第16話 麓(ふもと)の一軒家✰挿絵付き
文字数 3,905文字
少年テラが走り去った後。ルイ・マックールは、地面に落ちた
「ああ、頼んでおいたものもきちんと入れてくれている。あとでお礼をしなくてはね」
バスケットの中から
「さて、今朝はルナの好きな丸パンのようだよ。朝食としよう」
「お師匠さま! いいんですか? 今の子、すっごく怒っていました」
「
ルナには、とてもそれだけのことには見えなかった。
(そんな!)
ルナにとっては、とんでもないことだった。
ルナは小学校でも男子と話すのが
「お師匠さま。わたし、知らない男子に説明なんて――」
「――知らない?」
ルイ・マックールはルナの話すのをさえぎって聞き返した。
「知らない子ではないだろう。テラは毎朝僕たちの食事を買ってきてくれている。ルナも朝食の
ルナは
「……
ルナは、おそるおそるうなずいた。
「それでは、まだ一度も
ため息をつくお師匠さまを見て、ルナは泣きそうになった。
「いいかい、ルナ。ここには僕の城と、
ルイ・マックールは
「朝食の買い出しだけじゃない。夕食もそのうちから分けて頂いている。それを食べているきみも、あの家の世話になっているということだ。わかるね?」
「……はい」
涙声で返事をするルナに、ルイ・マックールはやれやれと手を伸ばした。ルナよりずっと大きくて
「泣かなくていいんだよ。年も近いことだし、すぐに勝手に行き来する仲になるものだと思い込んでいた。朝食を食べたら、
ルナはパーカーの袖で涙をぬぐいながら、ぐすん、とうなずいた。
「……少しきつく言い過ぎたかな。女の子は
ひとり言をつぶやいて、ルイ・マックールはしょんぼり丸まった背中に、そっと手を
――麓の一軒家。
そこはルイ・マックールがそう呼ぶのも
ルナはゆううつな顔で、
(お師匠さまがあんなに怒るくらいだもん。きっと怖い人が住んでるんだ)
さらに、怒って帰ったテラのことも思い出して、いっそう気は重くなる。
けれど、いつまでもこうして立っていては、あいさつするのがどんどん遅くなっていく。
意を決して、ルナは玄関のドアをノックした。
コン、コン。
ルナのノックは思った以上に
か細い
音を立てた。少し待ったが、返事はない。(聞こえなかったのかな?)
どん、どん。
「…………」
何も聞こえない。
もう、今日は留守なんだ。ルナがそう思おうとしたとき、ドアがきしむような音を立てた。
「!!」
ほんの少しだけ、ドアに隙間ができている。
「どうぞ、お入り」
中から聞こえたお年寄りの声に従い、ルナはそうっとドアを開けた。
ルナの目に飛び込んできたのは、編み物をしているおばあさん。
大きな
手元は窓から差すお日さまの光を浴びて、明るい。
骨ばった指は、
毛糸は小粒な光をきらめかせ、すうっと一本、床に向かって伸びていた。
ルナはその光景に、吸い込まれるように見惚れた。
特に
おばあさんの服はルイ・マックール以上にとても質素。その服の上を流れるように鮮やかな糸が伸びている。
糸はおばあさんの手元では赤色をしている。なのに、ひじの辺りでは青に。それから黄、橙と色を変え、ロングスカートのすその辺りでは紫色から緑色になっていた。
そうやって、ルナの目が毛糸を
毛糸玉はどれも同じ種類のグラデーション。
あんまり山盛りに積まれているので、いくつか床に置かれた浅いカゴから転がり落ちている。
部屋には他に何もない。
床もこんなにきれいに掃除してあるのだから、おばあさんはきっと
それだけに、転がりっぱなしの毛糸玉が気にならないのかなと、不思議に思ったけれど、もしかしたら、気がついていないのかもしれない。
「男に泣かされたね」
「え!」
突然話しかけられたのと、言われ
おばあさんの方はというと、笑うでもなく、怒るでもなく、いたって落ち着いている。さらには「目が赤いよ」と
「あ……。これは、お師匠さまに……」
「そうかい。てっきり、うちのがやらかしたのかと思ったよ」
おばあさんは編み物を
そんなちょっとした動きさえ、体中の骨がギシギシと音を立てそうに見える。おばあさんは、揺り椅子のひじ掛けに立つ銀猫をなでた。
「あ! 銀猫ちゃん!」
「男前だろう?」
(オスだったんだ。今度から“ちゃん”はやめた方がいいかな?)
