第3話 密室の方程式

文字数 16,154文字


 放課後、私と千秋は映像研の部室に招かれた。コンコンと引き戸をノックする。
「どうぞ、中に入ってください」と男子生徒の声が返って来た。
「うおー、ひろーい」「お邪魔します」

 部室の中は薄暗くなっており、カーテンが閉められていた。三方向の壁には本棚があり、たくさんの小道具や脚本らしいものが置かれている。部室の中央にはプロジェクターが置かれており大きな白いスクリーンに光を映している。スクリーンの手前に長机とパイプ椅子が4個並べられていた。そして長机のところではパソコンを操作している男子生徒とそれを後ろから立って見ている男子生徒がおり、彼らは顔を上げ私たちの方を見る。片方は知っている顔だった。

「砂川君、久しぶり。予定より来るの、少し早かったかな」

 千秋が立っている男子生徒に声をかけた。砂川 冬史郎。私たちと同じ一年生で探偵部の部員。彼とは以前に2回ほど部活で顔を合わせた程度だ。私が探偵部に入った時には既に彼は部員であった。焼けた肌からスポーティーな印象を与えるが、運動部には所属していないらしい。何度か勧誘にあったが断ったと言っていた。その代わりと言っていいのか、彼は多くの文化部に所属している。探偵部の他は確か新聞部、映像研、ボードゲーム部だったか。本人曰く、飽き性で一つのことを極めるのは自分にあまり向いてないらしい。

「小林さん、来てくれたんですね。いいえ、そんなことありません。まさにベストタイミングですよ。丁度準備が終わったところです。ですよね、部長」砂川はパソコンをいじる男子生徒に目を向けた。
 男子生徒は立ち上がりこちらに向かってくる。先ほどまで暗くて顔は輪郭しか分からなかったが、目元がはっきりとした端正な顔立ちだった。彼は私たちに笑いかける。

「ああ。この度は僕たちの頼みを聞いてくれてありがとう。自己紹介がまだでしたね、僕は映像研部長の早坂 徹。今日はよろしくお願いします」早坂さんは深く一礼をした。

「私は探偵部の部長をしてます。小林 千秋です」
「探偵部部員の早苗 小春です」

「そうか。君が小林さんか。砂川からよく聞いてるよ。それに早苗さんのことも。さあさ、座って」早坂さんは私たちを長机の方に促した。私たちはそれぞれ用意されたパイプ椅子に座る。

「依頼の内容はもう砂川から聞いてますか?」早坂さんは私たちが座ったのを見て尋ねた。

「はい、未完成の作品のアドバイスが欲しいと」

「詳しく説明します。みなさんにはある事件の犯人を当てて欲しいです。事件といってもフィクションですけどね。
 事の発端から話します。僕たち映像研は一か月後に上映会を開く予定です。それでまずは脚本ということになったんですけど、あいにく今までの脚本担当の先輩はこの前に引退してしまって、現状脚本を一から書ける人材がいないんですよね。それで僕たちは先輩たちの過去作を参考しようと決まって、この部室に残っている過去作を漁りました。するとビデオカメラに保存された未完成の作品が出てきたんです。内容はミステリーで、合宿で殺人事件。問題なのは解決偏がないことです」

「私たちに殺人事件を解いて欲しいということですね」千秋が訊く。早坂さんは首を縦に振った。

「そうです。物語を完結させて欲しいです。わがままな依頼ですけどお願いします」

「いいえ、困っている人を助けるのが探偵部です。こちらこそよろしくお願いします」

「ありがとう。じゃあ、今から映像流しますね。シーンごとの映像をまだつなげてないので多少ラグがありますけど、ご了承ください」

「そうだ、これどうぞ」と砂川君が私と千秋にA4紙を渡す。「登場人物をまとめたものです」「ありがとう」私は登場人物の表を見た。

登場人物

l 秋山   男
l 木下   女
l 谷    男
l 宮前   女

「では流しますね。五秒前、5、4、3、2、1、スタート」

パソコンをカタカタと打つ音が聞こえスクリーンに映像が流れ始めた。


 画面に文字が表示され、ナレーションが語り始めた。

『事件が起きるとは、まだこの時誰も思っていなかった』

画面が変わり、リュックを背負って傾斜を上っている4人の背中が写される。遠くには海が広がっており舞台が島であることが分かる。

『見ろ、やっと着いたぞ』と先頭を歩いていた良い体躯をした男がカメラに向かい振り返る。その恰好からおよそ彼が秋山なのだろう。秋山が指さした方向には、古びた洋館が立っていた。洋館はおよそ2階建て、立派な門まである。

『おお、想像の5倍いい所じゃん』前から2番目を歩いていた、やせ形の男(谷かな?)が首に巻いたタオルで汗を拭きながら呟く。

『確かに想像よりもきれいかも』長髪ロングの黒髪の女子が帽子をうちわ代わりにして顔を仰ぎながら言う。

『谷も木下も俺の言った通りだろ。ここは圏外だから思う存分練習ができるぞ』秋山が胸を張る。

『みんな待って、おいてかないで』最後尾にいたミディアムヘアの少し茶髪交じりの女子が膝に手を突きながら声を振り絞る。かなり疲れている様子だ。

『宮前、あと少しだ。なんなら少し荷物持つぜ、その中、食器類とかで重いだろ』秋山は宮下のところまで行くと溌溂とした表情を見せる。宮前は顔を伏せ秋山に随分とボリューミーなトートバッグを渡す。

