第16話 麓(ふもと)の一軒家✰挿絵付き

文字数 3,905文字



 少年テラが走り去った後。ルイ・マックールは、地面に落ちた文庫本(ぶんこぼん)と残されたバスケットを拾い上げた。

「ああ、頼んでおいたものもきちんと入れてくれている。あとでお礼をしなくてはね」

 バスケットの中から封筒(ふうとう)を取り出し、差出人(さしだしにん)を確認しすると、上機嫌(じょうきげん)な顔をした。

「さて、今朝はルナの好きな丸パンのようだよ。朝食としよう」
「お師匠さま! いいんですか? 今の子、すっごく怒っていました」
(おどろ)いただけだろう。見慣(みな)れたものが変貌(へんぼう)したんだ。無理もない。けれど、すぐに()れる」

 ルナには、とてもそれだけのことには見えなかった。
 納得(なっとく)のいかない様子のルナにルイ・マックールは、それならルナから説明してやるようにと命じた。

(そんな!)

 ルナにとっては、とんでもないことだった。
 ルナは小学校でも男子と話すのが(だい)の苦手。近ごろやっと、お師匠さまにも()れてきたところなのに……。

「お師匠さま。わたし、知らない男子に説明なんて――」
「――知らない?」

 ルイ・マックールはルナの話すのをさえぎって聞き返した。

「知らない子ではないだろう。テラは毎朝僕たちの食事を買ってきてくれている。ルナも朝食の支度(したく)をしているのだから、会ったことがあるだろう?」

 ルナは戸惑(とまど)った顔で、ふるふると首を横に振った。

「……(ふもと)一軒家(いっけんや)に遊びに行っているのではないのかい?」

 ルナは、おそるおそるうなずいた。

「それでは、まだ一度も挨拶(あいさつ)出向(でむ)いていないということか」

 ため息をつくお師匠さまを見て、ルナは泣きそうになった。

「いいかい、ルナ。ここには僕の城と、(ふもと)に一軒家があるだけだと話したね。そして、この国の名義(めいぎ)も僕にするわけにはいかないから、そこの家主(やぬし)に名前を()りている。つまり、僕は長いことその家に世話になっているんだ」

 ルイ・マックールは(きび)しい表情のまま、拾い上げたバスケットを(かか)げて見せた。

「朝食の買い出しだけじゃない。夕食もそのうちから分けて頂いている。それを食べているきみも、あの家の世話になっているということだ。わかるね?」
「……はい」

 涙声で返事をするルナに、ルイ・マックールはやれやれと手を伸ばした。ルナよりずっと大きくて繊細(せんさい)な手が、三つ編み頭をゆっくりなでた。

「泣かなくていいんだよ。年も近いことだし、すぐに勝手に行き来する仲になるものだと思い込んでいた。朝食を食べたら、挨拶(あいさつ)に行っておいで。今すぐ行っては、きっと食事の邪魔になるからね」

 ルナはパーカーの袖で涙をぬぐいながら、ぐすん、とうなずいた。

「……少しきつく言い過ぎたかな。女の子は(むずか)しいな……」

 ひとり言をつぶやいて、ルイ・マックールはしょんぼり丸まった背中に、そっと手を()えた。


 ――麓の一軒家。
 そこはルイ・マックールがそう呼ぶのも納得(なっとく)の、ナサル山の麓に(たたず)む一軒家。葡萄酒(ぶどうしゅ)()み込ませたみたいな古いうろこ屋根に、煙突(えんとつ)が一本立っている。

 ルナはゆううつな顔で、木製(もくせい)のドアの前に立ち()くしていた。

(お師匠さまがあんなに怒るくらいだもん。きっと怖い人が住んでるんだ)

 さらに、怒って帰ったテラのことも思い出して、いっそう気は重くなる。
 けれど、いつまでもこうして立っていては、あいさつするのがどんどん遅くなっていく。
 意を決して、ルナは玄関のドアをノックした。

 コン、コン。

 ルナのノックは思った以上に

音を立てた。少し待ったが、返事はない。

(聞こえなかったのかな?)

 遠慮(えんりょ)がちに、でも今度はもっと力を入れて(たた)いてみた。

 どん、どん。

「…………」

 何も聞こえない。
 もう、今日は留守なんだ。ルナがそう思おうとしたとき、ドアがきしむような音を立てた。

「!!」

 ほんの少しだけ、ドアに隙間ができている。

「どうぞ、お入り」

 中から聞こえたお年寄りの声に従い、ルナはそうっとドアを開けた。







 ルナの目に飛び込んできたのは、編み物をしているおばあさん。

 大きな()椅子(いす)に深く腰掛け、曲がった背中をもっと丸めて、指先をせっせと動かしていた。

 手元は窓から差すお日さまの光を浴びて、明るい。
 骨ばった指は、規則的(きそくてき)()(ぼう)を動かし、毛糸をからめからめ取っていく。
 毛糸は小粒な光をきらめかせ、すうっと一本、床に向かって伸びていた。

