第10話 幽霊との一局

文字数 11,112文字


「よし、じゃあ解散」
部長が椅子から立ち上がり宣言する。僕(砂川)は今、壁新聞部の部室に居た。
壁新聞部は毎月の初めに壁新聞を発行し下駄箱を通ってすぐの掲示板の横や各階の階段の近くに貼られる。今日は、壁新聞部の定例会議の日だった。各人が書いた記事の最終チェックと次号の壁新聞の内容、レイアウト決めが行われる。
この学校には壁新聞部と新聞部が存在する。かつては一つの部活だったが十数年前に袂を分かった。新聞部は真実を追求し壁新聞部は事実を追求する、方向性の違いだったらしい。
壁新聞の内容は正直つまらない、読者を煽ったり憶測を述べたりせずただ事実を淡々と書き連ねる。だからこそ惹かれた。
部長は僕らを見渡す。
「そうだ最近、学校の怪談が広がっているのは知っているか?」
部員たちは顔を見合わせた後それぞれ首を横に振った。
「そうだよな。俺も知り合いから聞いたばかりだ。なんでも幽霊が出たらしい」
「幽霊?」
「ああ、詳細は分からんが調べる価値はあるかもしれない」
幽霊などいるとは到底思えない。幽霊の噂が広まり始めたというのは必ず何者かの意図があるはずだ。誰が何のためにそんなことをするのか、意外と興味深い。
その時だった。
「ぎゃあっ」と女性の悲鳴がどこからか聞こえた。ドシンッと鈍い音が続いた。
「なんだなんだ」
「隣の部屋だ」先輩の一人が発した。
部員たちは立ち上がり音のした方向に我先にと向かう。さすが未来の報道記者たち、電光石火の勢いだ。僕も取り残されないように走った。
部室の外に出ると3つ向こうの教室から数人の生徒がこちら側に向かってくる。見た感じかれらも音を聞きつけた野次馬なのだろう
現場は隣の教室だった。“将棋部”のプレートが壁に掛かっている。
先輩はノックもなしに思いっきり戸を引いた。
僕は先輩たちの隙間から中を覗く。
「大変だ」
女子生徒が本棚にもたれて倒れているのが見える。パイプ椅子に座っていたらしく体の下にはパイプ椅子がある。ピクリとも動かない姿から最悪のケースを想起した。
先輩の一人が駆け寄り女子生徒の手を取って手首を持つ
「脈はある」先輩はハァッと安堵のため息を吐く。
「誰か保健室に知らせろ。あと担架が必要かもしれん、持って来てくれ」先輩は指示を飛ばす。
だが誰も動こうとしない。気が動転しているのか、皆狼狽した表情を見せる。
しょうがないので「僕、行きます」と名乗りを上げた。
「砂川、任せた」はい、任されました。
僕は保健室に向かって駆け出した。


運よく、保健室には校医の先生がいた。僕は状況を説明し、その女の先生と現場に急行する。ちゃんと簡易担架を持ってくるのは忘れなかった。
現場に戻ると、相変わらず入り口には野次馬が固まっていた。人数はぱっと見変わらない。先生の姿を見て野次馬は道を開ける。
先生は女子生徒を見ても声一つ上げなかった。さすが現場慣れてしているのだろう。
「どうやら気絶しているだけ見たい」と先生は所感を述べた。野次馬から安堵のため息がいくつか聞こえた。
「みんな、この子を保健室に運ぶから手伝って。君、担架広げて」と僕の持っている布製の担架を指さす。僕は担架を広げ床に置く。
「みんな来て、この子を担架に移すよ」先生は生徒たちに指示して女子生徒を囲むように配置した。
「いくよ、せ~の」その掛け声のもと、女子生徒の体は宙に浮き無事担架に移動した。
その後、担架の持ち手に一人ずつ配置して今度は担架をゆっくり持ち上げる。僕も担架を持つ一人だった。
「ああ、彼女の荷物誰か持って来て」と先生。
生徒の二人が「はい」と反応した。
女子生徒は無事保健室のベッドまで運ばれた。


