2 瞳

文字数 600文字

見知らぬ登山家でも

人がいると分かっただけで

ほっとする



「良かった、この近くに旅館はありませんか、実は道に迷って」



振り向き様に話しかけた相手は

残念ながら日本語が通じそうになかった

恐らく、社会常識も通じないだろう

むしろ、私の接し方こそ、ここでは通用しない



相手の体格は私よりずっと大きく

全身、褐色の体毛に覆われていた

つぶらな黒い両目が私をじっと見つめている

私に気付かれないよう

こっそり川を横断してきたのだろう

鋭く硬い爪で川原の石を踏みつける四本足は

実にしなやかな歩き方だ

私に話しかけたのだろうか

開いた口からぞっとする牙が見えた

野性の唸り声とともに私に迫り来る









あまりにも急な遭遇だった為

私の頭の中は真っ白だった

目の前で立ち上がった熊は

太陽を遮り

私に掴みかかろうと前足を伸ばす

その迫力に飲まれた私は

恐怖で身動きひとつできず

噛みつかれ肉を引きちぎられるのを

待ち受けるしか出来なかった



恐怖感だけが全身を駆け巡っている



その時

耳をつんざく発砲音が轟き

熊の頭がのけ反った



一瞬

硬直した熊だったが、すぐに体勢を戻し、驚きが怒りに変わると

その矛先を私に向けた



威嚇を表すひと吠えと同時に

次の発砲音が鳴り響き

熊の額から鮮血が飛び散った

今度はゆっくりと後ろに倒れる



「もう少し遅かったら、貴方も今夜のシチューの具材になっていたかもよ」

川原の石ころを踏みつける音が

次第に大きくなってくる

今度は本当に人間の女の声だった

私は彼女に振り返った 
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