第7話 一番泣きたい気持ち

文字数 3,651文字




 カーネリア・エイカーのほうきは、結局ルナに(なつ)かなかった。

 ルナは一日がかりで根気(こんき)強く取りかかった。
 けれど、まったく相手にされなかったうえに、最後には、とうとうお城の外に()き出されてしまう始末(しまつ)
 これには外からこっそり見学していた猫ちゃんも、どこかへ逃げてしまったほど。

『カーネリア以外、認めたくないのかもしれない』

 お師匠さまは、同じような気持ちを抱えるものとしてそう思うと、ルナに言った。

「いたた……」

 まったく、あの(あば)れん坊のせいで、お湯があちこちに()みた。
 特に痛いひじのすり傷を大げさに確認しながら、ルナはバスルームから部屋に戻ると、くちびるを(とが)らせて、(いきお)いよく布団に(くる)まった。

 カーネリア・エイカーのほうきにも、いろいろと複雑(ふくざつ)(おも)いがあるのかもしれない。
 けれどルナだって、初めて家族と(はな)れて、知らない国にたった一人で、それも住み込みの弟子入りなんてすることになった。
 それはそれは、ほうきには想像(そうぞう)(ぜっ)するコドクや不安があるってものだ!

「なのに、あんなにハッキリ拒絶(きょぜつ)するなんて……」

 昼間はおそうじに集中することで、なんとか誤魔化(ごまか)してきた気持ちを、ぽつぽつ思い返していく。

「力は強いし、まるで掃き()てるみたいに乱暴(らんぼう)に追い出して……」

 ルナにはそれが、とても悲しかった。

「わたしはいらないってこと……?」

 今にも涙がこぼれそうになりながら、しょんぼりつぶやいた。
 気づけば、怒りはどこかへ消え、ナサル山(ここ)に来て以来、一番泣きたい気持ちになっていた。ルナは、ハッとした。

「あのほうきには、置いて行かれたことが、一番泣きたい気持ちになったこと……?」

 今のルナには、ほうきの悲しい気持ちが想像できる。

「……勘違(かんちが)いしたとはいえ、わたし、ヒドイこと言っちゃったんだ」

 ルナは明日の朝起きてすぐ、謝ろうと決めた。
 それから、あのほうきはカーネリア・エイカーのことが大好きだったんだろうな、とベッドの中で想像した。

(……100年くらい()った、今でも)

 あの後ルイ・マックールは少しだけ、当時のカーネリア・エイカーのことを聞かせてくれた。
 きっかけは、ルナがルイ・マックールのことを「お師匠さま、お師匠さま」と呼んでまわること。ルイ・マックールには、それがどうにもくすぐったい。
 ルナが不思議がると、お師匠さまは嬉しそうに、最初の弟子カーネリア・エイカーとの思い出を語ってくれた。

「はじめはね、僕のことを『先生』なんて、ふざけて呼んでいたんだ。それがいつの間にか、いつもの呼び捨てに戻っていてね。まったく、カーネリアは弟子になった自覚が足りないんだ――」

 この話を聞いたとき、ルナは、それはそれは驚いた。
 師匠と弟子の関係であるはずのふたりが、そんなに仲良しだったなんて!

 カーネリア・エイカーといえば、ひょっとすると、ルイ・マックールよりも謎に包まれた存在かもしれない。
 彼女がルイ・マックールの弟子になったのは14の時。
 当時、容姿端麗(ようしたんれい)成績優秀(せいせきゆうしゅう)のラッキーガールとして世間の注目の(まと)となったが、ルイ・マックール同様(どうよう)、それっきり確かな情報はない。

 彼女の居場所が誰にも知られていないのは、ルイ・マックールと一緒にいるからだと、ルナはずっと思っていた。
 まさか、『出て行った』だなんて――今日、初めて知ることだった。

 ルナのように、彼女のことはみんな勝手に解釈(かいしゃく)しているのかもしれない。ルイ・マックールと違って、カーネリア・エイカーには、(うそ)か本当かわからないような(うわさ)は聞かないから。

(そういえば……)

 ルナは、お師匠さまの言葉を思い返した。

『明日の修業は休みにして、ルナのほうきを買いに行こう』

(たしか〈大バザール〉っていう場所で、世界中の魔法使いが買い物にやってくるって、おっしゃっていた)

 一体どんなところだろうと、ルナはだんだんワクワクしてきた。
 ルナも多くの女の子たちと一緒。〈お買い物〉に行くと聞くだけで、胸がときめく。なんにも買わなくたっていい。いろんなお店を見て回るだけで、あっという間に一日()ってしまう。

(明日は、ほうきを買うのが目的だから、雑貨屋さんには寄ってくれないかもしれない。あと、おこづかいもそんなに持って来ていないし……。あんまり期待しすぎないようにしなくちゃ!)

 寝ようとするのだけれど、ルナの頭は勝手にアレコレ楽しいショッピングを想像してしまう。

(世界中から魔法使いがやってくるなんて、どんな物が売ってるんだろう? お菓子はあるかな? いろんな国のお菓子が売ってるかな?)

