第4話:よど号事件2

文字数 2,084文字

 よど号の中には、危篤の父親の最期に立ち会うため郷里に向かう乗客がいたが、降機を許されず、父親は4月1日に息子の帰りを待ちわびながら他界した。金浦空港の管制塔を通して犯人グループに「せめて3日の葬儀に間に合うように、飛行機から降ろしてほしい」との遺族の要望が伝えられたが、拒絶された。事件当日は福岡で日本内科学会総会が行われる予定であった。

 そのため、乗客には医師が多く含まれていた。この医師らは、福岡で「病人」との理由で解放されることになる人質の選定に協力した。なお、その中に虎の門病院院長の沖中重雄や聖路加国際病院内科医長の日野原重明がいた。日野原の著書によれば、対馬海峡を過ぎたころ、客席側にいた犯人グループの一人が乗客に対し、「自分たちが持ち込んだ本をもし読みたければ貸し出す」と言ってきた。

 その本は、赤軍派の機関紙『赤軍』、レーニン全集、金日成の伝記、毛沢東の伝記、『共産党宣言』親鸞の伝記、伊東静雄の詩集、『カラマーゾフの兄弟』などであった。ただ、実際に乗客の中で犯人から本を借りたのは、『カラマーゾフの兄弟』を借りた日野原のみであったという。韓国で解放された乗客は日本航空の特別機で日本へ帰国したが、乗客の1人であったアメリカ人神父はこの特別機に搭乗せずにソウルで一泊し翌日に日本に到着。

 解放後、一時的に韓国へ入国したものと推測された。事件発生直後、米国人乗客の1人が重要任務を担っているとして、平壌行きの回避を要請する米当局者からの電話が日航幹部に入ったと言われ、神父の身代わりになると申し出る米国人が3人も相次いで現れるなど不自然な動きもあり、正式な日本出国を経ないままだったうえに、どうやって事件後韓国に入国したのかも明らかにされてなかった、

 さらに日本政府にも日本航空にもその行方が知らされなかったため、「中央情報局「CIA」のエージェントではないか」など疑念を呼んだ。事件後、幼児2人を除く、すべての乗客に対し日本航空から「お見舞金」が支払われた。乗客の中の1人は1977年の日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件機に乗り合わせ、二度もハイジャックに遭遇することになった。

 当時東京大学の学生であった舛添要一は、郷里の福岡に帰るため当該便の搭乗券を購入していたが、前日の夜に仲間と酒を飲んだ影響で搭乗することができず、難を逃れている。また、この旨を記した手紙を当時舛添は自分の親に宛てて送付しているが、この手紙はよど号で福岡に届けられる予定であった。後日、舛添本人のもとに返送されてきている。

 7月18日、東京都杉並区の立正高校で、光化学スモッグにより四十数人の高校生がグラウンドで倒れた。8月26日、植村直己が北米大陸最高峰マッキンリー山に単独初登頂。世界初の五大陸最高峰登頂者となる。9月5日、新潟大学の椿忠雄が、スモン病の原因はキノホルムと発表した。9月7日、厚生省、スモンの原因に関係があるとして整腸剤「キノホルム」の使用及び販売中止を通達した。

 11月25日、三島由紀夫、市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部にて割腹自決を起こした。11月29日、初の公害メーデー実施し、82万人が参加した。1970年、水俣病被害者にチッソが「当時の社長」暴力団系の警備員を雇い被害者に暴行を加えた。その件について「暴力団に払う金はあっても苦しみぬいて次々に死んでいく患者達に払う金はないのか」と海外でも報道された。

 やがて1971年となった。この頃から日本でもボウリングブームが起こった2月22日から成田空港予定地の代執行が行われ、多数の負傷者を出しただけでなく9月16日の東峰十字路事件で警察官が殉職した。3月26日、東京都内の多摩丘陵に建設された多摩ニュータウンの入居が始まった。6月30日、富山地方裁判所、イタイイタイ病第一次訴訟にて原告勝訴の判決を下す。

7月15日、ニクソンショックが、起こる。1971年にアメリカ合衆国のリチャード・ニクソン大統領が電撃的に発表した、既存の世界秩序を変革する2つの大きな方針転換を言う。当初は。一番目のもの「7月15日のショック」を指し、二番目のものは「ドル・ショック」と言われていたが、その後、後者もニクソン・ショックと呼ばれることが多く、両者を併せて「2つのニクソン・ショック」と呼ばれることがある。

 第1次ニクソン・ショック「ニクソン訪中宣言」は、1971年7月15日に発表された。ニクソン大統領の中華人民共和国への訪問を予告する宣言から、翌1972年2月の実際の北京訪問に至る『新しい外交政策』をいう。2次ニクソン・ショック「ドル・ショック」は、1971年8月15日に発表された米ドル紙幣と金との兌換一時停止を宣言しブレトン・ウッズ体制の終結を告げた新しい経済政策をいう。

 アメリカ合衆国連邦政府が、それまでの固定比率「1オンス、35ドル」による米ドル紙幣と金の兌換を一時停止した事による世界経済の枠組みの大幅な変化を指す。当時のリチャード・ニクソン大統領がこの政策転換を発表しニクソンの名を冠する。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み