第3話 はじめまして
文字数 2,854文字
(この人が、ルイ・マックール……?)
噂話だけが、何十年も語り継がれ、誰もが聞き知っているが、見た者はほとんどいない。
まるで空想上の生き物のようなその人が、いまルナの目の前に、
人として
立っている。「……本当にいたんだ……」
ルナの一番の感想だった。
ルナにとっては、おとぎ話の中だけに存在する人が、近所の人みたいな近さで現れた。
ルイ・マックールは普通の人間と同じ大きさで、息遣いもルナの周りの大人のひとと変わらない。
それがなんだか、とても不思議だった。
それから次に印象に残ったのは、ルイ・マックールの青い目が、ほのかに淋しそうだったこと。
ルナにはとても意外だった。
だって、ルイ・マックールは世界一の大魔法使いなのに。
ルナはそのまま、ぼうっとルイ・マックールのお顔を眺めていた。
世界中の女の子たちを夢中にさせたのもわかるくらい、ルイ・マックールは美しい。
少し伸びた金色の前髪が
はらり
と目にかかって、そこだけ無造作に耳にかけてある。耳に飾りはひとつも無い。
服はくたびれた青色のローブのような、マントのようなものを一枚と、その中に白っぽい上下。
ルナの見たところ、服装には、どこも
世界一らしい
ところは見当たらない。けれど、どことなく人を惹きつける何かを放っている。
それは、単に顔かたちが良いというものではなく、独特の雰囲気。
言うなれば、特別製の香水のような――いい匂いで、人を
これが、ルナの知らない魔法使い特有の〈魔力〉というものなのだろうか。
けれど、ルナの国にも少しいる魔法使いから、こんな雰囲気を感じたことはない。
ルイ・マックールという人が、世界一の大魔法使いだからだろうか。
そのほかには、唯一、マントの左胸と肩の間あたりに羽根が差してある。
他に
それは色鮮やかで、宝石みたいに綺麗だった。
「ルナ、初めまして」
声をかけられてやっと、ルナは自分があいさつ一つしていなかったことに気がついた。
おまけに、首が痛くなるほどルイ・マックールを見上げて、そのお顔を穴が開くほど見つめていたなんて!
「は、はじめまして! ルナといいます!」
ルナは大慌てでお
(どうしよう、失礼なことしちゃった……! わたし、焼かれるのかな!?)
いくら見た目が素敵だからって、相手は世界一の大魔法使いだ。
怖い魔法をいくつも知っているだろうし、どんなお仕置きをされるかわからない。
ルナはぎゅっと目を閉じて、体を縮ませた。
「きみの好きなものは何だい?」
想像していた怖い言葉とは別のものが聞こえたので、ルナは何と言われたか、すぐにはわからなかった。
ルイ・マックールの言葉は、思っていたよりもずっと平和的なものだった。
「……すきな、もの……?」
ルナは目を開けてきょとんとした。
ルイ・マックールは怒った顔をしていない。
口元は優しく笑っている。
「自己紹介をしてほしいんだ」
そういうことか、とルナは緊張しながら答えた。
「好きな色は、うすむらさき色です。趣味は、お菓子作りです。それから……」
ルナは、もうひとつのことも言おうか、少し迷った。
趣味や特技と紹介できるレベルのものではなかったからだ。
それでもルイ・マックールに聞いてほしいと思ったのは、彼が穏やかな声の持ち主であることと、ルナに〈趣味や特技〉とは聞かず、「
好きなもの
は」と聞いたからかもしれない。ルナは弟子に立候補したときみたいに、いつもより一歩だけ、踏み出してみた。
「それから、お絵かきです! 絵画みたいなリッパなものじゃなくて、ノートの端っこに描いた落書きみたいな絵なんですが……。そういう絵が、好きです。描くのも、自分が描いたのも……」
だんだん声が小さくなっていく。
最後の方はわざと聞こえないように
だって、自分の落書きが好きだなんて言ってしまったから……。
「とてもいいね。それも立派な絵だよ」
ルナのほっぺは、ほわああ、とあたたかくなった。
「それに……自分の描く絵が好きだなんて、
緊張していたルナの心が、ゆるゆるとほぐれていく。
目を細めるルイ・マックールの表情は、こうして見るとやはり、
そこでハタと、ルナは今更ながら気が付いた。
「おじいちゃんじゃない!!」
ルイ・マックールといえば、100年前に世界一になってからすぐにカーネリア・エイカーを初めての弟子にした、というのが定説だ。
「……15歳で世界一の大魔法使いになったから……100足す15で、115歳?」
けれど、ルナの目の前の大魔法使いはそんなお年寄りには、とても見えない。
むしろ、ルナのお父さんよりも、ずっと若く見える。
大魔法使いは、新弟子の失言にも、さして気を悪くした様子はなく、「さて」と、くすんだ青色のマントをひるがえした。
「これから、きみのご家族と世間さまに
(ええっ!!)
あまりに事が急すぎる。
ルナの頭の中で、一気に質問が
こんな感じで本当に、ルナが
やっぱり
選ばれたのは、ルナひとりなのか、それともすでに部屋で休んでいるのか。
ルイ・マックールにルナの混乱は知る由もない。言いっぱなしで出て行こうとするのを、ルナは大慌てで呼び止めた。
「お師匠さま!」
ルイ・マックールは、ぎょっとした顔で振り返った。
「お師匠さま……?」
なぜそんな顔をするのかルナにはわからなかったが、ひとまず引き留めることができた。ルナは急いで次の言葉をつなぐ。
「わたし、今夜はここに泊まるんですか?」
「今夜だけじゃないよ。弟子は住み込みだからね」
(住み込み!!!! そんな話、聞いてない!!)
ルイ・マックールという人は、話し方は
「急に困ります! なんにも持ってきていません。それに、お母さんたちだって、心配します! わたしが弟子になるつもりだなんて……少しも知らないんです」
ルナは家族の前で、魔法使いに憧れる
家族はきっと、ルナは将来お菓子屋さんか絵描きになりたいと思っているだろう。
ルナはそうとは決めていなかったけれど、学校から帰るとすぐにお友達とお菓子を作ったり、楽しそうにお絵かきしているルナを見て、そう思ったに違いない。
「大丈夫。そういう話をしに行くんだよ。ルナは心配しなくていいから、早く食べて休みなさい。明日の朝食は一緒に食べよう」
ルイ・マックールは大きな両開きの扉を開けて、夜の中へ消えてしまった。
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