「みんな、ありがとね」
先生が女子生徒が寝ているベッドのカーテンを閉めると一礼した。僕らもすぐ頭を下げる。
任務が完了したと保健室から生徒がぞろぞろ出ていく。
「先生、彼女の容態は大丈夫なんですか」
保健室から出るとき僕は気になったので聞いてみた。
「心配しないで、大丈夫だから。一応これから病院でも見てもらうつもりよ」
「彼女が気絶していた原因って後頭部を強打したからですか?」
「ええ、よくわかったわね。おおよそパイプ椅子からバランスを崩して後ろの本棚に頭を打ち付けたのよ。ただ…」
「ただ、何ですか?」
「いいえ、大したことじゃないの」先生は小さく首を横に振った。
「教えて欲しいです」これがドラマだったら絶対に重要な手掛かりだ。
「そう? じゃあ言うけど彼女の左眉の少し上に打撲痕があったの」
「そうでしたっけ?」
「ええ、前髪で隠れていたからあなたは気が付かなかったかもしれないけど… まだ赤く腫れてたから最近ぶつけてできたのね」
先生はそう言い終わると掛け時計をちらっと見た。
「もういいかしら」
「はい、ありがとうございました」僕は一礼して保健室を後にした。


壁新聞部への廊下を歩いているの目の前に同じクラスメイトを見つけた。長田(おさだ)駿|はやお、新聞部に所属しており教室では体育の時間などにたまに話す間柄だ。長田はこちらを見て手を振る。
「おお砂川、お疲れ。どうだった彼女の容態は」
「彼女って?」
「部室で倒れていた女子生徒のことだよ」
「大丈夫だってさ、病院で検査するみたいだけど。どうしてそのことを知っている?」あの野次馬の中に長田はいなかった気がするが…
「帰ろうとしたら野次馬見つけてよ。壁新聞部が運ぶの手伝ったって聞いたからお前を待ってたんだよ」
新聞部と壁新聞部は方向性の違いはあれど個人間の対立はあまりない。言うなればレアルとバルサ、ジュビロとエスパレスみたいな関係だ。
「で、話って?」
「お前はこの件どう思う?」長田は鋭い口調で訊く。
「先生は事故だろうって。パイプ椅子にもたれていたらバランスを崩して頭を打ったって言ってた」
「お前はどう思ってる?」長田は眉間にしわを寄せこちらを睨む。
「僕は…」いくつか疑わしい点がある。だがはっきりそうだと断定はできない。
「俺はこの件調べようと思ってる」えっ?
「どうして?」
「砂川、今学校で幽霊の噂が広がっているのを知ってるか?」
なんだ、唐突に? 
「うちの先輩も言ってたよ。だけどその噂が今回の件とどう繋がる?」
「俺、その幽霊の噂について次の新聞で記事を書くのが決まっててよ。今回の件、幽霊と繋がらないかと思ってる」
「今回の件が幽霊の仕業とでも?」
「分からん、だから調べるんだ。何かつなげられるところがあれば儲けもんだろ」
「さすが新聞部の部員、熱心だね」
「お前、思ってもないことを。顔に出てるぞ」
自分は顔に出やすいタイプではないと思っていたが、反省しなければ。
「そうなんだ。まあ、頑張ってね」
僕は長田の横を通り抜けようとする。いずれにせよ、僕には関係ないことだ。
「ちょっと待て。砂川、お前も手伝え」
「はっ? どうして」
「さもないと俺が好き勝手書くかもしれんぞ」
「脅してるつもり?」
「なあに協力を要請しているだけだ」
長田はにんまり笑う。
正直に言おう、僕は新聞部の方針が好きではない。
一度、長田と話した時、険悪なムードになった事を思い出す。
どんな流れだったかは忘れたがメディアの在り方について話し合った。僕はメディアとは事実を報じるものであると言い、長田はそれを真っ向から否定した。
「読まれなければ意味がない。どんなに高尚なことが書いてあってもそれは読まれて初めて意味を成す。お前の志の高さは結構だが、他人にそれを求めるのはお門違いだ。大衆に迎合して何が悪い。みんなが求める情報を与えるのが俺たちメディアの役割だろ。人は見たいものだけしか見えないんだよ」その時の長田の発言を今でも覚えている。
別に迎合するのが悪いとは言わない。長田の言い分も十分理解できるし、壁新聞なんて誰も読まないかもという思いに時々駆られる。記事を書く上で多くの人に読まれたいと思うのは当然だ。
だがウケるために事実を捻じ曲げるのはおかしい。そこだけは譲れない。初めに事実ありきでなければもうそれはゴシップ記事だ、新聞とは言えない。
もし捜査に協力しなければ長田は面白おかしく記事を書くだろう。
お前はそれを許せるのか? と長田は遠回しに聞いているのだ。
もしここで協力を拒否すれば僕は間接的に新聞部の方針を認めたことになる。それは何だか癪だ。
「分かった、協力するよ」僕は顔に笑顔を浮かべた。


