第9話 はねつけられた想い

文字数 4,200文字




 大バザール。
 数多の店が軒を連ねるこの大市場の路地裏に、ひっそりたたずむ小さな店。
『ほうきの店』
 そこは昼間のにぎわいが一切入ってこない、静かな場所。

 カウンターの内側。
 背を向ける店主のネルシャツが、ドレスに変わる。
 カーネリアンレッドのロングヘア。
 大ぶりの、シャボン玉を()したイヤリングを()らし、その人は振り返った。

 ぱっと見は、ちょっぴり勝気そう。
 けれど、戸惑ったような困ったような顔がとても美しい。
 ルナは一瞬で見惚れた。
 ルイ・マックールは嬉しい気持ちを必死に抑え、彼女しか目に入っていない様子。

 お師匠さまのこんなに喜びが顔に出ているところを、ルナは見たことがない。
 そしてこの顔はいつか見た、お師匠さまが〈どこか遠いところ〉を見ているときの目にそっくりだった。
 お師匠さまの心の様子があの時よりも、もっとくっきりと見てとれる。
 以前と違うのは、そこにさみしさや切なさがないこと。
 ルナにはうまく言葉にできないけれど、あの日のまなざしの意味が今わかった気がする。
 
(この人って、やっぱり、そうだよね……?)

 ルナの胸は、ドキドキと高鳴った。

「百年と十三日ぶりだね」
「百年と十三日……?」  
「一日も、君を忘れたことはないよ」
「…………」

 真剣なるルイ・マックールの告白に、女性は顔をしかめた。

「……どうして、ここに?」
「ここに君がいると、風が噂とシャボン玉を運んできたよ。……なんてね」

 ルイ・マックールは、自分のマントに差したエメラルドグリーンの羽根に触れた。

「まだ使えたの……?」
「もちろん。シャボン玉のことも本当だよ。ここへ着いたとき、大通りに人垣ができていた。その時流れてきたシャボン玉が君の魔法だと、すぐにわかったよ。

で車を助けたとか、そういうことなんだろう?」

 何もついていない自分の耳たぶを指すルイ・マックールは、とても機嫌がいい。
 けれど女性の方は、そうじゃない。ルイ・マックールが何か話すたびに、顔つきが険しくなっていく。
 ルイ・マックールに彼女の不機嫌を気にした様子はない。

「変わってないな――」
 
 彼は彼女が姿を現してからずっと、ずっと、本当にいとおしそうな顔をして、彼女を見つめ続けている。

「――カーネリア」

 ルナは

どきん、とした。まず、お師匠さまの呼びかける声に。

(なんて素敵な声……!)

 バラの花が咲いたみたいな、甘い香りのしそうな声で、その人の名前を呼んだ。
 ルナは自分が呼ばれたんじゃないのに、花が咲いたみたいな気持ちになる。〈女の子たちが押し掛けるルイ・マックール〉を見た気がした。
 それから、呼んだ名前。

(やっぱり! あのカーネリア・エイカーだ!)

 カーネリアの顔つきが、少しだけゆるんだ。

「……私の居場所がわからないのかと思っていたわ……」

 カーネリアのうつむいた顔は、今度は悲しみをこらえている。
 やっと、ルイ・マックールの表情が変わった。

「僕は人嫌いで、山から出られなかったんだ」
「変装して舞踏会には行くくせに?」

 カーネリアの声がかすかに波立った。

「舞踏会なんて行かないよ」
「有名な噂よ。そこで気に入った貴族の娘と見つけると聞いたわ……」

 赤い髪が、ぞわりと()らめいた。
 ルナは店内が

(ゆが)んでいくように見えた。

「え? え?」

 体も店内の歪みを感じてとっている。
 ――直後。
 髪を逆立てていたカーネリアが、すーっと落ち着きを取り戻していった。
 それに合わせるようにして、歪みかけた店内も、無事もとに戻る。

「ルナ、怖い思いをさせてすまなかったね」

 ルイ・マックールは優しい声でルナを落ち着かせる。
 ルナは、全身に汗をびっしょりかいていた。

(何が起こったの?!)

 ルナが見たのは、髪を逆立てるカーネリア。
 歪みかけた店内。
 それと、声をかけてくれるお師匠さまが、マントの左胸にエメラルドグリーンの羽根を差し戻すところ。

 カーネリアはルナをチラリと見て、すまなそうな顔をした。
 もしかしたら、ルナを怖がらせるつもりはなかったのかもしれない。
 ルナは一息ついて、顔を上げた。

「わあ!」

 小さな店いっぱいに、大きな魔法陣が三つも描かれていた。
 そのどれもが宙に浮かび、それぞれ三色にネオンのように光っている。
 お師匠さまが描いたに違いない。いったい何の魔法なのだろう?

(多分、これのおかげで助かったんだ……!)
 
 カーネリアにさっきのような怒りはないみたい。
 まだ不機嫌な顔をしているけれど、出て行ったりせず、ここに居る。
 バツが悪そうにルイ・マックールから顔を背け、右手で左うでを握るカーネリアの目は、視線の低い場所に立つルナにとめた。

「……その子」
「ああ、この子はルナ。おいで。君の姉弟子にごあいさつするんだよ」

 ルイ・マックールは顔で促す。
 ルナは今更だけれど、ちょっと心配した。

(いいのかな? 名前を人前で言っても。それに姉弟子なんてことまで言って……)