『チッ』と木下が秋山と宮前を見ながら舌打ちをした。木下は二人の関係をよく思っていないのかも。

映像は上に向かい青空を映すと止まった。シーン1が終わったらしい。


10秒後、シーン2が流れ始めた。
 画面には夕焼け空が移る。ゆっくりとロングショットになり、その夕焼けが洋館内の窓を通して見えていることが分かる。舞台はダイニングスペースらしきところで机の上には食器が大きくそこの深い鍋が置かれている。机には椅子が3、3で対面に配置されている。鍋にはカレーライスっぽい色をした流体があり、木下がかき混ぜている。

『木下、もういいだろ。早く食べようぜ』秋山が目を輝かしてカレーを見ていた。手にはライスがおわん型によせられたカレー皿を持っている。

『いいわ、食べましょ。みんなライスもルーもセルフだからよろしく。カレー皿はここに置いてあるから』と鍋の横にある皿を映した。秋山の持っていた皿と同じタイプの皿が4枚重ねて置いてあった。

『うまそうだな』谷がTシャツ一枚にアディダスの長ズボン、足はクロックスというラフな格好で現れた。髪が濡れ、頬が火照っているのを見るにお風呂の後だと思われる。

『おいしそうですね』宮前が木下の後ろから現れる。木下は宮前の言葉を無視した。木下は宮前を嫌っているらしい。

『お前ら、急いでくれ。今にも餓死しそうだ』カレーをなみなみとよそった秋山が座って待っている。相当にお腹がすいているようだ。

その時、画面が上に向き暗転する。

シーン2が終わったらしい。


真っ暗の画面にナレーションの語りが入る。

ダイニングルームの掛け時計がクローズアップされる。時刻はちょうど10時になり鐘が鳴る。

テーブルが映し出される。テーブルには谷と宮前が座っている。二人はチェスを指していた。

『あれ、秋山は?』ダイニングルームの奥からタオルを首にかけた木下が二人に近づく。

『あいつ、「眠い」っつって自分の部屋に戻った』

『へぇー、珍しいわね。さっきまであんなに元気だったのに』

画面が暗転、『事件が発覚したのは朝だった』とナレーション。


 明転し掛け時計がクローズアップされる。時計の長針は8時前を指していた。ダイニングテーブルには谷、木下、宮前が座っている。秋山の姿は無かった。木下は腕を組み、指でカチカチと叩きイラついた様子を見せる。谷は大きなあくび。

『いつまで寝てんのよ、あいつ』木下は毒づく。

『私、見に行きましょうか』と宮前。

『起こしに行くか』谷の掛け声で3人とも立ち上がる。

丁度その時、掛け時計の鐘がなり朝の8時を示す。画面は暗転した。
 場所は変わり扉の前になる。谷はドアノブを回したがドアは動かなかった。ドアノブには赤色が表示され(なんだかトイレの個室のドアノブみたい)ドアが閉じていることが分かる。鍵穴はない。


ドアノブのイメージ図

谷がドアをドンドンと強く叩く。

『おい、秋山。いつまで寝てんだ』

だが中からは何の反応もない。

『もしかして何かあったんじゃ』と宮前がか細い声。その言葉を聞き、谷の顔色が変わった。

『おい木下、宮前。離れてろ、ドアをぶち破る』

木下、宮前も谷の形相に素直にドアから離れる。

『1,2,の3」と谷は掛け声を上げ思いっきりドアにぶつかった。ドアは思いっきり開く。谷は衝撃で少しひるんでおり、その間に木下と宮前が中にずかずかと踏み込んだ。映像は2人の背中を追う。2人の足がピタッと止まった。

『う、うそでしょ』

秋山はベッドの上に毛布をかけ寝ている。毛布は焦げ茶色、四方にピンと張られており秋山の輪郭以外にしわはできていなかった。
 秋山の真っ白な顔はとても穏やかで熟睡しているように見える。ただ毛布にはナイフの柄が秋山の体(お腹らへんの位置)に垂直に立っている。柄の周辺には赤いものがにじんでいる。おおよそ血だろう。血のりの出来はあまりよくないように見える。なんだか水っぽさを感じる。まあ予算的な問題もあるのだろう。

