第3話

文字数 3,470文字

 ぼくは約束の時間より10分遅れて合コンの会場に着いた。別に用事があったわけではない。他の連中はすでにみんな来ている。津田はぼくの顔を見ると
「今、お前のことを話していたんだ。お前は時間通りに来たためしがないって。」
「すまん。すまん。ぼくの時計がいつも10分遅れてるんだ。怒るなら時計に怒ってくれ。」
と受け流し、合コンのメンバーを見渡してみる。男4人女4人。津田の他に同じクラスの高橋がいる。あとの男2人は顔は見たことがあるが名前まで覚えていない。ぼくも含めて津田の気に入りそうな男ばかりだ。彼は気に入った人間には人懐こいが、気に入らない人間とは距離をとるという傾向がある。女の子4人はどれも知らない顔だ。どこかの女子大生だろう。人数合わせのために来たのに女の子が一人少ないと思い、そのことについて津田に聞こうとしたが、津田は早くも隣に座っている女の子と夢中になって話をしている。そこへ一人の女の子が入ってきた。
「ごめん。バイトが長引いちゃって。あっ初めまして。私、戸田響子と言います。」
ぼくは彼女の座るスペースを空けてそこに彼女を迎え入れた。
 戸田響子はぼくが予想した通りの典型的な現代の女子学生であった。青と白のチェックの少し大きめなシャツに白いパンツそれに茶色の靴を履いていた。右腕につけているアンチークな腕時計が不釣り合いだった。

 ぼくは女を追いかけている。一生懸命に走っているつもりなのだが、思うように前に進まない。誰を追いかけているのか忘れてしまってわからない。なのにぼくは無我夢中になって半ば本能的に追い続ける。女が走るのを止め、振り返る。紀子だった。紀子はぼくに向かって
「あなたはいつまでそうやって生きていくつもりなの。私にはあなたの・・・」
と、そこまで言うと体を翻し去って行った。ぼくは再び彼女を追いかけようとしたが、沼地に足を取られて動かすことができず
「紀子、待ってくれ。」
 と叫んだところで目が覚めた。ぼくの横で響子が顔をにやつかせてぼくの顔を見ていた。
「振られてた女の子の夢でも見ていたの?でも女の子と寝ていて他の女の子の名前を叫ぶなんて最低よ。気をつけて方がいいわよ。」
と言う響子の言葉に
「うん。」
と曖昧に答えながら、ぼけた頭でなぜ紀子があんなことを言ったのか考えようとしたとき
『えっ。』とぼくは驚いた。『あれ、なんで響子がこんな所に。』と思い、周りを見たとき、また『えっ。』となってしまった。ぼくの部屋ではないではないか。そうだった。昨晩、津田たちと別れ、響子を送って帰り、そのまま泊まったのだ。ぼくはぼんやりとしながら部屋を眺める。カーテンの隙間からは朝の光が差し込んでいる。スペード型の針の掛け時計。大きな白の枠取りのドレッサー。その隣にはお飾りほどの小さな、これも白色の机。机の上には写真立てとペン立て。その横にはこれも白を基調とした本棚。割ときれいに片付いている。
「ここがどこだかわかんないんでしょう?」
と響子が尋ねる。
「君の部屋だろ。昨夜はあまりゆっくり見えなかったから、今じっくりと見ていただけだよ。」
「それじゃ私の名前、覚えてる?」
「そりゃもちろん。ぼくはかわいい子の名前を一回で憶えるのが特技なんだ。津田、あの背の高い男のことなんだけど、あいつが口説いていた子は彩菜っていうんだろ。あと白っぽいシャツの上に紺っぽい薄手の上着を着ていた子が満里奈。あとは覚えていないけど。」
「それじゃ、私の名前は?覚えていないわけ。」
と響子はふくれてみせる。
「しっかり覚えているよ。響子だろ。あれ、違ったかな?」
と言ってからかうと
「彩菜でいいわよ、津田くん。」
と切り返す。
「ところで、昨夜津田がバイトがどうのこうのって言ってたけど知らない?」
「ああ、あれね。津田くん、今日用事があるからイベントのポスター貼りのバイトを代わってくれって。2時からとか言ってたけど、それだけでわかる?」
「ああ、あれか、わかる。ありがとう。」
「昨日のことなのに覚えてないわけ?」
「いや、君に夢中で適当に聞いてたから確認しただけだよ。ところで今何時?」
「9時半。帰るの?」
「君はぼくを早く帰らせたいのかな?普通の女の子だったら朝食を作ってくれるのだけどな。」
「普通の男の子だったら用事が済んだらすぐ帰るものじゃない?」
「用事って何のこと?」
「・・・」
「ぼくの場合、用事って言うのは朝食込みのことを言うんだ。朝ご飯お願いね。」
「わかりました。作りゃいいんでしょ。」
と言うと、響子は布団をはねのけ、いつの間に着替えたのか、Tシャツにハーフパンツという格好でベットから降り、3畳ほどのキッチンに向かった。ぼくは服を着ながらもう一度、部屋を見渡した。本棚には多くの本が並んでいる。人文系、社会学系、それに小説。どうも文系の大学生らしい。机の上には、ベットの上からは見えなかったが、木目調の枠組みで中に白っぽい砂が入っている砂時計が置いてある。白を基調とした家具の中で木目調の砂時計は不釣り合いに思えた。服を着替え終わったぼくは、机に近寄り砂時計を逆さにしようとしたが、それは動かなかった。どうも机に接着してあるようだ。ぼくはキッチンで朝食を作っている響子に問いかけた。
「響子さん。この砂時計どうしてくっつけてあるの?」
「あっそれ無理にとらないでね。とったら朝食付きでなくなるわよ。」
と言いながら、ハムエッグとトーストそれにコーヒーをトレーに乗せて持ってきた。
「これくらいのものしかできないけど。」
「ありがとう。ぼくのいつもの朝食と言ったらコーヒーとダバコだから。」
「またまた、そんな適当なこと言って。彼女に作ってもらっているんでしょ。」
「作ってくれる人がいればいいんだけどね。」
ぼくは頬に手を当て
「この痩けた顔を見ればわかるだろ。」
と言い、箸でハムエッグのハムを切り裂きながら、砂時計を顎で指し、
「けど、あれじゃあ欲求不満にならない?砂時計って見るとどういうわけかひっくり返したくなるものじゃないかな。」
「そう。だからそうできないようにしてあるの。」
と響子が訳のわからないことを言うのでぼくが目で問いかけると
「砂時計って知ってる?あれは何回も使っているうちにだんだんと砂が削られていって速く落ちるようになるんだって。本に書いてあったんだけど、昔の西洋の人はいい砂時計を作るために決して削られることのない砂を探し回ったんだって。何だか不老不死の薬を探すみたい。そんなのあるわけないのに。」
「だから君は砂を探す代わりに机にひっつけてしまったわけだ。」
「まあ、そんなところ。私がひっくり返さないようにしたってあなたみたいな人が勝手にひっくり返そうとするもの。」
「けど衝動に駆られてどうしてもひっくり返したくなることない?」
「前に一度だけあって・・・くっつけてあるのをとるのも癪だし、机ごとひっくり返そうとしたんだけどひとりじゃ無理だから諦めたことがあったわ。」
ぼくは、コーヒーをすすり
「じゃああの砂時計はもう決して砂が流れ落ちることがないってことか。」
と話しかけるともなくつぶやいた。

