第3話 坂下の民

文字数 1,042文字

坂下の民

○下野那須塩原、壇ノ浦の合戦からしばらくして 

 鬼怒川の遥か上流、那須塩原の温泉宿からまたさらに北上した人里離れた連山の入り口にその集落はひっそりとあった。

 「おいっ、ここに平家の落人は来なかったか?」(ここの村人は、汚いしみすぼらしいな)
 下野の国府宇都宮から派遣されてきた役人、下条左衛門は下馬もせず居丈高である。

 「平家?とんと分かりかねます、御武家様の事なんざあ、おら達にはね」
 村人は、無精髭を撫でながら獣の皮をなめしている。

 「お前、名はなんと申す。申してみよ」
 (名があればの話だが)

 「坂下四郎と申します」

 「平家一門には朝廷から追捕官符が出されておる。見つけ次第、鎌倉に通報せねばなるまいて」
 下条は、追捕官符の写しらしいものを見せた。
 「この集落には何戸あるのだ?」
(こんな村にも婚姻があるのか)

 「へえ、十戸にも足りません。二十人も居るかいないか」
  四郎は、口が重い。

 「お前たちの生業は何だ?」
(非人、河原人のようだが)

 「へえ、山に入って熊やイタチ、狐やたぬきを獲ってきては、肉を屠り皮を鞣しては下流の町に売りに行って米と交換してくるのが生業です」

 弓を手にした四郎、その眼光が鋭いのに左衛門は気圧された。(山あいの蛮族の類か)

 陽はとっぷりと暮れ、集落に夕闇が迫っていた。

 「もう陽が暮れる。馬を休ませて飼葉をやらねばならぬ。どこか、一晩泊まれる所はないか」
(掘立て小屋ばかりじゃ、まともな宿屋がみあたらん)

 「それなら、我が家に一晩泊まればよろしい。小さいながら、付近に温泉もありますれば。また、宇都宮の御役人の口にあわぬかもしれませぬが、狸汁も用意できます」
 四郎が、傍らにあったタヌキに小刀を入れると鮮血が飛びちり、左衛門の顔に飛沫がかかった。
 

 「も、もし。タヌキを屠るのは後にしてもらえるか、そうそうに宿に案内してくれ。もうくたびれたのじゃ」(この野蛮人めが)

 「...」

「国府から、いささかの銭もあずこうて来ておるでな」(これが殺し文句よ)
 左衛門が、懐から巾着を取り出して見せた。

 「はい、それでは」
 四郎が小刀の血飛沫を拭い、懐にしまった。

 翌朝、四郎の小屋の前では、左衛門の馬が盛大に屠るのが見られたが、役人の姿は見られなかった。
 「よう、肥えた馬じゃ」

 彼の行方はようとして知れない。

 
 
 
 

 
 

 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み