第6話:岡田嘉子の愛の逃避行事件

文字数 2,057文字

 9月25日、田中首相訪中し周恩来と会談した。その後、29日、日中国交正常化の共同声明に調印した。11月13日、ソ連に亡命していた元女優の岡田嘉子が、一時帰国した。岡田嘉子は、1936年8月、岡田嘉子の舞台を演出したロシア式演技メソッド指導者で、共産主義者の演出家、杉本良吉と激しい恋におちた。

 1937年「昭和12年」日中戦争開戦に伴う軍国主義の影響で、岡田嘉子の出演する映画にも表現活動の統制が行われた。過去にプロレタリア運動に関わった杉本は、執行猶予中で、召集令状を受ければ刑務所に送られる事を恐れソ連への亡命を決意。同年12月27日、二人は、上野駅を出発。北海道を経て翌1938年1月3日、2人は厳冬の地吹雪の中、樺太国境を超えてソ連に越境。

 駆落ち事件として連日、新聞に報じられ日本中を驚かせた。この事件を機に日本では1939年「昭和14年」に特別な理由なく樺太国境に近づくこと等を禁じた国境取締法が制定された。しかし不法入国した二人にソ連の現実は厳しく入国後わずか3日目で嘉子は杉本と離され後のKGBの取調べを経て、別々の独房に入れられ、2人はその後二度と会う事は無かった。

 日本を潜在的脅威と見ていた当時のソ連当局は、思想信条に関わらず彼らにスパイの疑いを着せた。拷問と脅迫で1月10日には、岡田は、スパイ目的で越境したと自白した。このため、杉本への尋問は過酷を極め杉本も自らや佐野碩、土方与志、メイエルホリドをスパイと自白した。1939年「昭和14年」9月27日、二人に対する裁判がモスクワで行われ岡田は起訴事実を全面的に認めた。

 自由剥奪10年の刑が言い渡された。杉本は、容疑を全面的に否認し無罪を主張したが、銃殺刑の判決が下された。10月20日、杉本は、処刑された。12月26日、岡田は、モスクワ北東800キロのキーロフ州カイスク地区にある秘密警察NKVDのビャトカ第一収容所に送られた。岡田は、この収容所で自己を取り戻しソ連当局に再審を要求する嘆願書を書き続けたが、無視された。

 このラーゲリ「収容所」に約3年間収容された後、1943年1月7日からモスクワにあるNKVDの内務監獄に収容され、約5年後の1947年12月4日に釈放された。ソ連当局は、釈放前にこの5年間の虚構の経歴を作り上げた。モスクワのNKVD監獄での彼女の活動、任務は明らかではないが、極秘の任務に属したとみられている。

 杉本の銃殺は、嘉子の晩年になってようやく明らかになり、それまではずっと「獄中で病死」とされていた。「ただし後述の今野勉の調査で嘉子が1972年の里帰り以前に銃殺の事実を知っていたことは確実とされている」また、彼らの亡命は世界的演出家メイエルホリド粛清の口実の1つにされた。嘉子はソ連入国後の初期「戦後あたりまで」の事を後年語っているが、実際は話とは違った。

 いくつかの刑務所に計10年近くも幽閉されていた事や話していた事は「嘉子の意思に関係なく」釈放の時に幽閉の隠蔽として指示された作り話だったことが、嘉子の死去後の現地取材により明らかになっている。釈放後も日本へはあえて帰国をしなかった。戦後、モスクワ放送局「後のロシアの声」に入局し日本語放送のアナウンサーを務め11歳下の日本人の同僚で戦前日活の人気俳優だった滝口新太郎と結婚、穏やかに暮らした。

 また、現地の演劇学校に通い、演劇者として舞台に再び立ってもいた。一方、日本は嘉子の亡命後、第二次世界大戦が始まり、彼女は忘れられた存在だったが、戦後の1952年、訪ソした参議院議員の高良とみが嘉子の生存を確認し、にわかに日本で関心が高まった。1967年4月に日本のテレビ番組のモスクワからの中継に登場し往年と変わらない、かくしゃくとした口調で話し、またも日本中を驚かせた。

 そして、東京都知事の美濃部亮吉ら国を挙げての働き掛けで、1972年、亡くなった夫の滝口の遺骨を抱いて35年ぶりに帰国。気丈な彼女もさすがに涙々の帰国記者会見となった。その後、日本の芸能界に復帰し、映画「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」に出演、「クイズ面白ゼミナール」「徹子の部屋」などのトーク・バラエティ番組にも出演した。

 ソ連でペレストロイカによる改革が始まり「やはり今では自分はソ連人だから落ち着いて向こうで暮らしたい」と1986年に日本の芸能界を再び引退しソ連へ戻る。以降、死去まで日本へは2度と帰国しなかったが、日本のテレビ番組の取材には応じモスクワのアパートの自宅内も公開していた。日本からの取材クルーが来るととても喜んでいたという。

 晩年は軽度の認知症など老衰症状が出ていたことからモスクワ日本人会の人々がヘルパーとして常時入れ替わり立ち替わりで彼女の面倒をみていた。その後、1992年、モスクワの病院で死去、89歳没。何と表現したらよいか、適切な言葉が見つからないが、こういうドラマチックな半生を送った日本の女優がいた事も是非、知って欲しいので書いておきます。
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