分、ルナの方が先に見つけた。

　知らない男の子だった。

　年恰好(としかっこう)はルナと同じか、一つくらい上に見える。それだけで、ルナの体は緊張(きんちょう)した。

　その子は目も口もあんぐりと開け、出窓の外から図書室を見上げている。
　その足元には、パンと牛乳瓶(びん)の入ったバスケットが落ちていた。

「やあ、テラか。おはよう」

　ルナの後ろから、ルイ・マックールが気さくに声をかけた。
　けれど、テラと呼ばれた少年は返事もしない。その肩は、わなわなと震(ふる)えている。

「すごいだろう。きみの本棚は使えるようにしてあるから心配ない」

　ルイ・マックールは〈地下図書室〉の植物を披露(ひろう)するように、うでを大きく広げた。
　テラは何も言わない。
　じとっとした目でルイ・マックールを見ている。その目は説明を求めていた。

　ルナは心配になって、お師匠さまとテラという子をかわりばんこに見た。
　よく見ると、転がるバスケットのそばに、読みくたびれた文庫本が一冊。
　ひょっとして、テラはこれを返しに来たのだろうか。

　何にも言わないまま、テラは走って帰ってしまった。