第5話 巌牢の女囚

文字数 2,714文字

巌牢の女囚

○ 飛騨国、戦国時代

 飛騨国の山あいで百姓をしている平太(16)は、幼少の頃より読み書きに興味を示し、村の寺子屋に熱心に通った。

 寺の住職鎮年は、ことのほか平太を可愛がった。妻帯しないので息子がいないこともあったが、平太の熱心に学ぶ姿勢が気に入っていたのである。

 といっても住職へのつけ届といえば、村でとれた野菜やわずかばかりの米ばかり、貧しい村の暮らしを目の当たりにする住職は平太の行く末を心配しないではいられなかった。

 「のう平太。おまえも一人前に読み書きができるようになった。いっそ仕官してみんか」
 鎮年は、平太の顔色を伺った。

 「と、いいますれば」
 村の百姓仕事しか知らない平太には、一種の晴天霹靂であった。

 「実はな、御領主様がな今度堺から鉄砲を買い付けてな」(おまえみたいな百姓には分からんかもしれんがな)

 「鉄砲?」
(住職は、時々酔狂を言われる)

 「おお。伴天連がこの日の本にもたらした新き武器じゃ」(伴天連がそもそも理解がな)

 「弓や刀の類いですな」
 平太は、身を乗り出した。
(よく分からないなぁ)
 

 「それでな、今度鉄砲隊というものが組織される。鉄砲隊というのは、一隊が少なくとも二十人くらい、それで飛騨国の百姓の息子からいきのいいのがいれば紹介してくれと、お上からの御達しなのじゃ」(おまえを長年二束三文で面倒見てきたのじゃ、そろそろ恩返しをしてもらわんとな)
 

 「いきまする。住職様の薦めなら、いきまする」(一生田畠をやるだけでは夢がないし)

 「うむ。おぬしの将来を案ずれば、それがよかろうて。紹介状をしたためるゆえ、それをもってそうそうに○○城に出向くがよい」
(しめしめ、これで有望な若者を次々と送り込むことができれば、御領主様の覚えもめでたい。いずれは、茶坊主になり登城もかなうやもしれん。運が開けてきたワイ)

○ 飛騨国○○城の城下

 飛騨国の○○城は、領主の出城であり山腹に築かれた山城であった。

 鎮年からの紹介状を携えた平太は、すぐに鉄砲隊に採用されて足軽になったが、ここでの生活は意外に暇で楽なものであった。

 平太たち新しく採用された若い足軽は、山城城下の番小屋に寝泊まりする。国境の異変を監視するのも平太たちの仕事だ。

 鉄砲隊の射撃訓練はたいてい城外、午前中に行われる。指南役の鉄砲師範の指導指示で鉄砲を撃つのであるが、「ガガーン!」と一発撃つごとに炸薬を詰め直しても十発も撃てば訓練は終了となる。

 飛騨国は貧しく天守閣には、大量の弾薬を備蓄する余裕はない所以である。

 あとの午後から、平太は同じく百姓あがりの足軽に混じり、陽が暮れるまで城の周囲にある畠に出ては野菜作りに励んだ。
 (なんだ、村の百姓仕事に比べれば楽だな)

 射撃訓練といっても当初毎日あったものが、二日にいっぺんになり、それが三日にいっぺんになり、やがて七日にいっぺんになると平太は足軽頭に呼び出された。
 
 「おまえ、読み書きが出来るそうだな」
(ふん、百姓あがりのくせに生意気な)

 「へえ、村の寺子屋で覚えました」
 平太は、得意満面で応えた。

 「では、それがしに同道してもらいたい。頼みたいことがあるのじゃ」
(何か落ち度があれば、即解役じゃな)
 平太は、城内に招かれた。

○城内

 城門を潜るとすぐに高札があった。
 「風態怪しき者は、諮問して通さず...」
 平太は、興味津々であったが、敢えて興味のないフリをして足軽頭の後に従った。

 平太が、足軽頭から申し付けられた仕事は、城の厨房から出された膳を牢番の元へと運ぶ簡単な端役でしかなかった。
 
 ここが山あいの山城ではなく、平城であれば女中でも出来そうな軽い仕事に平太は内心落胆した。

 山城は、山を背にして建っており、城の奥深くには、山肌の巌を削って作った巌牢があった。その入口に常駐する牢番に食事を運ぶ他、巌牢に捉えられている囚人の食事も運ぶのである。
 
 牢番は日に二回、囚人は日に一回の食事なので天秤棒で運べば造作もない。平太は、同じく足軽の貞吉と一日交代で城内の足軽屋敷に寝泊まりすることになった。
 「あー、畳の部屋だ。布団もある。有り難えな」(貞吉がいなけれゃ、この仕事はおらのもんだ。しかし、奴がいないと城内で虐められそうだな)

 配膳係を始めて数日の事である。平太は奇妙な事に気が付き始めた。牢番の膳よりも囚人の膳の方が豪華なのである。

 麦飯に潮汁、漬物という一汁一菜の他、ヤマメなどの焼魚、高野豆腐などが一品多く付くのである。

 あまりに不思議なので平太は思い切って牢番にきいてみた。
 「あのう、どうして囚人の分の方が豪華なんですか。巌牢の中にいる囚人は、いったいどんな人なんで?」

 「うるさいっ!おまえはただ黙々と食事を運んでおればいいのじゃ。詮索は無用ぞっ!」
 牢番が脇差に手を掛けたので、平太はそれに気圧されてそれきり口をつぐんでしまった。
(そんなに怒り狂うほどの問題だろうか)
 
○城内の厨房

 その日、配膳係だった平太は、明け六つには厨房に出仕していたが、全く準備の様子もない。第一、水煙一つあがっていないのだ。

 「何?男の子が?それは大変...」

 「今、お館様の評定で...ただではすまんな」

 「近江の高野山か...あるまいて」

 山城の厨房は、男ばかりなので内緒話も声が張って、平太には所々が聴こえてくる。

 やがて、巌牢の方から鶏がしめられるような女の絶叫が聴こえてきた。

 「いや!それだけは勘弁して!」

 それに続き、女の啜り声に混じって赤児の泣き声が聴こえてきた。

 平太が厨房の窓から外を覗くと弓馬で鳴る家来衆の一人が、赤児を背負って馬で城外に走り去るところであった。

 女のすすり泣く声は、正午過ぎになっても
巌牢から聴こえていたが、それは夕の五つにはピタリと止まった。

 「....し、舌をか?」

 「...元々は、あの方は○○様の側室...」

 「...お相手は、なんと○○様っ!」

 「しっ、おぬし声が高いぞっ」

 厨房内の噂話も詮索すればまた怒られると思い、耳だけは兎のようにそば立て、またいっそう雑巾掛けに励む平太であった。
「暮れ六つには、あがらせてもらいます」
(おらの村では、男の子が産まれれば田畠の力になると喜ばれるのにな)

 
 
 

 



 

 

 
 
 

 



 
 

 
 

 
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