「さてと、捜査を始めよう」長田は声を張り上げる。
僕らは現場に戻っていた。現場を一通り見ることになった。
窓はクレセント錠で鍵はしまっている。
「この窓はもともと鍵掛かっていたか分かる?」と僕。
「さあな。でも俺が現場を見てから誰も現場に入る人間はいなかったぜ」
僕はうなずき窓から離れる。
女子生徒の座っていたパイプ椅子は床に倒れたままだった。パイプ椅子のすぐ横に分厚い本が落ちている。しゃがんでタイトルを見た。
「えっとなになに、“将棋百年”か」
知らないタイトルだ。見た目も古く日焼けでボロボロだった。かなり昔に発行された本だと思われる。
拾おうかと思ったが現場検証がまだなのでそのままにした。次に女子生徒が頭をぶつけた本棚に目をやる。本棚は丁寧に整頓されていたが、ただ一つ下から二段目に丁度“将棋百年”が入りそうなぐらいの隙間がある。もともとはそこにしまってあったのだろう。
立ち上がって目線を部室中央に位置するテーブルに向けた。
テーブルには将棋盤が置かれており対戦の途中のようだ。駒台(将棋の駒を置く台)は女子生徒の座っていた場所から見て両方とも右側に置かれている。対局用時計は無かった。僕はテーブルに一歩近づき将棋盤を覗き込む。相居飛車の中盤、一昔前にはやった角換わりだ。女子生徒がガンガン攻めている構図だった。


盤面(被害者側から見た局面)

あれ、どこかで…、僕はじっと考える。
「どうした、何か分かったか?」と長田。
「あ、いや。この局面、どこかで見たことがある気がして」
「そうか、俺は分からん。将棋がさっぱりだからな」さいですか。僕は盤面から目線を外し周りを見渡す。他に見るべきところはもう無さそうだ。
「俺の推理だとこれは撲殺事件だ」
「いや死んでいないけど」
「少し黙れ。いいかテーブルを見ろ。将棋盤があって対局の途中だ。ここから被害者は誰かと将棋を指していた」
「それで?」
「分からないのか? お前が来た時、そいつはいなかったんだぜ。そいつは逃げ出したんだ。事故ならどうしてそいつは逃げる必要がある? それはそいつが被害者を殴ったからだ」長田は床の“将棋百年”を指さす。『わからないよ、ただ怖くなって逃げ出しかもしれないだろ』と言おうとしたが口に出す寸前のところで止めた。火に油を注ぐのはよくない。それに長田の主張は十分納得できる。
「なるほどね。で次はどうする?」
「決まってるだろ。現場検証の後は事情聴取だ」と長田がこちらを見る。
「ん? 僕の顔に何かついているかい?」
「違う、まずは砂川、お前から話を聞く」
ああ、そういうこと。