『そんな!』

宮前はその場に卒倒した。

『秋山!』木下はベッドに近づき秋山の首を触る。触った瞬間に手をひっこめた。

『つ、冷たい』とつぶやく木下。

ひるんでいた谷も首筋を触った。

『冷たいし脈もない、死んでる』

秋山は死んでいた。画面は暗転した。


明転しダイニングルームに3人が映される。宮前は顔を下げ生気の無い顔をしていた。

『もう警察には連絡したの?』と木下。

谷は首を横に振る。

『なんでよ』

『ここはもともと圏外だ』

『じゃあ、こんなところさっさと出ましょ』と木下は椅子から立ち上がる。

『無理だ』

『どうして』

『船は明日まで来ないのは知ってるだろ。ここは孤島だ、助けを待つしかない』

『じゃあ、明日までここにいないといけないの』

『そうなるな』

谷の言葉で木下は椅子にドカッと座る。木下は宙を睨んだ後、谷を見る。

『あんた、本当にドアには鍵はかかっての』

『かかってたぞ』『ホントかしら』『どういう意味だ』

『待ってください、鍵はかかってました。私もドアノブ回して確認しました』

『木下、お前。俺を疑ってんのか』

『別に、私はそんな風なこと一言も言ってないけど、邪推は止めて』

『邪推しているのはてめえだ』と谷。

最悪のムードだ。

『私、部屋にいるから。あんたらとは一緒にはいられない』木下は立ち上がりダイニングから出て行った。

谷と宮前だけが残された。

『俺は現場を調べようと思う』

そう言うと谷は立ち上がった。

画面は暗転した。


画面が明転すると秋山の部屋の前になっていた。宮前の背中がすぐ前に映される。

『来たのか』と中にいた谷が画面に向かって言う。

『私も真相が知りたい』と宮前はか細くも力強い言葉を発する。

『分かった、だが何も触るなよ。警察が来るまではできるだけ現場を保存するのが基本だからな』

宮前は小さく頷く。なるほど、ここから捜査パートなのか。宮前は窓に近づく。クレセント錠が上向きで、鍵がかかっているのが分かる。
 宮前は次にベッドを見た。秋山の死体顔にはハンカチでおおわれて見えないようになっている。毛布の端に毛布のずれによるしわができていたのを見て直そうとしたが、直前のところで止めた。先ほどの谷の言葉を思い出したのだろう。宮前は谷の方を見る。

『くそ、どういうことだ』と谷がぼやいた。『犯人はどこから逃げた』

『谷君、何を言ってるの?』

『犯人の脱出経路だよ。この部屋を出るにはドアか窓しかない。でも死体発見時両方とも鍵がかかっていた』

『それってつまり…』

『これは密室殺人だ』

画面が暗転した。


 次のシーンが流れると思ったら、部室の蛍光灯に明かりがついた。どうやら映像は終わりみたいだ。正直、犯人もトリックも全く分からない。背後から足音が聞こえる。振り向くと早坂さんが立っていた。

「映像は以上です。皆さん、どうでしたか?」と明るい声で聴いてくる。

「もし質問があれば何でも言ってください。僕の答えられる範囲で答えます」

「1ついいですか」隣に座る千秋が挙手する。

「何なりと聞いてください」早坂は微笑む。

「この映画の舞台は絶海の孤島で、殺人現場は死体発見時密室だったという認識で合ってますか」

「はい、その認識で正しいです」

「ここまでの情報で本当に解決できるのですか?」

「はい、それは断言できます」

「どうしてです?」と千秋が質問すると、「製作者が明言してます」

「えっ」私は思わず首をひねる。

「どうして製作者に答えを聞かないのか、と思われますよね。尤もな疑問です。僕もこの事件の答えを聞きましたが、先輩は決して教えてくれませんでした。先輩が教えてくれたのはただ『手がかりはもうすべて示されている』とだけです」

つまり製作者からの挑戦状ということか。

「ありがとうございます」

千秋は手を顔に添え考え込む。

「すいません、皆さんには申し訳ないのですがこれから用事があるので僕はいなくなります。後は砂川に聞いてください。皆さんの事、頼りにしています」

早坂先輩はそう言うと、部室から出て行った。

「どうですか、何かアイデアとか思いつきましたか?」砂川君は私たちの方を見る。

私は千秋と顔を見合わせる。千秋は首を横に振った。私は1つ思いついた説があった。筋は通っている気がする。

「はい」と挙手する。「どうぞ、早苗さん」

「犯人は窓から出て行ったの」私は勢いよく宣言する。

「でもどうやって? 窓には鍵がかかっていた」砂川君は頭をかしげる。

「鍵がかかっているのを確認したのは最後のシーンでしょ。本当は死体発見時は窓は開いていて、犯人は捜査をするふりをして窓を閉めた。それができるのはただ1人、谷だよ」

谷は死体発見後、捜査をすると言って現場に入った。その時に窓の鍵を閉めたとしても分からないはずだ。部屋を密室にすることができるのは谷しかいない。どうだ、参ったか。

「残念だけど違うよ」砂川君は即答するとパソコンをいじってスクリーンに映像を映す。死体発見時の映像だった。

「窓を見て」と砂川君は窓の部分を指し示す。

「ああ」クレセント錠がかかっているのがはっきりと分かる。

「死体発見時点で窓は閉まっていたんだ。だからその推理は答えにはならない」

「でももしかしたら撮影ミスかも。本当は開けてるはずだったけど、撮影するときに手違いで閉めちゃったとかは?」

「それはないかな」と千秋。「製作者が『手掛かりはもうすべて示されている』と言っている以上、そんな致命的なミスはしないと思う。それにもし谷君が窓から出て行ったのなら現場を密室にする意味がないの。密室にしなければ誰でも犯行は可能。密室にしたせいで自分が怪しまれる状況に陥っている。小春の説はすごく面白いけど、私は違うと思う」

