第1話

文字数 2,148文字

 「やあ。出欠とったかい?」
「わからない。俺も今来たところなんだ。」
「そうか。お前は来週の医学部祭に行くのか?」
「行こうと思っている。一緒に行かないか。」
「行ってもいいけど、面白いのか?」
「面白いの何のって、医学部の近くの女子高から女の子がたくさん来るんだぜ。」
「本当か。だったら行こうかな。」
ぼくの後ろの席の二人がしょうもないことを話している。相変わらず、教室の後ろの出入り口から人が出たり入ったりしている。教壇に立っている教授は、英語のテキストを淡々と訳している。ぼくはマンガの本から目をそらし、周りを見る。友達と雑談している者、寝ている者、イアフォンで音楽を聴いている者、単位のために真面目にノートをとっている者、碌なのがいない。お前らそれでも大学生か、と言いたくなる。特に目的を持って勉強するわけでなく、だだ良い就職のために良い成績がとれる程度に勉強し、大学生という立場に甘え、考えることもなく生きている。教授連中が口をそろえて言う「近頃の大学生は・・・」という嘆きが、最近になってようやくわかるようになってきた。大学生の絶対量が増え、学習意欲を持たない学生の割合が増えたため、大学全体の質も落ちてしまったようだ。こいつらと同じ大学生であることが恥ずかしい、などと思いながらまたマンガを読み始めた。それにしても、まだ5月というのにこの暑さは何だ。まだ夏休みまで2か月もあるのかと思いながら、ふと夏休みと言えば、ぼくが小学生の時、担任の先生が「夏は暑くて勉強するのが大変だから、夏休みがあるのです。だから宿題は、まだ暑くならない午前中にやりましょう。」と言ってたのを思い出した。大学生にもなって夏休みが2か月もあるなんて文部省も何を考えているのだろうか。こんなことだから勉強が好きでもない奴が、遊ぶために大学に入ってきて大学の雰囲気を悪くするのだ、と腹立たしく思いふてくされているうちに眠り込んでしまった。
 目を覚ますと周りがざわついていた。というよりも、周りがざわついていたから目を覚ましたようだった。結局、出欠はとらずじまいで、ああ無駄な時を過ごしてしまったと思いながら教室を出た。昼食時とあってキャンパスは学生で満ち溢れていた。何が楽しいか知らないが、雑談しながらのろのろと歩いている彼らを器用にかわし、ぼくは図書館に向かった。途中で津田に出会った。彼はぼくを見ると人懐こい笑みを浮べ、一緒に歩いてきた女の子をほっぽりだし近づいてきた。
「お前、どこに行ってたんだ。捜していたんだぞ。明日、合コンがあるけど、行くだろ。」
いつもの相手に有無を言わせないような誘い方だ。しかし、彼の場合、なぜだか傲慢さを感じさせない。ぼくは女の子を一瞥し、少しあほっぽい子だなと思いながら答えた。
「また、人数合わせか。言ってもいいけど、何時からかな。」
「6時半から。場所はK。遅れずに来いよ。」
と、言い終わらないうちに女の子の方へ小走りに戻って行った。彼はぼくと同じクラスで、大学に入って最初に会話をした人間だ。別にどうってことないがくされ縁で割と親しく付き合っているが、彼の連れて歩く女の子はいつも違っている。
 図書館に入ると、さすがに昼休みとあって、人はまばらで、机の上には荷物だけが置いてあった。机に向かい、本を開き読み始める。最近ずっと専門の授業に出ていないから授業で何をやっているか知らないが、自分で気に入った本を探し出し読んでいる。こんなことしているとまた今年も進級できないな、と思うもののどうも授業に出る気になれない。まあ、どうにかなるさと思い、本に気持ちを集中させた。
 時計を見ると1時だった。ぼくはカバンを持って、次の授業に急いだ。とは言うものの授業に出るわけではない。ただ、教室に入って、知っている人間を捜し、二言三言会話をして帰るだけだ。しかし、これだけの儀式を行うと、サボったという罪悪感から逃れられ、何となく満たされた気持ちになれるのだった。教室に入り、あたりを見渡すと、高橋と井上が雑談していた。井上がぼくに気付き尋ねた。
「今日も帰るのか?」
「決まってるじゃないか。こんなに暑いのに授業なんか出てられるか。」
「お前、そんなこと言っているとまた留年するぞ。」
「あほか。また留年したらうちのかーちゃんが泣いてしまう。ぼくにはカンニングペーパーという秘密兵器あるから大丈夫。」
と受け流し、教室を去った。
 校門を出て、喫茶店に向かいながら、ぼくはふと思った。もしかしたら、ぼくが授業に出ないのに教室に顔を出すのは、授業に出てその事実に満足している人間を見ることにより、自分自身を奮起させるためではなかろうか。ぼくは出欠を取る授業以外は出ないことにしている。義務感にかられ、授業に出て、ノートを取ったということに満足し、理論を記憶しただけなのに、それが理解できて自分のものになったと勘違いしている学生に染まりたくないからだ。ぼくは、いつごろからか、出欠の取らない授業は出ないようになっていた。授業に出なくても、教授たちの話す内容は何らかの本に載っていることであり、勉強できるのだから。しかし、悲しいかな教授の半数近くはどういうわけか出欠を取るから、ぼくは無駄な時間を過ごす羽目になるのだ。
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