「お前は事件の発生時どこにいた?」
「新聞部の部室だよ。先輩もいたからアリバイはある」
「それで?」
「次の新聞の題材の話をしていたら女性の悲鳴、それからドシッと鈍い音がした。それで僕らが隣の部室に見に行ったら部室で彼女が倒れているのを発見したんだ」
「一番最初に女子生徒に近づいたのは誰だ?」
「うちの部長だよ。真っ先に近づいて脈を確認していた」
「なるほど」と長田は手帳に何やら書き込む。もしかしたら部長に悪いことをしたかも。
「女子生徒についてお前の知っていることは?」
「名前も学年も分からないよ。ああそうだ、先生が言ってた。彼女の左眉の少し上赤く腫れた打撲の跡があったって」
「ほんとか⁉ どうしてそれを早く言わない!」長田は怒気を強める。今にも飛び掛かってきそうな勢いだ。
「他に隠していることは無いよな」
「ないよ」別に隠すつもりは無かった、聞かれなかったから言わなかっただけだ。
「あっ」僕は思わず声をあげた。
「どうした⁉」
「いや、さっきの局面思い出したんだ。あれは“木村定跡”だよ」
木村定跡。それは初代実力制名人の木村義雄が考案した定跡で、角換わり腰掛け銀における先手必勝の定跡だ。
「なんだ? それは珍しいのか?」長田はきょとんとした表情を見せる。
「珍しいと言うよりはすごく難しい。先手は綱渡りの状態がずっと続く。一手でも間違えれば即奈落の底だ」
へぇ~と長田は興味ないとあからさまな反応。知らないとこの定跡のすごさは分からないか。
「それで次はどうするの?」と僕。
「今度は鉄道研究会に行く」さいですか。


鉄道研究会は将棋部の隣に位置する。鉄道をこよなく愛する鉄分多めの人間が所属するサークルである。彼らの前では決して鉄道の話をしてはいけない。鉄道を貶すことはもちろんだが、鉄道を褒めることもタブーだ。彼らのマシンガントークは天下一品だ。ひとたび鉄道について語り始めると日が沈もうが授業が始まろうがお構いなしだ。
僕と長田は鉄道研究会の戸の前にいる。
トントントン
長田がノックすると、ひょっこりと眼鏡を掛けた細身の男子生徒が顔を覗かせた。見覚えがある、野次馬の一人だったはずだ。
長田は男子生徒と交流があるのか、男子生徒を見て「よぅ」と小さく手を挙げる。
「今いいか」と長田。男子生徒はコクリと肯く。
「さっき起きた事件について知っていることを教えてくれ。事件が起きた時、堀田はどこにいた?」男子生徒の苗字は堀田と言うらしい。
堀田は長田の質問に眉をしかめる。
「もしかして自分、疑われてる?」堀田はわずかに体を揺らしていた。
「誤解だ、みんなに聞いている」
「そう、それなら良かった」堀田はほっと胸をなでおろした。「僕たちは今鉄道模型を作ってるんだ。今日も数人と作っていた。そしたらいきなり女子の悲鳴とドシンと大きな音がしてさ。作業を一旦止めて様子を見に行ったんだ。部室を出たら将棋部の入り口に人がたまっていたから見に行ったよ。そしたら水(みず)無(なし)さんが本棚に倒れているのが見えた」
堀田の証言は僕の証言に似ていた。
「堀田は女子生徒のこと知ってるのか?」
「同じクラスだったから。何度か話したこともあるよ」
堀田は女子生徒のことについて話す。水(みず)無(なし) 彩(あや)、高校から将棋を始めたらしい。集中力がすごく勉強熱心らしい。今日も全体練習の曜日ではないが部室には行くのを見かけたと堀田は語った。
「そういえば、最近居飛車の勉強をしているって言ってた。水無さんもともとは中飛車党だったけどモデルチェンジしようかなってぼやいてた」
「堀田、お前将棋させたのか!」
「ま、まあね。たしなむ程度には」
長田は何やらメモに書き込む。どうやら堀田君も有力な容疑者になったらしい。
堀田はおびえた表情を見せる。
「それで堀田、お前は現場を見てからどうしてた?」
「水無さんの床に置かれたリュックとテーブルの上に置いてあったスマホを保健室に持って行ったよ」
「何か現場を見て気が付いたことはあるか?」
「ああ、水無さん新しいスマホケースに変えていた。手帳型でリラックマのデザインだったよ。閉じた時に見えたんだ」
「なるほどな」長田は肩を少し落とす。期待していた情報では無かったようだ。
「砂川は何か聞く事はあるか?」
「そうだね。じゃあ、二つ。一つ目、堀田君は将棋部から逃げ出す人とか見た?」
堀田は首を横に振る。
「二つ目、堀田君は左利き?」
「違うけどなんで?」堀田は首を傾げた。長田はこちらに鋭い目を向ける。
「いや、何となく」
長田は呆れた表情を見せる。
堀田への事情聴取は終わった。