 もう遅いかもしれないが、お師匠さまとの約束なので、お店の人に聞こえないように注意した。

「はじめまして。ルナです」

 ルナは、おずおずとお辞儀する。
 怪しむカーネリアは、ルナの顔をじっと見て変なことを聞いた。

「あなた、本当にその(トシ)なの?」
「え?」

 カーネリアの質問には、ルイ・マックールが答えた。

「この子は〈魔法使わない〉だから、年齢を(いつわ)ったりできないよ」
「じゃあ本当に、子供なのね……!」

 カーネリアはもう一度ルナを見る。

「ルナには基本的な魔法だけを教えるんだ。良かったら君も手伝ってくれないか? 今はナサルという国に――」
「嫌よ!!」

 ルナたちみんな、びっくりした。
 カーネリアの拒絶(きょぜつ)はまるで、悲鳴(ひめい)だったから。
 口にした本人さえ、口元に手をそえて、自分の反応に(おどろ)いている。

「……僕はインク屋に用がある。代わりに妹弟子のほうきを頼んだよ」
「あ、ルイ!」

 店の入り口はすでに閉じてしまった。
 カーネリアは、ルイ・マックールが去ったあとのドアを、困ったような、申し訳なさそうな、悲しそうな顔で見ていた。
 再びルナに目を落とし、カーネリアはパッと明るい声でルナに笑いかけた。

「さっきはごめんなさいね。昔から怒ると周りが見えなくなる悪いクセがあるの」

 口元をにこりとゆるめ、少しかがんで、正面からルナに向き合う。

「私はカーネリア・エイカー」

 正式な名前を聞いて、ルナは改めて胸が弾んだ。

「どうぞよろしくお願いします!」

 ルナは勢いよくお辞儀をした。
 そして落ち着きなく店内を見回す。
 存在が知られて大騒ぎになるのは、カーネリア・エイカーも同じはず。

「(……いいんですか? お名前を言っても?)」

 小声でたずねるルナに、カーネリア・エイカーはキラキラと笑った。

「大丈夫よ。ここはあの人の魔法陣の中だから!」

 二人を中心に、先ほどお師匠さまが描いた魔法陣がゆったり軸回転している。

(あれ? さっきは三つあったと思ったけど?)

 どういうわけか、魔法陣がひとつ消えている。
 カーネリア・エイカーは、ルナの不思議そうな顔に気がついた。

「ルイは私の変身魔法を見破った時に二つ描いたの。それからもう一つ描いて、私の機嫌を直したのよ。それはその時に自分で消えたの」

 小さく舌を出す姉弟子を見て、ルナはとても驚いた。
 
(お師匠さまがいないと、こんなにものびのびしているんだ!)

 ルナには、さっきの美しさとは別の魅力に感じられた。
 まるで少女がそのまま大人になったかのよう。
 魔法使いはみんなそうなのか、この人がそうなのか。
 ルナは自分の国にいた頃、イベントにやってくる魔法使いしか知らないから、判断のしようがない。

「こっちのはね……」

 細くて長い指が、魔法陣の一つ――黄緑のネオンカラーに発光しているもの――に伸びる。

「私たちの声を隠しているの」

 ツヤツヤのネイルが、魔法陣の文字をチョコチョコっといじくる。
 カーネリア・エイカーは一旦(いったん)、指の動きを止めた。

「ここからは、私の名を呼んではだめよ」

 ルナが口を押えてうなずくと、にっこり微笑んで、再び指先を動かす。
 光が外側に短く弾け飛んで、魔法陣がひとつ消え去った。

「こっちは、中の私たちとは

を、魔法陣の外に映し出しているの」

 カーネリア・エイカーは、残った方の魔法陣も同じようにして消した。

「……それでいて、使い勝手がいい。では、そちらもお持ちしましょう」

 いつの間にいたのか、店主がほくほく顔でほうきをカウンターに置き、また奥へ入っていった。

「私たち、ずいぶん試乗(しじょう)してたのね」

 見ると、さっきまでは無かった大小さまざまなほうきで、そこらじゅう散らかっている。
 カーネリア・エイカーは、ほうきの山から手早くルナの身長に合いそうなものを選び出すと、次々とルナに渡していく。

 どうやらルナのほうき選びを引き受けてくれたらしい。

「どう? しっくりくる?」

 ルナは、渡されるまますべて受け取る。
 抱えたほうきの何本かを落としながら、どうにか片手で()の部分を(にぎ)ってみたりした。
 けれど、おそうじ用のほうきしか知らないルナには、カーネリア・エイカーの言う

の意味がイマイチわからない。
 困って視線を泳がせていると、壁にオーロラ色のほうきが(かざ)ってあるのを見つけた。
 ルナの表情が、ぱあっと変わる。

「女の子には、見た目も大事なポイントよね」

 カーネリア・エイカーはすぐに気づいて、お師匠さまではわかってくれないことを、さらりと言ってくれた。

「でもね、ほうきは相性が大事よ。あなたと息を合わせて飛ぶんだから」
「あ、あの、すみません……。わたし、

っていうのがよくわからないんです……」

 カーネリア・エイカーはキョトンとした。
 それから、思い出したような顔をして、またキラキラと笑い声を立てた。

「あなた、〈魔法使わない〉だったんだわ! ほんとに本当なのね!」

 当然のことを確認されて、今度はルナがキョトンとする。

(どうして、そんなことを気にするんだろう?)

 カーネリア・エイカーは少し考えて、もう一度ルナ向けにアドバイスし直した。

「気の合うお友達を見つける感覚っていうのかしら……。魔法使いのパートナーといえば〈魔女猫(まじょねこ)〉って思うかもしれないけど、ほうきだって負けないくらい大事な相棒なの」

 それを聞いて、ルナは

暴れん坊のことを思い出した。


 
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登場人物紹介

【ルイ・マックール】

15歳の若さで世界一の大魔法使いとなった天才。

当時世界中の注目を集めたが、それっきり姿を消していた。

今回、約100年ぶりに沈黙を破り、突然の弟子とりを発表した。

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