確かにそうか。私は納得して引き下がる。

「砂川君はどう思う?」千秋は小さく微笑んだ。


「僕は最初、犯人は谷と宮前の2人だと思ったんです」

へぇー、と私は声を上げた。複数犯とは考えてもみなかった。確かに単独犯であるとは限らないか。

「出口は窓とドアの2か所しかありません。窓がダメなら必然的にドアになります。犯人は何かしらのトリックを用いてドアから出た後、現場を密室にした。これが僕の推理の方針です」

「砂川君はどんなトリックが用いられたと思ったの?」

「僕は現場は密室では無かったと考えました。僕たちがどうして現場を密室だと思っているのか、それは谷と宮前のドアに鍵がかかっていたという証言と映像に映ったドアノブの赤いマーク、この2点です。もし谷と宮前が共犯で2人とも嘘をついているとしたら、後は赤いマークを細工すればいいだけです。ドアノブを取り換えるなど細工の方法はいくらでも考えつきます」

砂川君は一息つく。
砂川君の推理は筋が通っている、事件の真相だと思えてくる。

「すごく興味深いね」と千秋。「でもその推理も多分違うと思う。映像が簡素過ぎるかな」

私は頭の中にはてなマークが乱立する。どゆこと?

「そうなんです。小林さんも分かりましたか」と砂川君は千秋の言葉に嬉しそうな顔をする。千秋は私と目が合うとゆっくりと口を開いた。

「ドアノブが映ったのは現場突入の一度だけ。もしあの時ドアノブに細工がしてあっても私たちは通常時のドアノブを知らないから判断のしようがない。つまりドアノブに細工がしてあったともなかったとも言えない。映像が簡素すぎて隙が無いんだよね」

千秋の発言に私は深く感心する。映像である以上、手がかりは映像の中に存在していなければならない、か。考えたこともなかった。

「そう、だから僕の説も否定されます」砂川君は少し残念がる口ぶりで宣言した。

10
「小林さんは何か思いつきませんか?」と砂川君はじっと千秋を見つめる。

「ごめん、思いつかない」と千秋は申し訳なさそうにうつむく。珍しい、こんな千秋を見るのは初めてだった。いつもは電光石火のごとく事件を解決するのに………。この事件、もしかしたらかなり手ごわいのかもしれない。

「1ついい?」と千秋が小さく手を挙げる。

「はい、なんでも聞いてください!」

「砂川君は製作者について知ってる?」

「分からないです、部長より2つ上の先輩なので僕は面識がないです。また部長に聞いておきますね」

「ありがとね」

「お安い御用です」砂川君は嬉しそうに答えた。

アイデアが出ない以上、議論は終わりを告げた。暗礁に乗り上げた以上、一旦問題から離れることは賢明な判断だと思う。私たちはほどよく雑談を交わした後、明日の放課後にまた集まって話し合うことを決めた。
こうして事件の第一幕は閉じた。

11
次の日の放課後、空き教室に私たち3人は集まった。

「私、1ついい案を思いつきました」私は高らかに宣言する。私の言葉に千秋と砂川君は目を見開いて驚いた表情をする。2人の表情を見て満足した私は自信ありげに言葉を続ける。

「そもそも、密室なんて解く必要は無かったんですよ」

「どういうこと?」と千秋。

「真実は、ずばり秋山の自殺だからです」

「へぇー」と驚きの声が砂川君から漏れる。

「自殺、より詳しく言えば“他殺に見せかけた自殺”です。秋山は3人に恨みがあり復讐をしようと考え、他殺に見えるようナイフで自分のお腹を刺した。現場が密室だったのは秋山のミスです、本当はドアや窓を開けておくべきだったのを彼は忘れていた。そのミスによって現場は密室になり、私たちは密室殺人だと錯覚した。本当は、犯人は密室から出て行ってなどいないのに。どうですか、筋は通っていると思います」

「悪くはないと思う、少し面白みに欠ける真相だけど…」砂川君は不満そうな顔を見せる。私は千秋の表情を伺う。千秋は少し考え込み、おもむろに口を開く。

「気になる点が2つ。
 1つ目は死体を発見したとき、秋山さんはとても穏やかな顔をしていた。もし刺されたときに意識があったのなら多少なりとも苦痛に満ちた表情をするんじゃないかな。
 2つ目は、もし他殺に見せかけた自殺なら、秋山さんはどうしてもっと工作しなかったのか。他殺に装うならナイフ以外にも誰かの遺留品を現場に残したり、偽のダイイングメッセージを書いたりすればいいのに。ナイフを用意してあることから計画的犯行だと分かる。計画的な犯行にしてはミスが多い」千秋は独り言のように語る。