 2時5分前、ぼくは○○広告社と書かれたドアを開け中に入った。
「あのお、アルバイトの津田の代理で来たんですか・・・」
「ああ、君か。要領はわかっているね。ポスターは奥にあるから。」
34、5才だろうか、シャツを肘までめくりあげた山田という男がぼくを一瞥し、そう言うとまた頭を下げ、何やら忙しそうに書き込んでいる。この広告代理店は社員が10人ほどの小さな会社だか、事務所にはいつも3、4人しか人がいない。ぼくはいつものようにつかつかと奥に行き、ポスターとテープを持って部屋を出た。
 夕方ポスターを貼り終え、ビルの一室の事務所に戻ると、珍しくほとんどの社員がいて、何やら話し込んでいる。ぼくが余ったポスターとテープを置いて帰ろうとすると
「あっ、君。」
と社長らしき男--と言ってもわずか社員10人ほどの会社だから、大会社のような貫禄はないが--に呼び止められた。
「事務所の雑務のためにアルバイトで女の子を雇いたいんだけど、時給いくらくらいが相場かね?」
「はあ、900円前後って言ったところじゃないでしょうか。」
「うん、やっぱりそんなものか。いやね。電話番とか、書類の整理とかしてくれる子がほしくてね。君、誰か心当たりない?」
ぼくはそのときふと響子のことを思い出した。が、二度と会うこともあるまいと思い、
「女の子の知り合いが少ないんで、思いあたりません。」
と答え、事務所を後にした。
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