第7話

文字数 2,336文字

 アルバイトの帰りに日野のアパートに寄ってみた。日野はいつものように机に向かって小説を読んでいた。
「久しぶりだな。最近は何してたんだい。相変わらず女を追い回していたのかい。」
「どうしてそういうことになるのかなあ。禁欲生活を送っているのに。何を読んでたんだい?」
ぼくは日野の読んでいた本を受け取る。
「ああ、これか。問題提起の本としてはいいよね。」
「そうだよね。けれど、がつがつしているというか、何というか、そのことが全面に表れているんだな。これじゃエッセイと同じだよ。やっぱり小説っていうのは、文章全体、ストーリー全体から感じさせるものじゃならないと思うね。何か飲むかい?ビール?それともウィスキー?」
日野は酒好きだった。ぼくはビールがいいと答え、ビールを取りに立った日野に向けて言った。
「ならないと言うのは、お前の小説観だろ。こういう小説があってもいいんじゃないかな。」
「そう言われるとそれまでだけど、小説って言うのは控えめなところがいいんだ。ぼくは自分の考えの押し売りみたいなエッセイが嫌いでね。自分が納得できる部分と納得できない部分とにはっきり二分されるんだ。その点小説っていうのは、まあ一種の疑似体験みたいなものだから、分かろうが分かるまいが一旦は受け入れてしまって、そして後からゆっくりと考えることができるんだ。実際、よく知らぬ間にあることを考えていることがあって、どうしてそんなことを考え始めたんだろうと元をたどっていくと、2,3ヶ月前に読んだ小説だったりするんだよね。」
「確かにそういうことあるよな。ストーリー性の持つ力かもね。けどエッセイとかこの小説が無意味ってことにはならないと思うんだが。この小説では抵抗だとか反発ってことが問題になっているだろう。ぼくなんかこれを読んで、国家なんていうのは反発の対象にしかならないって思ったんだ。」
「反発の対象?」
日野は聞き直す。
「うん。ぼくらが国家を意識する時ってどんな時だと思う?お前はどういったときに国家ってものを意識する?」
「そうだなあ。ちょっと考えさせてくれ。」
そう言い、日野はビールを飲み干し、話を続ける。
「そう言われてみるとほとんど無縁だな。いや無縁じゃなくて大いに関わっているけど、ほとんど意識していないな。感じるとすれば警察に捕まった時くらいなものだ。」
「お前、警察に捕まったことがあるのか?」
「何てことはない。スピード違反でな。」
「ああ、あの時か。」
「あの時は何の権利があって警察はぼくから運転免許証を取り上げることができるのかって本気で考えた。結局ぼくが日本人で日本で暮らしてこの法治国家に守られているからなんだけどね。そして思ったね。なんでぼくは日本人なんだって。好き好んでぼくは日本人でいる訳じゃなく、生まれた時から日本人だと思うとやりきれなくなった。」
「そう、結局ぼくらは国家というものを、法と制度を通してからしか感じることができないんじゃないだろうかって思うんだ。実際、法によって守られたり、制限されたりしているのだけど、守られているときは当たり前で、制限されるときだけ強く意識している。あまりいい例じゃないけど、親と子の関係みたいなものだと思う。」
「今の日本においては、うん、確かにそんな感はあるが、それはどんな場合にも言えるんだろうか?」
「痛いところを突かれたな。国家の形態というか概念ってものがはっきりしないからあれなんだけど、理想でしかないんだけど、国家ってものは国民の意思の寄せ集めで、それを適当に取捨選択して国家の意思、つまり法にしているんだと思う。この適当っていうのが問題なんだけど。これは時代時代によって変わるんだけど、ここで重要なのは、国家の意思は決して国民のひとり一人の意思は一致しないということなんだ。だから国家に対する反発が生じるんじゃないのかな。」
ぼくは話し終え、タバコに火を付ける。日野は少しの間、宙を見つめていたが、
「君の見方には国家を敵視しているようなところを感じるんだが。いや、敵視っていうのとは違う。何て言うか、国家と人を切り離して見ているんだ。国家は我々の周りに包み込むように存在するものじゃないだろうか。話は変わるが、国家は何らかの共同体なんだけど、他の共同体とどこが違うかって考えたことがあるんだ。歴史的に見ると、部落共同体がだんだんと大きくなっていって国家になっていくんだけど、ただ大きくなっただけではないんだ。そこまでは分かるのだが。」
そう言い終えると、日野は立ち上がりビールを取りに行った。ぼくは日野の敵視という言葉に引っかかっていた。日野がビールをついでくれたので、ぼくはそれを飲み、少しおかしな理論だがと前置きをして、たった今考えついたことを話し出す。
「共同体であるうちは、その共同体が何であるかは構成員の誰もが分かっていると思う。それが国家となるとそれが何であるか分からなくなる。つまり部落共同体であったものが巨大化して人々にそれが何なのか分からなくなったときに国家になるんじゃないだろうか。その時点で国家が一人歩きし始めるって考えるのはどうだろうか。」
日野はぼくの話を聞き流し、
「あれだな。君のすごい所は、この本からそういう発想が生まれるっていうことだな。どういう脈絡で結びつくんだ?」
「まあね。ぼくはお前と違って本もそんなに読まないし、人間関係も多様とは言えないし・・・少しの体験や情報からいろんなことを考えないと生きていけないんだ。」
 結局、この日は明け方近くまで話し込んでいた。日野と話すことにより、ぼくはいつもぐらつきかけていた、失いかけていた、そして諦めかけていたぼくの生き方を再確認し、目を覚めさせることができるのだった。
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