「私としては、小春の説はたぶん製作者が求めた解答ではないと思う。すごく納得できるけどね」と千秋はほんわりと微笑む。

ぐぬぬ… いい案だと思ったのに。私が一晩考えた案をあっさりと否定され少し悔しかった。私が悔しがっていると、砂川君が挙手をする。

「実は僕も考えが1つ」

どうやら次は砂川君が推理を披露する番のようだ。

12
「お二人と別れた後、僕はあらゆる可能性を考えました。
 まず思いついたのは早業殺人です。現場に突入したとき被害者はまだ生きていた。ナイフは実はダミーで被害者に刺さっていなかった。犯人は被害者にいの一番に近づき本物のナイフで刺す。他の目撃者からはちょうど犯人の体が邪魔になって犯行の瞬間は見ることができなかった。まあ、ざっとこんな感じです。でもこれは2つの点で否定されます。
 まず秋山の体が冷たかったこと。これは既に死んでからかなりの時間が経っていることを意味します。
 2つ目はナイフでバレずに刺すことができる状況ではなかったということ。ナイフをバレずに刺すには少なくとも被害者に抱きつくような態勢になる必要があります。だが誰もそんなことはしなかった。これらの2点から早業殺人は否定されます」

砂川君は私たち2人の反応を見る。私は首肯する。横に座っている千秋見ると千秋も納得した表情だった。砂川君は話を続ける。

「本題はここからです。早業殺人が否定された今、僕は考えるべきモノを変えてはどうかと思いました。死体発見の映像を見た時、まずあのナイフが目に飛び込んできます。ナイフが刺さっているのを見て、どこからどう見ても刺殺だと思えます。でも本当にそうなのか、秋山の死因は本当にナイフなのだろうか。その時分かりました、秋山の本当の死因はナイフの一刺しなんかじゃない、秋山は毒殺されたんです」

砂川君の言葉に私は驚き硬直した。毒殺⁉ 考えてもみなかった。千秋は目をキラキラさせ、興味津々だと分かる。

「僕の推理はこうです、犯人は秋山のある計画を利用した。それはドッキリです。秋山はナイフでさされて死んだように見せ、皆を驚かせる悪ふざけを考えていた。だがその計画は1人では実行できないため、秋山は協力者を求めた。それが犯人です。犯人はその話を聞いた時、犯行に利用できると思った。秋山の計画の詳細は分かりませんが、秋山が死体役、犯人が第一発見者役だったと思います。
 秋山は自室のベッドの上で刺されて死んでおり、それを犯人が発見するというのがシナリオです。いざ決行の時、秋山はダミーのナイフを腹に刺し死んだふりをしていました。だがそこで犯人に盛られていた毒が効果を発揮し秋山は眠るように死んでいった。およそ食べ物に致死量以上の睡眠薬が混入されていたと思います。刺殺ではなく毒殺だったこれが僕の説です」砂川君は話すのを止めた。姿勢は堂々とし顔には自信がみなぎっている。

「だとすると犯人は誰になるの?」私は前傾姿勢で訊く。砂川君は私を見る。

「毒を仕込むタイミングは夕食の時しかない。つまり秋山の口にしたカレーライスの中に大量の睡眠薬が入っていたんだ。問題なのはどこに睡眠薬が混入されたのか。考えられるのはライス、ルー、スプーン、カレー皿の4つ。このうちスプーンは映像に映されていないから除外される。カレー皿も同様に皿を選ぶシーンが無いからカレー皿に毒を塗るのも違う。よってライスまたはルーのいずれか。ここでポイントになるのは、『ライスもルーもセルフで』という木下の言葉と、秋山は一足先にライスをカレー皿に盛っていた点。映像でルーは木下によって十分にかき混ぜられていた。秋山だけに睡眠薬を飲ませるのはセルフサービスと言う形式だと不可能だと言える。残ったのはライスのみ、睡眠薬は秋山がよそったライスに含まれていたんだ。ではどうやったか? 犯人はしゃもじに睡眠薬を塗ったんだよ」

「しゃもじ?」意外な凶器に私は驚きの声をあげた。

「そう、しゃもじなら必ず秋山のライスに毒を付着させることができる。あとは犯人がライスをよそうふりをしてすり替えればよい。つまり犯人はライスを秋山の次によそった人物になる」

「でも映像にそんなシーンは無いよ」映像は秋山がルーを皿にのせ皆を待っているシーンで終わっていたはずだ。

「確かに誰が2番目にライスをよそったのかは分からない」

それじゃダメなんじゃ……

「だが犯人は分かるんだ」

「えっ?」

「しゃもじを使う時、水に濡らすよね。お米がしゃもじにくっつかないように。だけどそれは犯人からすれば非常に困る。水で睡眠薬が流されるからね。逆に言えば犯人はそれを避けることができる人物だった。つまりカレーを作っていた人物。犯人は木下だよ」

なるほど、確かに。砂川君の推理に私はただただ感心する。完璧な推理に思えた。だが千秋は手を顔に添え考え込んでいた。

「小林さんはどう思います?」と砂川君。千秋はうーん、とうなる。

「気になることが1つ。砂川君の推理だと秋山さんはどうやって自分の死体を発見させるつもりだったのかな? 現場は完全な密室、秋山さんは刺されて死んでいる。秋山さんはこの状況でどうやって木下さんに自分の死体を発見させるつもりだったのかな?」