おばあさんは宝物を扱うように、銀猫の
失礼なことだけれど、ルナはつい、じろじろとお家の中を見てしまった。
銀猫が入っていったのは、ルナから見て右のドア。
反対側にも部屋がある。ドアは開けっ放しにしていて、ちらりと
何もない家かと思ったら、よく見ればちゃんと食器棚もあるし、壁には何かの植物が逆さまに吊るしてある。
おばあさんのそばには丸いサイドテーブルもあって、編み終えたものをたたんで重ねている。
(あれ?おかしいな……)
玄関のドアを開いたとき、たしかに、ルナの目には正面の四角い窓と、揺り椅子に座って綺麗な毛糸を編んでいるおばあさんしか見えなかった。
実際ここは、ルイ・マックールのお城以上に物が少ないし、玄関からおばあさんの座る揺り椅子までの一直線上に、視界をさえぎるものはない。
それで、そう見えただけかもしれない。
そこまで考えて、ルナはやっと自分が何をしにここへ来たかを思い出した。
「あの、ごあいさつが遅くなってしまって、ごめんなさい。お師匠さまに……じゃなかった、ルイ・マックール先生に弟子入りしました、ルナと言います。あ――」
(――これは言っていいことなのかな……?)
ルナはお師匠さまから、アレコレ秘密にしておくように言われている。たしか、ルナのことは、世間には性別と名前だけが公表されていて……。
(何かしゃべっちゃいけないことがあった気がするけど……何だっけ? でも、お師匠さまはあいさつに行くように、おっしゃったし……)
ルナが困っていると、おばあさんはさしてルナに興味を持つ風でもなく、いつの間にやら編み物を再開している。
「あの、いつも朝ご飯と夕ご飯をありがとうございます!」
ルナは両手をそろえて、大きくおじぎした。
「礼を言われるほどのことじゃない。前からルイの分も作ってたんだ。子供一人分くらい、大して変わりゃしないさ。仕事が増えたのはあの子だ。毎日二回、山の上まで運んでやってる。同じことをテラに言っておやり」
「あ、はい……。テラ……くんは、どこにいますか? さっき、とても怒らせてしまったから……」
「あの子の行くところなんか、ここにはそうありゃしないね。山の上の林か、ルイの城の図書室か」
ありがとうございましたと、これからよろしくお願いします。そう言って挨拶を
深いしわの中で小さくきらめいていた瞳は、結局一度もルナのことを見なかった。
ルナが挨拶している間も、ずっと手元ばかり見ていて、ちっともルナに関心がなさそうだった。
正確には、一度くらいは見たのかもしれない。だって、ルナの目が泣いた後の「赤い」目だと言い当てたのだから。
(怒られるよりはいいけど……)
想像していたよりも、ずっとあっさりしていて、ちょっと拍子抜けだった。
ルナは山に向かって歩き出した足を止め、葡萄酒色のうろこ屋根を振り返る。
やけに綺麗な毛糸を、
その光景が、ルナの目にいつまでも印象的に残っていた。
—————————————————————
[挿絵:(モモ)様]
https://skima.jp/profile?id=196161&sk_code=sha09url&act=sha09url&utm_source=share&utm_medium=url&utm_campaign=sha09url
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)
(ログインが必要です)