廊下に出ると夕日が差し込んでいた。もう時間があまりない。
「そうだ、将棋部片づけて行かないと」
床に落ちた“将棋百年”をしまって鍵もかけておかないとな
僕らは将棋部の部室に入る。
「砂川、お前はこの事件解けたか?」長田は嬉しそうな顔をこちらに向ける。どうやら何か考えがあるようだ。
僕は首を小さく横に振る。
「そうかそうか、さっき俺はこの事件を撲殺事件だと言ったな。悪かった、訂正する。今回の事件はただの撲殺事件じゃない、これは密室殺人だ」
もう殺人じゃないというツッコミは止めた。
「どうしてそう思う?」僕は“将棋百年”を拾い上げ棚に向かう。本の片面に埃が付いていたのでサッサっと手で払う。どこでついたのだろうか?
長田は話を続ける。
「将棋部は新聞部と鉄道研の間にある。だが誰も怪しい人間を見ていない。そして将棋部の窓はしっかり鍵がかかっていた。これはどういうことか、将棋部は事件発生時は密室だったわけだ」
「そうだね」
「そう、そしてそうなると犯人は一人に絞られる」
まさか、それって…。 嫌な予感が…
「そう幽霊だよ。犯人は幽霊だ!!
沈黙が広がる。
「どうだ、やっぱりこの事件は幽霊とつながっているんだ!」
「水無さんは幽霊と将棋を指していたの?」
「うう」長田はうなる。分かりやすい男だ。
僕は本棚の下から二段目の隙間に“将棋百年”を差し込む。
「ん?」「どうした?」
「あ、いや。本が入らないな」どうやってもこのままでは本が入らない。丁度一冊“将棋世界”を抜けば入りそうだ。実際“将棋世界”を一冊抜くと何とか入った。
「おっ、これ最新号だ」一冊抜いた“将棋世界”の発売日は今日になっていた。棚にはもう隙間がない。しょうがなくテーブルの上に本を置いた。
ああ、そういうことか。