「それは…」

「秋山さんの計画ではドッキリは夜行われるはず。死体の恰好で夜を越すのは嫌だろうし。もし秋山さんの部屋の扉が開いていたなら死体の発見は理解できる。会う約束をしていたがノックしても返事がない。ドアノブを握ってみるとドアが開く。何事かと思って中に入ると死体を発見した。この流れは十分納得いく。でも実際はドアには内側から鍵がかかっていた。これじゃあ、秋山さんの死体を発見できない」

「谷がやったみたいにドアを壊して突入する計画だった可能性は?」

「その可能性はかなり低いと思う。夜に会う約束をしていたがノックをしても出てこない。この時『こいつ、約束破って寝てやがる』とでも思うのが普通だよ。ドアを壊して中を確認するなんて乱暴なことはしない。それに秋山さんは部屋に戻るときに谷さんに『眠い』と言い残した。もしドアを壊して入るのが計画なら、そんな余計なことは絶対に言わないと思うな」

千秋は口を閉じる。砂川君は千秋の説明に返す言葉が見つからない様子で天井を向いてあぁー、と小さく叫ぶ。

「自分でもいい推理だと思ったんですが …まだまだでしたね」と砂川君。その顔には清々しさを感じる。千秋は首を横に振った。

「すごかった、私には全然思いつかなかった」と千秋は包み込むような笑顔を見せる。心なしか砂川君の頬が赤らんだ気がした。

13
「次は千秋の番ですよ」と私は言った。私たちにも何かしらの推理があるのだ、千秋ならもう答えが見えたに違いない。だが予想に反して、千秋は首を横に振った。

「ごめん、2人とも。私はまだこの事件に対しての答えが出てないの」

「「ええー」」私と砂川君は同時に驚く。

「千秋、それホント?」とわたし。「うん」頷く千秋。

「ホントのホントに?」「ホントのホント」「ホントのホントのホントに?」「ホントのホントのホント」「ホントの……」(以下略)

私と千秋のやり取りが1分ほど続き、千秋が本当に案を持っていないことを信じることにした。

「そういえば、小林さんに頼まれていた件について、部長に聞いてきました」

砂川君はそう言うと胸ポケットから手帳を取り出し開く。

「制作者はかなり細部までこだわる性格らしいです、いわゆる完璧主義だったとか。ほんとに些細な点でも辻褄が合わないなら取り直しは当たり前だったとか。ミステリー系やサスペンス系の脚本を多く作っていたらしいです、特に血糊へのこだわりは筋金入りだったらしいです。

ああ、あと部長に製作者と例の映像について話した時のこと聞きました。いくつか意味深な言葉を言われたと」

「意味深?」と千秋。

「はい、部長があの映像についてヒントをもらおうとしました。そしたら『人間は常識というフィルターを通してしか事象を知覚できない』と言われたらしいです。部長が聞き返すとはぐらかされましたが、ただ一言、『実を言うと僕はね、密室トリックは嫌いなんだ。大半は再現性がない』と言って立ち去ったとか」

密室トリックが嫌い? じゃあ、どうして密室殺人の映像を作ったのか? 聞く前より謎は一層深まった気がした。

「でも困りました。明日までには解決しない間に合わないかも」と砂川君は漏らす。

「ごめん、私が不甲斐ないばかりに」は申し訳なさそうに顔を伏せる。

「そんな、小林さんのせいじゃないです」と砂川君は手をオーバーに振って否定した。

「また明日考えましょう」

こうして事件の第二幕は閉じた。


14 (千秋)
 私はベッドに背を預け、自宅の天井を見上げながら映像研の事件を想起する。あの映像を見た時、いくつか気になる点はあった。どれも些末で取るに足らない点、事件には何ら関係がないような点だった。あの時から一つの仮説はあった。ただとんでもなく馬鹿げていて納得しがたい仮説。今日の砂川君の話を聞くまでは頭の片隅に追いやっていた仮説だった。
 私は瞼を閉じ、この2日間の探偵部員たちの雄姿を振り返る。この2日間、砂川君と小春によってあらゆる可能性が提示され、また消されていった。残った者は1つも無かった。まあ、私のせいなのだが……。


15
 翌日の放課後、私たちは映像研の部室に集まった。昨日の夜、千秋がLINEで謎が解けたと知らせてきたからだ。やっとか、と私は安堵した、やっぱり千秋はすごいや。この2日間若干の不調気味に見えた我らが部長をどことなく心配していた自分がいた。だがそれが杞憂に終わると知り嬉しさがこみ上げる。
後ろの戸から早坂さんが中に入って来た。

