第11話

文字数 4,457文字

 定期試験が始まると、響子もぼくも忙しく、時々学校で出会った際に立ち話をする程度であった。翌日で試験も終わるという日の晩に突然津田がぼくのアパートにやって来た。
「試験のほうはどうだい?」
「ああ、明日で終わりさ。」
「ちょっと話があるんだが、いいかい?」
「うん。構わないよ。日頃から勉強しているからね。」
普段ならここで一言返す津田がこの日は何も言わない。ぼくは不自然さを覚えながらも
「まあ、ゆっくりしていけよ。ぼくも暇を持て余していたところなんだ。」
と津田が話を切り出すのを待った。
「この部屋に来るのも久しぶりだな。それにしても女っ気のない部屋だな。最近はどうなんだい?戸田響子と付き合っているって話を聞いたけど。」
「まあね。ぼちぼちと言ったところかな。お前こそどうなんだい?大学の方も女の子の方ももうそろそろ腰を据えたら。」
ぼくは講義にもろくすっぽ出席せず、女の子をコロコロ変えている津田に対して言った。
「どうもね。勉強をやる気分じゃないんだ。今。今回の試験なんかほとんど全滅さ。」
半ば諦め顔で津田は言う。
「お前、知っているだろう?この前の合コンの時にぼくが相手をしていた女の子を。あの子とあれから付き合っているんだけど、どうもしっくりいかないんだ。」
「しっくりいかないって?」
「いや、やっぱりしっくりいっているんだ。ただ、ぼくが自己矛盾に陥ってしまっているだけなんだ。」
津田は続けた。
「お前も知っているように、ぼくは何人もの女の子と付き合ってきた。けど今まで全部ダメだった。女の子に対して一種の諦めを持ち始めたときにに出会ったんだ。彼女はぼくが理想としていた女の子だった。ぼくは彼女の素材を愛しているんだ。素材って言うと言葉が悪いけど生きる姿勢って言うかそういったものに惹かれたんだ。ぼくは人っていうものは素材がすべてじゃないかと思っている。あの子のすべてにぼくは満足していたわけじゃない。だからあの子のダメな点は指摘したし、そしてあの子もその点を素直に直していった。最初の頃は、ぼくはそのことに満足していたんだ。けど最近、思うんだ。あの子はぼくの操り人形に過ぎないんじゃないかって。ぼくはあの子に個性を求めている。その反面、あの子がぼくに感化されていくことに喜びを覚えるんだ。」
ぼくは津田の言うの素材とというのは、単なる素直さに過ぎないと思った。
「お前はその子にどういった個性を求めているんだい?」
「どう言ったらいいのかな。あの子に個というものの確立を求めている。」
「となると、やっぱりお前があの子を感化しようとする姿勢が問題じゃないのかな?お前はぼくを、感化しようなんて微塵も思ってないだろ?だからいつまでたっても良い関係が保たれているんだと思う。」
「それは同性の場合だけのような気がする。異性ともなるとどうしても何らかの一体感みたいなものを求めてしまうから。独占欲だって一体感を求めた結果に過ぎないと思うんだ。」
「どうだろうか。」
「お前は真剣に人を愛したことがないからそんなことが言えるんじゃないのかな。さっきぼくが戸田響子とのことを聞いたとき、『ぼちぼち』って言ってたけど、あれこそがお前の女性に対する付き合い方そのものだと思うね。以前から感じていたことなんだけど、お前は女性に対して消極的に接することによって、ある一定の距離をとろうとしているんじゃないのかな?」
ぼくは津田の指摘を否定できないでいた。しかし心の中では『そうじゃないんだ』と強く思いながらも冷静さを装い
「そうだね。ぼくは決して熱烈な愛し方はできないだろうな。けど熱烈な愛だけが愛だろうか?黙って見守るだけの愛もあるんじゃないだろうか?」
「そんなのは・・・」
と津田が言いかけたとき、ドアを叩く音がする。響子だった。響子は津田に一言二言挨拶した後、ぼくの横に座り、ぼくに向かって
「何を話していたの?外まで声が聞こえていたわよ。」
それに対し、津田が答える。
「ぼくが君と寝ても伊藤は怒らないだろうって言っていたんだ。」
響子はきょとんとしている。津田は続けた。
「こいつはそういう人間なんだ。あんまり人に興味がないんだ。こんなのやめてぼくと付き合わない?」
響子は、津田とぼくのいつもと違う空気感に戸惑い、ぼくを見つめ助けを求めた。ぼくは響子の助けを無視する形で津田に話しかける。
「けど、仮にお前と響子がそういう関係になったとしても、それは仕方ないことじゃないだろうか?」
「どうして仕方ないで片付くんだい?」
「人間だからさ。」
「理屈ではそうだ。けどお前の感情はどうなんだ?」
「悲しいだろうな。響子もそういう人間だったかって思うことが。」
それまで黙っていた響子が二人の会話に割って入ってきた。
「待ってよ。バカなこと言わないでよ。私ってそんなに軽い女じゃないわよ。」
響子の言葉で津田は少し冷静さを取り戻したようで
「ごめん。ごめん。変な話をして。ところで君は試験終わったの?」
と話しかけた。
「まだ全部終わっていないけど、伊藤くんがどうしているかなって思って、久しぶりに来てみたの。」
津田はそれに対して、あっそうと素っ気なく返し、時計を見ると
「もうこんな時間か。明日試験があるから帰るよ。」
と立ち上がり、それじゃと言って出て行った。津田が出て行った後、響子はしばらく黙っていたが、
「津田さん、どうしたの?」
と尋ねるので、ぼくはあまり話したくはなかったが、事情を説明した。響子は説明を聞き終えると津田の話には興味を示さず、最後の津田のぼくに対する指摘の部分にだけ興味を示し
