第4話 春雷
文字数 1,424文字
○江戸の南千住、幕末
南千住の人気茶屋「伊勢屋」の看板娘さやは、年の頃は十五で花も恥じらう器量よし、客の中には言い寄る漢も少なくない。
○○国から来たという浪人者○○は数知れず、いちいち覚えてもいられない。
「今は、浪人風情。しかし、いずれは武芸のたしなみによって仕官したいと思うておる。その暁には、必ずやさや殿を」(無理であろうな、金子がなければ)
そういった輩は、すきあらばさやの手を握ろうとする。
「あらいやですわ、お客さん」
(しつこいお客さんは嫌い)
いい加減、客のあしらいに気疲れしたさやは、暮れ六つまでの勤めを夕七つで切り上げ、本所までの家路につくことにしている。
「では、旦那様お先に失礼します」
(皆の覚えがいいわ)
気立てのいいさやは、あがる時の挨拶も忘れない。
本所への家路の途中、ちょうど泪橋を過ぎた辺りで、さやは夕立ちに見舞われた。
辺りは、にわかに昏くなりざあっという雨音が高くなった。
さやは、慌てて木賃宿の大店「大阪屋」を認めるとその軒先に入り込み、さっそくに雷鳴を聴いた。
どっどーーん。雷鳴が轟くとさやは慌てて臍を押さえた。
「あーん、御臍がとられちゃーう」
さやは、祖母がしてくれる昔語りを純粋に信じていたのである。
さやが大阪屋の軒先で雨宿りをしてしばらくのことである。
「はあ、はあ」
軒先に見知らぬ浪人風情がいきせききって入ってきた。
雨は、ますます烈しくなって来た。さやは赤の他人と雨宿りするのもいたたまれず、口を開いた。
「あら、夕立ちかしら。ますます...」
「....」
見知らぬ浪人風情は、あくまで寡黙である。
また、遠くで雷鳴が鳴り響いた。浪人は意を決したように軒下を飛び出して走り出した。
さやは、浪人が消えて行った方角を呆然として見ていた。ただ、雨飛沫で霞んでいるばかりである。
「ここに浪人風情がいきせききって走って来なかったか」
しばらくして、次に軒下に駆け込んできたのは、八丁堀の同心小橋一舟である。
「あら、八丁堀の旦那さん、何か?」
(いい漢)
「いや、ついさっきなのだがこの先の泪橋で殺しがあってな。匕首で腹をぐさりと」
「まあ、鬼に御臍をとられたんだわ」
(可愛く見えるかしら?)
「さや殿、そなたは嫁に入ってもおかしくはない歳なのに、まだそんな昔話を信じているのか」
(惜しいな、可愛く見えるが頭が悪い)
小橋は、さも呆れたという風に蛇の目傘を広げると浪人が走り去った方角に消えて行った。
「もういやだ、雨はやみそうもないわ」
さやは、大阪屋で蛇の目傘を借りることにした。
「傘を貸して下さいな」
(蝦蟇みたいな旦那、気持ち悪い)
「ええがな、ええがなー。
夜目、遠目、傘の下、
江戸の美人は、蛇目に牡丹や。
もってき」
「あら、いやだ。旦那さん口説いてるの」
(貞操は守らないと)
「ほな、さやちゃんみたいなべっぴんはん、くどかん方がおかしいがな」
さやは、蛇の目傘を広げて空を見上げた。
そらはますます昏く、雨脚が強くなってきた。
遠くで雷鳴が鳴ると、さやもまた漢二人が消えた方角へと意を決して歩み出した。
(本所まで、まだ遠いな。もうこんなに昏いのに)
南千住の人気茶屋「伊勢屋」の看板娘さやは、年の頃は十五で花も恥じらう器量よし、客の中には言い寄る漢も少なくない。
○○国から来たという浪人者○○は数知れず、いちいち覚えてもいられない。
「今は、浪人風情。しかし、いずれは武芸のたしなみによって仕官したいと思うておる。その暁には、必ずやさや殿を」(無理であろうな、金子がなければ)
そういった輩は、すきあらばさやの手を握ろうとする。
「あらいやですわ、お客さん」
(しつこいお客さんは嫌い)
いい加減、客のあしらいに気疲れしたさやは、暮れ六つまでの勤めを夕七つで切り上げ、本所までの家路につくことにしている。
「では、旦那様お先に失礼します」
(皆の覚えがいいわ)
気立てのいいさやは、あがる時の挨拶も忘れない。
本所への家路の途中、ちょうど泪橋を過ぎた辺りで、さやは夕立ちに見舞われた。
辺りは、にわかに昏くなりざあっという雨音が高くなった。
さやは、慌てて木賃宿の大店「大阪屋」を認めるとその軒先に入り込み、さっそくに雷鳴を聴いた。
どっどーーん。雷鳴が轟くとさやは慌てて臍を押さえた。
「あーん、御臍がとられちゃーう」
さやは、祖母がしてくれる昔語りを純粋に信じていたのである。
さやが大阪屋の軒先で雨宿りをしてしばらくのことである。
「はあ、はあ」
軒先に見知らぬ浪人風情がいきせききって入ってきた。
雨は、ますます烈しくなって来た。さやは赤の他人と雨宿りするのもいたたまれず、口を開いた。
「あら、夕立ちかしら。ますます...」
「....」
見知らぬ浪人風情は、あくまで寡黙である。
また、遠くで雷鳴が鳴り響いた。浪人は意を決したように軒下を飛び出して走り出した。
さやは、浪人が消えて行った方角を呆然として見ていた。ただ、雨飛沫で霞んでいるばかりである。
「ここに浪人風情がいきせききって走って来なかったか」
しばらくして、次に軒下に駆け込んできたのは、八丁堀の同心小橋一舟である。
「あら、八丁堀の旦那さん、何か?」
(いい漢)
「いや、ついさっきなのだがこの先の泪橋で殺しがあってな。匕首で腹をぐさりと」
「まあ、鬼に御臍をとられたんだわ」
(可愛く見えるかしら?)
「さや殿、そなたは嫁に入ってもおかしくはない歳なのに、まだそんな昔話を信じているのか」
(惜しいな、可愛く見えるが頭が悪い)
小橋は、さも呆れたという風に蛇の目傘を広げると浪人が走り去った方角に消えて行った。
「もういやだ、雨はやみそうもないわ」
さやは、大阪屋で蛇の目傘を借りることにした。
「傘を貸して下さいな」
(蝦蟇みたいな旦那、気持ち悪い)
「ええがな、ええがなー。
夜目、遠目、傘の下、
江戸の美人は、蛇目に牡丹や。
もってき」
「あら、いやだ。旦那さん口説いてるの」
(貞操は守らないと)
「ほな、さやちゃんみたいなべっぴんはん、くどかん方がおかしいがな」
さやは、蛇の目傘を広げて空を見上げた。
そらはますます昏く、雨脚が強くなってきた。
遠くで雷鳴が鳴ると、さやもまた漢二人が消えた方角へと意を決して歩み出した。
(本所まで、まだ遠いな。もうこんなに昏いのに)