9(解決偏)
「よし、俺は早速この事件の記事を書かねば。タイトルは“幽霊との一局”とかどうだ?」長田がテンション高めに聞いてくる。先ほどの指摘はもうすっかり忘れたようだ。
「ちょっと待った。これは幽霊の仕業じゃないよ」
「なんだ、分かったような口ぶりだな。まさかお前分かったのか?」長田は落ち着いたテンションに戻った。
「多分だけどね」まだ確証はないがあってるはず。
「教えろ、誰がやった?」自分の説が否定されてか、長田はせっかちに聞いてくる。
「まあ落ち着いて。順番に行こう。まず被害者がどうして気絶したのか。被害者の左眉の上には打撲痕があった、しかもついさっきできたものだ。それに僕が訊いた悲鳴の後にドシンと鈍い音、床に落ちていた“将棋百年”の本、これらのことを考えると彼女がどうして気絶したのかが分かる。彼女はまず“将棋百年”で殴打された、そしてその勢いで後ろに倒れこみ本棚に後頭部を打ち付けたここまではいいよね」
「ああ」と肯く長田。
「次に現場を見て分かった事について。まず窓には鍵がかかっていた。窓から誰かが逃げ出した可能性はない。次にテーブルには将棋盤、駒台が置かれており、対局の途中だった。このことから被害者は直前まで対局をしていた可能性が高いと思われる。それから床に落ちた本、これはもともと本棚の下から二段目にあったと思われる。本棚にはそこしか隙間がないし丁度入りそうな隙間だしね。この本は今日何者かによって取り出された。当たり前だよね、本が勝手に移動する訳ないから」
「そうだな、犯人が取り出したんだろ。殴りやすそうな大きさだ」
「次に僕らは堀田君に話を聞いた。彼の話はすごい重要だった。発言をまとめると、水無さんのリュックとスマホを保健室に運んだこと、水無さんが新しい手帳型でリラックマがデザインされたスマホケースに変えたこと、水無さんは将棋の初心者であること、彼女は最近は居飛車の勉強をしていること、怪しげな人間は見なかったこと、堀田君は右利きであること。だいたいこんな感じだった」
「俺にはどれもさして重要だとは思えんのだが」
「一つずつ説明するよ。そうだな、まず水無さんと対戦していた人物は左利きである可能性が高い。それは将棋の駒台を見れば分かる」
「どういうことだ、説明しろ」僕は将棋盤の前に移動する。駒台に置かれている歩兵の駒を手に取った。
「将棋でもチェスでもいいけど駒を動かす時、利き手を使うでしょ。右利きなら右手で動かすよね。じゃあ右利きだと駒台は自分から見てどっちに置いた方がいい? 当然自分から見て右だよね。わざわざ反対側には置かない。じゃあ被害者の対戦相手の駒台を見てよ、被害者から見て右、つまり対戦相手は自分から見て左側に駒台を置いたんだ。このことから対戦相手は左利きの可能性が高いことが分かる」
「すげー、よくわかったな」と長田は素直な反応をする。
「ありがと。話を戻すと堀田君は右利きなんだから犯人ではない」
「だからあいつに利き手を聞いたのか!」
「まあ、何となくね。次に水無さんは将棋の初心者で最近居飛車の勉強をしていることについて。盤面を見ると相居飛車で“木村定跡”の進行だった。さっき言ったけど“木村定跡”ってかなり難しいんだ、正直最近居飛車を勉強し始めた素人が指しこなすのはムリと思う」
「つまりどういうことだ?」
「水無さんは対戦してなかったんじゃないかな? 別に対戦するだけが勉強法じゃない。その時思ったんだ、水無さんは棋譜並べをしていたんじゃないかってね」
「棋譜並べ?」
僕は長田に説明する。
棋譜というのは、「▲7六歩、△8四歩、▲6八銀、・・・」のように、符号によって対局の指し手を記録したものであり、本などに載っている棋譜の通りに駒を動かしていくことで、一局の将棋を再現するのが棋譜並べである。将棋の上達法の一つとして必ず挙げられる方法だ。
「水無さんが一人で棋譜並べをしていたと考えると駒台の件も納得いくんだ。棋譜並べなら相手も駒も水無さんが動かすから相手の駒台も右に置く」
「でもそれだけじゃ対戦相手がいないって証拠にはならねえよ」
長田の反論は尤もだ、駒台と盤面の状況だけでは棋譜並べをしていたという証拠は弱い。第一に棋譜並べをするなら棋譜が必要になる。だが現場検証の時、テーブルには定跡書などは何も無かった。
「確かにね。じゃあ根拠を示すよ。棋譜並べをしていたって根拠をね。それは堀田君の2つの証言から分かる。堀田君はスマホとリュックを保健室に運んだ。彼の証言ではスマホはテーブルの上に置いてあったんだ。おかしくないか? もし対戦相手がいるならスマホをテーブルの上に置くなんてマナー違反だ」と僕。
「でも水無のは手帳型だったんだろ。なら閉じておけば差し支えないだろ。閉じておけばスマホは使えない」
「それは違うよ。水無さんはスマホを開いて使っていた」
「どうして分かる?」
「それは堀田くんの証言からさ。彼はスマホを閉じた時リラックマのデザインが施されているのに気が付いた。つまりスマホは彼が来た時開かれた状態だったんだ。使ってないなら普通閉じておくよね。僕の考えでは水無さんはスマホで棋譜を調べてそれを並べていた。対戦相手なんて初めからいなかったんだ」
長田は黙った。それは反論が無いことを意味する。
「そう考えると誰も怪しい人間が逃げ出すのを見ていないのも納得いく。そんな人物いなかったんだからね」
「待て、ならどうして今回の事件が起きたんだ。お前の発言は矛盾している。お前は誰かが棚から本を持ち出して水無の頭部を殴打したと言った。だが現場には水無しかいなかったとも言う。どういうことだ」
相変わらず良い指摘をする。さすがジャーナリストだ。
「持ち出した人間と殴打した人間が同一人物とは限らないだろ。そもそも人間とも限らない」
「分かるように言ってくれ」
「分かった。まず本を棚から取り出したのは水無さんだよ」
「はっ?」
「当然の帰結だよ。現場には彼女しかいなくて本が勝手に動くわけがない。本を棚から出せるのは彼女しかいない」
「そこまでは分かった。だが水無はどうしてあんな分厚い本を取り出したんだ?」
「これを入れるためだよ」
僕はテーブルの上に先ほど置いた“将棋世界”の最新号を指す。
「これ、今日発売なんだ。それが棚に入っていた、水無さんが持ってきたんだろうね。今日は全体練習の日ではないから他の部員来ないみたいだし。彼女は本棚の下から二段目、“将棋世界”をいつも場所に入れようとしたがパンパンで入らなかった。だから“将棋百年”を取り出して最新号を入れるスペースを作った。問題はここからで取り出した“将棋百年”を入れるスペースが本棚のどこを見渡しても見つからなかった。彼女はそれでどうしたか。彼女は本棚の上に“将棋百年”を置いたんだ」
「どうしてそうだと言い切れる?」
「“将棋百年”の片面に埃が付いていたんだ。ここ部室で埃が付きそうな場所と言えば棚の上とかでしょ。本棚の上を確認すれば一部埃があまり積もっていないところがあるはず」
僕はそう言うとクロックスを脱ぎパイプ椅子の上に立つ。
「やっぱりあった」思った通り、本棚の上のすぐ手前に長方形の埃が積もっていない場所がある。それに長方形は“将棋百年”よりも随分細長かった。
「水無さんはとりあえず“将棋百年”を本棚の上に置いた。だけど置き方が悪くて大体半分くらいがはみ出してたんだ。だけど水無さんはそんなこと気にせずパイプ椅子に座り、棋譜並べを始める。そしてある程度経って少し休憩と伸びでもしたときに本棚にぶつかった。水無さんは“将棋百年”のことを忘れてたんだろうね。その本は本棚が揺れたことで落下した。水無さんは顔を上げて本が落ちて来るのを見るがもう遅い。悲鳴こそ上げたが防御はできず左眉の上を打撲、その後本棚に後頭部を打ち付けて気絶したんだ」
「すげーな、お前。まるでシャーロックホームズみたいだ」
「いやいや、まだまだだよ」僕は小さく首を横に振る。あの姉弟にはまだまだかなわないかな。

