第12話

文字数 2,216文字

 翌日のテストは惨憺たるものだった。ぼくはキャンパスですれ違う笑いに満ちた学生達を見て、ぼくも結局彼らと何も変わりはしないのではないかと考えているところへ後ろから声を掛けられた。日野だった。彼の目の輝きがぼくには眩しかった。
「明日あたり君のアパートに行こうかと思っていたところなんだ。ちょっと話があってね。喫茶店にでも行かないか?」
日野と入った喫茶店は響子と最初に入った店だった。ぼくは響子のことにこれほどまでにこだわるのは、結局、彼女の問題がぼくの問題でもあるからだと考えていた。
「実はちょっとしたコミュニティを作ろうと思っているんだが、君の協力が欲しくてね。」
「コミュニティを作るって?」
唐突な提案にぼくは聞き返した。
「組織じゃなくてコミュニティを作りたいんだ。作るって言うより形成したいんだ。」
「ほーお、お前にもまだそんな気力が残ってたんだ。」
「見くびってもらっては困るね。今までは力を蓄えていただけさ。」
「コミュニティって?」
ぼくは再度聞き直した。
「今、ぼくらは、いろんなことにぶつかりながら、興味を持ちながら、矛盾を感じながら、問題意識を持ちながら生活しているわけだけど、そう言ったことを他人と話す機会ってほとんどないと思うんだ。君とだってそういう話は時々しかしないし。ぼくはこの状態に一種の閉塞感を感じているんだ。感じているのはぼくだけではないと思っている。君だってそうだろう?それを打破するためのコミュニティなんだ。ただいろんなことについて話をするだけ。何の行動もとらない。結論も出さない。それが組織との違いと思っている。話し合う内容は何でもいいんだ。」
「何でもいいじゃ困るだろう?」
「そうだね。何でもいいわけじゃないけどね。ぼくがコミュニティを作ろうって考えたのは、環境の中に身を任せ、そしてそれを嘆いている自分が嫌になったんだ。嘆いていても何も始まらないって思ってね。別に環境に逆らおうってわけじゃないんだ。ぼくたちを包み込む環境をほんの少しだけ変えようってことなんだ。これはぼく自身のためにやるんだ。正直言ってぼくの存在を感じられるのは君と話している時か、それともひとりでいる時だけなんだ。あとの時間は自分から遊離してしまったところでぼくの頭と口と体が勝手に動いている。その時のぼくは生活しているだけで生きているわけではないんだ。」
ぼくは日野の話を聞きながら、少しだけ道が開けるのを感じた。響子としがらみの中で生きていってもいいのではないだろうか。彼女とならそうやって生きていけそうな気がした。
「うん、いいね。ところで人はどうやって集めるんだい?」
「そこなんだよ。一人二人は声を掛けてみようと思っている人間はいるんだが。君、誰か心当たりがないか?」
「いないことないよ。女の子で良ければ。」
ぼくは響子のことを思いながらそう答えた。
「大歓迎さ。まあね。人数は数名で構わないんだ。問題は形態だとか、内容なんだ。」
その後の話し合いで大体の枠組みが決まり、日野と店を出ると外は薄暗かった。日野と別れ、早速ぼくはその足で響子のアパートに急いだ。

 響子の部屋は暗かった。ぼくが部屋の入ると響子は電灯を付けた。ぼくは日野の話をして響子にコミュニティは入らないかと勧めた。ぼくは少し興奮していたに違いない。
「そんなことやって何が変わるの?」
と言う響子の問いかけに
「そんなのやってみないと分からないじゃないか。少なくとも今までみたいに何もしないよりましだ。君は諦めきっているだけなんだ。以前に君が言っていただろう?砂時計を動かそうとして机を逆さにしようとしたけどひとりじゃダメだったって。そのときの気持ちはどこにいったんだい?君も待っていたんじゃないのかい?こういうときが来ることを。」
とたたみかけるように言った。
「違うのよ。」
「何が違うんだい?君ができないって言うのであれば、ぼくが砂時計を動かしてやる。」
ぼくは机の端に手を掛けた。響子はぼくを制しながら
「やめてよ。私の部屋よ。私の机よ。あなたに何が分かるって言うのよ。」
響子の瞳は涙で潤んでいた。
「あなたの言うことは違っているわ。私は女だから机を動かすことができないって言ったのよ。あなたはいいわ。男だから。」
「男と女でどこが違うんだ。」
「違うのよ。あなたが感じている周りからの圧力の何倍かの力を私は感じるの。」
「だからそれも含めてぼくたちで変えていこうとしているんじゃないか。」
「それじゃあなたは歴史を変えようって言うの?」
「どうして歴史なんだ。」
「だってそうじゃない。無理よ。帰ってよ。」
響子はぼくから顔を背けた。
「ああ、分かったよ。君は一生そうやって生きていけばいい。だけどぼくは諦めないよ。」
そう言い捨てぼくは響子の部屋を出た。
 外は暗かった。歩きながら、ぼくは涙が頬を流れ落ちるの感じた。そしてこの時初めて響子を愛していたことに気づいた。愛してればこそ、響子の裏切りが--それがぼくの勝手な幻想の産物と分かっていながらも--ぼくを涙させた。響子の『無理よ』と言う言葉がぼくの頭の中にへばりついている。どう考えても無理なことは分かっている。しかし響子の『無理よ』と言う言葉がぼくの存在を否定しているような気がした。
 知らぬ間に雨が降り出していた。日野のあのコミュニティも所詮ただの抵抗に過ぎない。結局ひとりでやっていくしかないのだと思い、ぼくは自分の部屋に帰っていった。
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