「砂川から聞きました、謎が解けたんですね!」

「はい、多分…」と自信なさげに応える千秋。私は小さく千秋を小突いた。

「大丈夫、千秋? 謎が解けたならもっと堂々とした方がいいですよ」と千秋の耳元でささやく。

「うーん、解けたと言えば解けたし、解けていないと言えば解けていないし」

そうこうしていると早坂さんと砂川君が私たちのために椅子を用意する。私たちはご厚意に甘えて座った。千秋はおもむろに口を開く。

「今回の事件で問題だったのは、現場が“完全なる密室”だったことです。映像を見る限り部屋から出るには窓かドアのいずれかを通らなければなりませんが、死体発見時にはどちらも鍵がかかっていました。
 現場が密室であったことで事件は混迷を極めましたが、幸運なことにも私の目の前にいる優秀な探偵2人のおかげであらゆる可能性を吟味することができました。彼らがいなければこの事件は解けなかったと、私は自信を持って断言します」千秋は私と砂川君に微笑む。頬が少し熱くなるのを感じた。

「今私は1つの仮説を持っています。ただその仮説はあまりに荒唐無稽で納得しかねるモノです。いろいろと反論したくなると思いますが最後まで聞いてもらえると嬉しいです。
前置きが長くなりました。あの事件の真相について私の推理を話します。
 最初にあの映像を見た時、私は4つの違和感を覚えました。1つ目はカレー皿の枚数です。早坂さん、カレー皿が映っているシーンを見せてもらえますか?」

「了解です」と早坂さんはパソコンの画面を私たちに見える様に向ける。そこには鍋の横にカレー皿が4つ重ねて置いてあるシーンが表示されている。画面をじっと見たが私は全く違和感はないと思った、ありきたりなワンシーンだと。

「皿の枚数を見てください。4枚ありますよね、私はこれを見たとき疑問を持ちました。 “どうして4枚なのか?”と」

「登場人物が4人なら皿が4枚なのは当たり前じゃない?」と私は挙手する。千秋は首を振った。

「ううん、この前のシーンで秋山さんは既に自分の皿にライスをよそっている。だから重なった皿は3枚であるのが妥当なの、でも実際は4枚だった」

確かに、秋山はお腹が減ったと言って皆に先んじてカレーを盛っていた。私は納得する。千秋は話を続けた。

「2つ目の違和感は、毛布です。早坂さん、死体発見時のベッドの映像と現場検証時のベッドの映像を同時に表示できますか?」

「お安い御用です」と早坂はパソコンをカチカチと叩き、画面を見せる。

「ベッドを見てもらうと、死体発見時に毛布には秋山の輪郭以外のしわはありませんでした。一方で現場検証時の映像を見てもらうと毛布の1つの端が僅かですが毛布のずれによるしわがあります。これが2つ目の違和感です。
 3つ目の違和感は血です。これは私の感想になってしまいますがナイフの周辺からにじみ出ている血はお世辞にも出来が良いとは言えません。どうも水っぽさを感じます」

血のりについては私も千秋の意見に賛成だった。予算的な問題で事件とは無関係だと思っていたが、どうやら違うらしい。

「最後に4つ目ですが、これも私の感想、いや悪口かな…になります。映像全体を通してですがカメラワークが悪い気がします。例えば死体発見時、カメラはまずドアの前の登場人物を映します。ドアが破壊されて皆が中に入るとカメラもその流れで中に移動します。とても臨場感はありますが、個人的には突入するシーンなどは中から撮ってもよかったのではないかと思います。
 この映像ですが誰かの背中越しに場面を映すシーンが多いです。最初の荷物を持って歩いているシーンも引きで全体を撮らずに4人の背中を映すシーンから始まります。現場検証の時も宮前の背中越しから撮影されます。引きで全体を撮るシーンが無いのです。それは技術的な問題なのか、はたまた意図的に行われていることなのか……。
 以上が私の4つの違和感です。皿の枚数、毛布、血のり、カメラアングル。どれも些末なもので事件の本質と全く絡んでくるとは思えませんでした。でも昨日、砂川君から製作者についての話を聞き、私は認識を変えました。
 砂川君の話では製作者は完璧主義者で、どんな些細な点でも辻褄が合わないならば取り直しを辞さない性格、とのこと。またミステリやサスペンスの脚本を多く書いており、血のりへのこだわりは強かったとか。明らかに今回の作品との矛盾を感じます。完璧主義者なら血のりと毛布は間違いなく取り直すはずですし、血のりへのこだわりがあるならもっとリアルなモノを使うはずです。この矛盾を解決する1つの考えは、製作者は意図的に矛盾を生じさせたというものです」

意図的に? どうして? 

「皿の枚数とカメラワークに注目してください。皿の枚数は一枚多く、カメラワークは引きで全体を撮ることはしない。限りなく主観的な映像を撮ろうとする意図を感じます。まるでこの映像は誰かの目線から見た光景を表しているような意図です」

「それはもしかして……」と早坂さん。

「はい、この事件にはもう1人の登場人物がいました。私たちはその人物の見た光景を映像として見ていたのです」

千秋は高らかに宣言した。

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「もう1人の登場人物(仮にXとします)がいたとすれば、皿の枚数の問題もすんなりと解決できます。一枚多かったのはもう1人の人間の存在を示唆していた」