10

翌日、長田と放課後に事件の話をした。
水無さんは頭部に問題なかったらしい。無事で何よりだ。
僕の推理はあっていたらしい。水無さんに推理を言ったら目を見開いて驚かれたと長田は言う。
「いつから真相に気が付いた?」と長田。
「そうだね、違和感を持ったのはやっぱり駒台の位置かな。あれを見た時もしかして対戦相手なんていなかったんじゃないかって思ったんだ」
「でもあれから分かるのは対戦相手がいたら左利きだってことだろ。どうして対戦相手がいないって分かる?」
「それは先生から聞いた打撲の跡と矛盾するからだよ。打撲の後は水無さんの左眉の上あたりにあった。と言うことは犯人は右手に本を持って殴ったってことになる。犯人は左利きなのに右手で殴るなんておかしいって思ったんだよ」
本当はいくらでも理由は考えられる。殴った時左手が空いてなかったとかなどだ。
でも長田の感心する視線を感じると言わなくてもいい気がした
少しぐらいは名探偵の気分を味わうのも悪くはないだろう。







あとがき
お読みいただきありがとうございます!

 今回は、砂川冬史郎が探偵役として活躍します。彼自身の活躍、探偵部以外での生活を書いてみたかったので書きました。彼をメインで書くことで彼が何を大切にしているのかを皆さんに伝えることができればよいなと思いましたが、私の文才ではなかなかどうしてうまくいきません。これからも頑張るので応援してもらえると嬉しいです。
今回将棋部での事件と言うことで、将棋に関わるものが多く登場します。
私自身が将棋に沼った経験があり、将棋に関する話を作りたいと思いました。
将棋の内容を知らなくても事件は解ける様になっているはずなのでご安心を(もしなっていないなら教えていただけると幸いです)。
将棋を知っている人ならちょっとだけ楽しめたり、共感できたりしたのではないでしょうか?
もしそうなら嬉しい限りです。

今日も今日とてだらだらと書き連ねてしまいました。次は自重します。
改めまして最後までお読みいただきありがとうございました。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

小林 千秋

探偵部 部長

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み