 ルナはその光景に、吸い込まれるように見惚れた。

 特に()かれたのは、毛糸の美しさ。
 おばあさんの服はルイ・マックール以上にとても質素。その服の上を流れるように鮮やかな糸が伸びている。

 糸はおばあさんの手元では赤色をしている。なのに、ひじの辺りでは青に。それから黄、橙と色を変え、ロングスカートのすその辺りでは紫色から緑色になっていた。

 そうやって、ルナの目が毛糸を辿(たど)っていくと、山盛りに()まれた毛糸玉のひとつと(つな)がっていた。に行き着いた。

 毛糸玉はどれも同じ種類のグラデーション。
 あんまり山盛りに積まれているので、いくつか床に置かれた浅いカゴから転がり落ちている。
 部屋には他に何もない。

 床もこんなにきれいに掃除してあるのだから、おばあさんはきっと几帳面(きちょうめん)な人なんだと、ルナは思った。
 それだけに、転がりっぱなしの毛糸玉が気にならないのかなと、不思議に思ったけれど、もしかしたら、気がついていないのかもしれない。

「男に泣かされたね」
「え!」

 突然話しかけられたのと、言われ()れない言葉にルナはびっくりした。
 おばあさんの方はというと、笑うでもなく、怒るでもなく、いたって落ち着いている。さらには「目が赤いよ」と指摘(してき)した。

「あ……。これは、お師匠さまに……」
「そうかい。てっきり、うちのがやらかしたのかと思ったよ」

 おばあさんは編み物を(ひざ)の上に休め、ゆっくりと腕を上げた。
 そんなちょっとした動きさえ、体中の骨がギシギシと音を立てそうに見える。おばあさんは、揺り椅子のひじ掛けに立つ銀猫をなでた。

「あ! 銀猫ちゃん!」
「男前だろう?」
(オスだったんだ。今度から“ちゃん”はやめた方がいいかな?)

 おばあさんは宝物を扱うように、銀猫の(ととの)った鼻筋(はなすじ)をなぞる。猫はするりとおばあさんの指先を抜けて、奥の部屋へ行ってしまった。

 失礼なことだけれど、ルナはつい、じろじろとお家の中を見てしまった。
 銀猫が入っていったのは、ルナから見て右のドア。
 反対側にも部屋がある。ドアは開けっ放しにしていて、ちらりと(のぞ)いた感じでは、そっちはキッチンみたい。

 何もない家かと思ったら、よく見ればちゃんと食器棚もあるし、壁には何かの植物が逆さまに吊るしてある。
 おばあさんのそばには丸いサイドテーブルもあって、編み終えたものをたたんで重ねている。

(あれ?おかしいな……)

 玄関のドアを開いたとき、たしかに、ルナの目には正面の四角い窓と、揺り椅子に座って綺麗な毛糸を編んでいるおばあさんしか見えなかった。

 実際ここは、ルイ・マックールのお城以上に物が少ないし、玄関からおばあさんの座る揺り椅子までの一直線上に、視界をさえぎるものはない。
 それで、そう見えただけかもしれない。
 そこまで考えて、ルナはやっと自分が何をしにここへ来たかを思い出した。

「あの、ごあいさつが遅くなってしまって、ごめんなさい。お師匠さまに……じゃなかった、ルイ・マックール先生に弟子入りしました、ルナと言います。あ――」
(――これは言っていいことなのかな……?)

 ルナはお師匠さまから、アレコレ秘密にしておくように言われている。たしか、ルナのことは、世間には性別と名前だけが公表されていて……。

(何かしゃべっちゃいけないことがあった気がするけど……何だっけ? でも、お師匠さまはあいさつに行くように、おっしゃったし……)

 ルナが困っていると、おばあさんはさしてルナに興味を持つ風でもなく、いつの間にやら編み物を再開している。

「あの、いつも朝ご飯と夕ご飯をありがとうございます!」

 ルナは両手をそろえて、大きくおじぎした。

「礼を言われるほどのことじゃない。前からルイの分も作ってたんだ。子供一人分くらい、大して変わりゃしないさ。仕事が増えたのはあの子だ。毎日二回、山の上まで運んでやってる。同じことをテラに言っておやり」
「あ、はい……。テラ……くんは、どこにいますか? さっき、とても怒らせてしまったから……」
「あの子の行くところなんか、ここにはそうありゃしないね。山の上の林か、ルイの城の図書室か」

 ありがとうございましたと、これからよろしくお願いします。そう言って挨拶を()ませると、ルナは麓の一軒家のドアを閉めた。

 深いしわの中で小さくきらめいていた瞳は、結局一度もルナのことを見なかった。

 ルナが挨拶している間も、ずっと手元ばかり見ていて、ちっともルナに関心がなさそうだった。
 正確には、一度くらいは見たのかもしれない。だって、ルナの目が泣いた後の「赤い」目だと言い当てたのだから。

(怒られるよりはいいけど……)

 想像していたよりも、ずっとあっさりしていて、ちょっと拍子抜けだった。
 ルナは山に向かって歩き出した足を止め、葡萄酒色のうろこ屋根を振り返る。

 やけに綺麗な毛糸を、質素(しっそ)恰好(かっこう)のおばあさんが骨と皮だけみたいな手で黙々と編んでいく。

 その光景が、ルナの目にいつまでも印象的に残っていた。


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[挿絵:(モモ)様]
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登場人物紹介

【ルイ・マックール】

15歳の若さで世界一の大魔法使いとなった天才。

当時世界中の注目を集めたが、それっきり姿を消していた。

今回、約100年ぶりに沈黙を破り、突然の弟子とりを発表した。

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