「でも待ってください、じゃあどうして他の登場人物はXについて言及しないのですか」と私。なんだか狐につままれた気分だ。

「それはいくらでも考えようがあるの、4人はXをハブっていたとか、Xとの会話は映像に映されていないところで行われていたとかね。Xについての言及がないイコールXは存在しない、とは言えない。
『人間は常識というフィルターを通してしか事象を知覚できない』と製作者は言った。今回の映像では私たちはXというフィルターを通して事件を見ていたことになるの」千秋は深く深呼吸をし、推理を再開する。

「Xの存在を仮定して、推理を進めます。Xがいることで何が変わるのか? 私は残った2つの違和感、毛布のしわと血のりを踏まえて考えました。
 毛布のしわが示すことは、何者かが毛布を動かしたということ。ではいつ、誰が? 動かしたのはXが死体を発見してからXが再び現場に戻る間です。この間に毛布を動かすことができた人物は誰か。X,宮前、木下は不可能です、宮前は自室に戻り木下とXは一緒にいました。となると考えられるのは谷になります。しかし谷は宮前に現場のものには触るなと言っています。その谷がうかつにもベッドにもたれたなどは考えにくいです。では一体誰がやったのか、考えられるのは残った1人、秋山さんです」

「えええー」千秋の発言に驚きの声が部室をこだまする。

「秋山さんは死んだはずです!」と私。

「もし生きていたとしたら? 生きていると考えれば、あの血のりのリアリティーの無さも納得がいく」

「秋山が……生きていた?」と私がつぶやくと千秋は首肯する。

「待ってください、木下も谷も秋山の体を触って死亡を確認しているんですよ」

「2人が秋山さんとグルだったら? 私たちは2人の発言を聞いて死んでいると思った。逆い言えば2人が嘘をつけば、秋山さんが生きているのもおかしい事じゃない。そう、これは狂言だった」

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「狂言? 秋山、木下、谷の3人による狂言ですか」早坂さんは啞然とした表情で硬直する。千秋は首を横に振った。

「多分、宮前さんもグルです。宮前さんはXを現場検証に参加するように誘導しなければいけませんから。宮前さんが現場検証に行かなかったとしたら、谷さんがカメラに向かって話しかける、奇妙な映像になります。それではトリックが一目でバレてしまうので、宮前さんにはどうしても現場検証に参加してもらう必要があります。宮前さんもグルだと考えた方が自然です。

秋山、木下、谷、宮前はXに対してドッキリを仕掛けた。これが事件の真相だと私は考えます」

千秋は推理を終えた。私はただただ驚愕の結末に言葉を失う。まさか登場人物全員が犯人とは思わなかった。

「密室のトリックなんてそもそも無かったんですね」と砂川君。

「うん、トリックは密室トリックではなく叙述トリックだった。この事件で密室に注目するとたちまち抜け出せなくなる。完全な密室から抜け出す方法なんて存在しない、解なしという解。製作者はそれを狙ったのだと思う。
 このトリックよくできている。映像媒体の特性を利用したトリック、まさか芝居の中で芝居が行われているとはなかなか思いつかない。実際に行われたら血のりを見て狂言だと分かるけど、あくまで私たちは芝居だと認識して映像を見るから、血のりの出来が悪くてもまあそういうものだと勝手に解釈してしまう。私たちの常識が事象の認識をゆがませる」

 千秋は少し疲れたのか先ほどまでピンと伸ばしていた背筋を曲げ姿勢を崩す。ただその表情には疲れは見えずどこか清々しさを感じさせる。
 私はこの事件について振り返る。思えば映像を見てから、密室の解明に躍起になっていた。密室での他殺体、インパクトが強烈でうまくミスリードされてしまった。

「本当にありがとうございます」と早坂さんは右手を差し出す。どうやら千秋に握手を求めているようだ。千秋は一瞬頬を赤く染め右手を前に出す。交わされる握手。

「どうお礼をするべきか」

「お礼は結構ですよ。私たちはただやりたくてやっただけですから」

「そうですか、でも…… そうだ、小林さんには是非タイトルをつけてもらいたいです」

「タイトルですか」と千秋はたじろぐ。「はい、ぜひお願いします」

千秋は手を顎に添え考える。

「そうですね、じゃあ内容に即して……」

こうして事件は無事に閉幕した。








あとがき
最後までお読みいただきありがとうございます。
今回のテーマは”解なしという解”です。
私はミステリーは高校数学に似ていると思います。問題があり論理的に考え解を導く。まさに探偵が行っている行為です。
違いとしては、数学には解なしという解はありえますが、ミステリーにおいて解なしというのはありえません。
密室での他殺体があれば犯人は必ず部屋の外に出て行ったはずです。必ず答えがある、それがミステリーです。
今回、映像内での事件という性質を利用して解なしという解を表そうと考えました。うまくいったかどうかはわかりませんが、なかなか面白い試みだったと振り返って思います。コメントを頂けると幸いです。
本作は”愚者のエンドロール”(古典部シリーズ第2作)の設定を参考にしました。古典部シリーズはどれも面白いので読んだことが無い人は是非読まれることをお勧めします。

改めましてお読みいただきありがとうございました。
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登場人物紹介

小林 千秋

探偵部 部長

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