「あなたはそうやって津田くんに指摘されてどう思ったの?」
「実際、あいつの言う通りかも知れないって思ったね。」
「かも知れないって?」
「ぼく自身は今まであいつの言うように自分を見てなかったって言うことさ。」
「だけど実際、あなたは私に愛しているって言ったことないじゃない?私は別に言ってほしいわけじゃないけれど、普通だったら本気じゃなくても言うもんじゃない?結局あなたがそれを言わないのは束縛されたくないって思っているからじゃない?あなた、前に、束縛されるのが嫌なんだって言っていたでしょ。私、それを聞いたとき、思ったの。あなたは暗に私があなたにしがみつくことのないように言っているんだって。」
「津田くんがなぜあんなに攻撃的になっていたのか、私には分かる気がするの。あなたってあなた自身を決して曝け出さないのよ。曝け出すことなく他の人物を演じていて、私たちを高いところから眺めているの。私に今何も言わないことにしたって・・・。」
響子はそこで話すのを止め、黙り込んでしまった。
「君はぼくが他の人物を演じているって言ったけど、そうじゃない。それにしたってぼくの一部分なんだ。そりゃ、ぼくは、君に対してだって、津田に対してだって、ぼくのすべてを見せて付き合っているわけじゃない。けれどそのことがいけないことなんだろうか?」
「少なくとも相手があなたの全人格と付き合いたいって思っているならばそうすべきじゃないかしら。」
「けど、ぼくには先が見えるんだ。お互い孤独感しか残らないってことが。」
「それじゃあなたはそうやってこれから先も生きていくつもりなの?」
ぼくは響子とやりとりしながら、大沢氏と会った日のことを思い出していた。あの時、なぜ、途中から大沢氏への攻撃をやめたのか?あれは大沢氏の苦悩を見たからだ。響子に対しても津田に対しても日野に対しても、ぼくは相手の生き方を否定することを言ったことがなかった。なぜか?彼らがぼくの存在を脅かす存在ではないからか?大沢氏と話しているとき、ぼくは彼の背後に見えない力を感じていた。その力の存在がぼくを脅かそうとしていると感じていた。しかし、大沢氏の苦悩を知った瞬間、彼の背後にあったはずの力は消滅した。ぼくはただの八方美人なだけだろうか?大沢氏の言っていた「平穏」と言葉を思い出していた。ぼくは何を恐れていたのだろうか?
「正直言って、ぼく自身分からない。ぼく思うんだ。自分のとった行動のうち一体どれくらいが自分の意志かって。ぼくはいつ頃からかこうして生きることに慣れてしまっているんだよ。」
ぼくは、タバコに火を付け、煙を吸い込み、続けた。
「君と付き合っていて思ったよ。この子とならうまくやっていけるじゃないかって。お互いが相手の領分の触れてはならない部分を見て見ぬ振りをしてやっていけるんじゃないかって。けど、もうそうやって見過ごすことのできない関係になってしまったんだね。」
「君、さっきぼくに言っただろう。いつまでそうやって演じながら生きていくのかと。君にしたって自分で自分をそして他人を偽って生きているんじゃないのかい?」
「違うわ。私は演じているそのこと自体が私なの。あなたは自分というものをこの部屋に隠し持っているわ。だから私をこの部屋に入れたがらなかったんじゃない。」
「それじゃ聞くけど、君の腕にいつも付けている腕時計と君の部屋のあの机の上の砂時計は一体何なんだい?最初、砂時計の話を聞いたときは分からなかったけど、君と付き合っていくうちに、あれが君の砦じゃないかって思うようになったんだ。君は今の大学生活にフラストレーションを感じている。虚無感と言ったら重すぎるけど、不充実感と言ったら軽すぎる。その現実から目をそらすために時を止めてしまったんだ。砂は君の純粋な心だ。時の流れの中に純粋さを失うまいとしている。そしていつかは・・・って思っているんだ。君は今の姿が仮の姿だと思うことによって自己をねじ伏せてしまっているのじゃないかい?」
響子は黙って俯いていた。ぼくの指にあるタバコは根元まで燃え尽き、フィルターが焦げる匂いがした。ぼくはそのタバコを灰皿にねじり付けながら
「さっき、分からないって言ったけど、ぼくだって一生こんな生き方を続けていこうなんて思っていない。けれどこの社会の中で円滑に生きていくにはピエロとしていくしかないんじゃないだろうか?」
響子は顔を上げ、自分少し落ち着きを取り戻し、自身に言い聞かせるように言った。
「そうね。やっぱり、こうやって生きるしかないのね。」
しかし、響子の傷口はぱっくり開いたままだった。予想した結果に、ぼくは落胆するわけでもなく、もしかしたら響子ともこれっきりになるのではないかと思い、コーヒーを入れに立った。
 ぼくが入れたコーヒーが少し苦かったせいか、響子は二口ほどすすっただけだった。
「それじゃ、今日はもう帰るわ。明日のテスト頑張ってね。」
と平静を装い、いつもと同じように帰って行く響子に対し、ぼくは
「うん。」
て言うのが精一杯だった。響子が帰ってから勉強しようと思い本を開いたが、響子が部屋を出て行くときの後ろ姿がちらつく。ああ言うしか仕方なかったと思うものの、もっと他に方法があったのではないかと考えてしまう。もしかしたら響子自身苦しんでいたのかも知れない。しかし、ぼくは響子に何一つしてやることができなかった。
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