 ルナは今日一日、あんなに体を動かしたというのに、なかなか()つけなかった。



 大バザールの、車専用(せんよう)大通り。
 混雑(こんざつ)はいつものことだけれど、今日は()をかけて進まない。
 車窓(しゃそう)から顔を(そむ)けた拍子(ひょうし)に、大ぶりのシャボン玉の形をしたイヤリングが「イヤイヤ」と()れた。
 まだ昼前の、さわやかな空の下だというのに、女性客は重い溜息(ためいき)をつく。
 目を()せていては、せっかくきれいにカールした長いまつげが、もったいないようだけれど、それさえ美しい仕草(しぐさ)となってルームミラーに(うつ)った。

「なんだか、とってもざわざわして……。落ち着かないわ」

「そりゃそうですよ。なんたって、かの大魔法使いが100年ぶりに新弟子をとったというんですからねえ! そこら中がお祭り騒ぎですよ!」

 タクシードライバーは祭り好きなのか、わっはっはと愉快(ゆかい)そうに笑った。

「単なる噂でしょう?」

「いえ、いえ! 今回ばっかりは正真正銘(しょうしんしょうめい)! 本当のことですよ! ルイ・マックールから正式な声明(せいめい)が、二度もあったんですからねえ」

「そう、……正式な声明」

 後部座席の憂鬱(ゆううつ)そうな美人は、やはりあいまいな返事をした。
 タクシードライバーはこの(うるわ)しい乗客をチラチラとミラー越しに盗み見る。拾ったときから、もう何度目のことだろう。

「お客さん、観光ですか?」

「いえ」

「そうですか! ほうきじゃないから、てっきり!」

 タクシードライバーは、いかにも意外そうな声を上げた。
 

でほうきではなくタクシーを利用して、おまけにルイ・マックールの話に(うと)い。おおかた〈魔法使わない〉の個人旅行者だろうと、見当をつけていたからだ。

「いま、持ってないんです。何本買い換えても、すぐに折れてしまって。なかなか骨のあるほうきに出会えないわ。いいお店をご存知(ぞんじ)ないかしら?」

「それだったら、いいのがありますよ! 大通りは観光客相手でしょう? 裏の通りになるんですけどねえ。店構えは小さいが、しっかりしたのがそろってますよ。実をいうとねえ、うちのも例の弟子取りに志願しまして……。買いに行かされましたよ」

 タクシードライバーは、たはは、と苦笑いをこぼした。今はどこの店もほうきは品薄らしいが、そこならあるかもしれないという。

「それにしても――」

 美しき魔法使いは、そこかしこで目に入る『ルイ・マックール』の文字に眉を寄せる。

「――弟子はもう決まったんでしょう? まだお祭りは続くものなの?」

「前夜祭、祭り当日、後夜祭、ってところです。どこの世界に行ったって、落ち着く場所はないですよ!」

 タクシードライバーはやはりこの話題が好きなようで、声の調子が格段に上がった。

「名前は、何ていったかな。前のことがあるから、簡単にしか公表されなかったんですよ」

「へえ」

 女性客はあからさまに嫌な声を出したけれど、タクシードライバーは気が付かない。

(とし)も住んでる国も明かされなかったけれど、お月さまみたいな名前でしたよ。うちも娘でしてねえ、聞いたときはがっかり……」

 タクシードライバーは口をつぐんだ。
 ミラー越しに見えた後部座席の美しい眉が、恐ろしいほど吊り上がっている。

「お、お客さんも志願していたとはなあ」

「志願なんかしていません!」

 心なしか、カーネリアンレッドの長い髪が逆立っているように見えた。
 ここでふと、タクシードライバーの頭に疑問がよぎった。

――女性客(このひと)の髪の色はこんなだったか――

 けれど今は、それどころではない。
 タクシーの中は、魔女の不快な感情でパンパンにふくれ上がっていた。

「……若い娘を選んだのね。舞踏会で出会う貴族の娘たちには()きてしまったのかしら?」

 その皮肉たっぷりな言い方は、まるで大魔法使いを見知っているようだ。
 タクシードライバーは恐ろしさ以上に好奇心を抑えきれなくなった。

「お客さん! もしかして、かの大魔法使いルイ・マックールを――」

「知らないわよ、そんな男!!」



 大バザールの車道(わき)人垣(ひとがき)ができている。
 中で何が起きているのか見えないが、そもそも、ここはそういうところだ。
 ルイ・マックールは適当(てきとう)に人の少ないところを選んでほうきを()めた。

「さあ、着いたよ」

 ルイ・マックールのほうきの後ろから、ルナがぴょんと飛び降りた。

「わあ……!」

 目を回しそうになるほどの人の多さ、お店の多さ、道の広さ。そして、どこかから(ただ)ってくる()いだことのない不思議な香り。
 ルナはすぐに、この場所が気に入った。 


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登場人物紹介

【ルイ・マックール】

15歳の若さで世界一の大魔法使いとなった天才。

当時世界中の注目を集めたが、それっきり姿を消していた。

今回、約100年ぶりに沈黙を破り、突然の弟子とりを発表した。

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