4・3通の古文書

文字数 1,595文字

4・3通の古文書
聖書の他に和紙に包まれた紙包みがあった。開いてみると、3枚の手紙のようなものが入っている。すべて毛筆の草書体だ。なんて書いてあるんだろう。
2人とも毛筆の草書体は読めないが、「永禄6年」や「国家安康」、「亘理」「鈴木」などの文字が読み取れた。
「僕の姉なら、この文字が読めるかもしれないよ。」と僕が言った。
「お姉さんって、先週、教会の礼拝に来た小百合さんのこと。子どもさんと一緒に来ていたね」
「そうだよ。うちの姉は茶道を習っているんだ。そこから、茶掛にはまりこんで、昔の毛筆の草書体を解読することができるんだよ。教会の近くに住んでいるから、来てもらおうか?」
と僕が言ったあと、少し迷いがでた。
「でも牧師先生の了解を取らないでいいのかな?」
僕がヒロシさんに訊いた。
「いいんじゃない。牧師先生も知っている方だし、イチロー君のお姉さんだった怒らないと思うよ。お姉さんは、どこに住んでいるの?」
「東北学院の道路を隔てたマンションの15階だよ。この教会から歩いて5分くらい。」
「そんなに近いんだ。」
「古文書の解読が好きだから、呼んだらきっと飛んでくるよ」
僕が携帯から電話をすると、すぐ電話口に出た。
子どもが今幼稚園に行っているので、少しの時間なら出ていけるということだった。

僕が教会の玄関に出てみると、自転車に乗って坂道を下りてくる姉の姿が見えた。
「こっち、こっち」という手招きをした。
僕は、姉と一緒に地下室に降りていった。
ヒロシさんは、姉とは先週の礼拝で挨拶をしており顔見知りだ。
姉が、ヒロシさんに向かって、
「先週の先生の説教、とても感銘を受けました。」と礼をいうと、ヒロシさんが謙遜の会釈をした。
地下室の中には電球はないが、LEDランプが三台も設置してあるので普通の蛍光灯で照らしたほどの明るさで暗さは微塵も感じない。電球の配線がないということは、昔はろうそくを灯したのかもしれない。
そう思って、周囲を見渡すとろうそくを灯す燭台らしきものが部屋の片隅にあった。
僕は、江戸時代のろうそく燭台は、時代劇のテレビでなんども見たことがある。
スマホの画像検索で「ろうそく・燭台」で検索すると江戸時代の画像がたくさん出てきた。
明治以降は、電気が点いてもよさそうなのにその配線がないということは、明治時代以降、50年前に1度開いたきりでそれ以降、この地下室の扉は開かれなかった可能性がある。だが、「まさか?」という気持ちもあった。
「古文書って、どれ?」と姉が訊いた。
ヒロシさんが「これです」と言って、3通の毛筆の草書体の文書を示した。
「小百合さんは、これを解読できますか?」と古文書を差し出した。
姉が3通とも目を通した。1通ずつ、文字列を指先で追っている。姉は、以前、百人一首の漢文の草書を読んでいたのを見かけたとこがある。たとえば、百人一首の和歌番号十七番は、在原業平朝臣(ありわらのなりひらのあそん)の和歌で、

「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」

と書かれている。現代語訳では、

「不思議なことの多い神代でも聞いたことがない。竜田川が唐紅色に水をくくり染めにしているとは。」

となるが、この和歌を漢文で書くと
「千磐破神代方不聞龍田河韓呉煎尓水淶漱興者」
(チハヤフル カミヨモキカズ タツタガワ カラクレナイニ ミズククルトハ)

となる。かろうじて、音が同じだとわかるが、これが草書体となると最初の一行目からまったく読めない。
 まるで、外国語だ。この漢文でできた真名字「百人一首」は昔の人は読んでいたのだ。
 よく書道展に関する新聞記事やテレビの報道がニュースなどで流れるが、書道展の草書体は普通の人には読めない。姉は、解読辞典を調べながら解読をしたり、草書の文字を書いたりもしていた。
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登場人物紹介

僕・大学4年生・菊地イチロー






佐藤ヒロシ・東京神学大学大学院生

菊地小百合・僕の姉

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