13・国家安康の秘密

文字数 1,854文字

13・国家安康の秘密
 遠くからパイプオルガンの音が響いてきた。
3人が座っているパン工房「バースデー」の店内は近所の子どもたちでにぎやかだ。
店内の喧騒とガラス越の、道路を隔てた所にある東北学院礼拝堂から流れるパイプオルガンの美しい音色が、ミスマッチだが、子どもたちの声を聞きながら、パイプオルガンの音色を聴くのも良いものだ。

「あのパイプオルガンの演奏は、倉持さんだね」とヒロシさんが言う。
「倉持さんって、教会の?
今、岡山に帰省しているじゃないの?」
と僕が訊ねた。倉持さんは、東北学院の3年生で広島の教会の牧師の息子だ。森の都教会で奏楽をしている。
「うん、東北学院大学の礼拝の奏楽もしているんだ。確か、今日仙台に帰ってから学院礼拝の奏楽の練習をするって言っていたからたぶん、倉持さんだと思う。今、弾いているオルガン、教会で弾いている前奏と同じ曲だよね。」
そう言われてみるとそうだ。

「先生(ヒロシ)は、牧師を目指しているからジュネーヴ聖書に関心がおありでしょうね。うちの弟は1番目の子文書にあった亘理の鈴木作左衛門に関心を持っているのよ。私は、2番目の古文書の『国家安康』に強い関心を持っているのよ。仏教関係者は、3番目の経典の誤訳に関心を持っているようよ。
風呂敷の中に入ったジュネーヴ聖書は秘密とナゾとミステリーのてんこ盛りってところね。」
「私はまだ神学生なので、ヒロシさんって名前で呼んでいいですよ。
ところで、小百合さんはどうして『国家安康』に関心を持っているんですか?
国家安康の文字は、家康の文字を2つに分けたので呪詛の意味がこめられていたのを怒った徳川方が大坂方を攻撃し、大坂夏の陣が勃発したんですよね。」

「ええ、それが定説ですよね。でも古文書の中に国家安康の出典が書いてありましたよね。国家安康の言葉は、≪中国古代の書『易経』や中国、明代の類書『事物紀元』に由来する≫って、それで、昨日ウイキペディアや他の事典でも調べてみたんだけど、そんなことどこにも書いていないのよ。
国家安康の言葉は、紀元前から使われているのよ。それが、どうして、家康の呪詛になるのよ。
いい加減ないちゃもんだということがわかるわ。」
僕は姉に訊ねた。
「でも、国家安康の文字の由来をめぐって、徳川方と豊臣方の優れた学者や僧侶が議論していたんだよね。」

「ええ、そうよ。徳川方で一番怒ったのは林羅山よ。林羅山の残した文書には、≪国家安康と申せし書は、無礼不法の極めなり≫と罵倒しているのよ。これに対し、この国家安康の銘を草案した清韓(せいかん)という坊さんは、≪国家安康の文字は、家康の字を隠し隠語としている≫と弁明したのよ。」
「それって、あえて書いたと言っているようなものだよね。」と僕が訊いた。
「それが、間違いの元で、おそらく徳川方の激しい攻撃で、国家安康の文字を書いた、清韓(せいかん)さんが、国家安康の文字の出典を度忘れしたと思うのよ。よくあるでしょう、批判の目にさらされて緊張のあまり、度忘れをし、言いたいことの十分の一しか言えなかったということが。」
「それは、あるよね」と僕が言った。
「もう少し、準備をし、国家安康という言葉は、千年以上前の紀元前の中国の文献に出ているよ、だから私の言葉ではなく中国の言葉で国の安泰を願う言葉だと答えれば、それ以上、徳川方が攻撃しなかったと思うわ。」

「どうして、清韓(せいかん)さんはそれを強く主張しなかったんだろうねえ。」
「それがよくわからないのよ。中国の古典が出典なのをすっかり忘れて、どの本に出ていたのか忘れしまった、としか言いようがないのよね。専門家はおそらくもっと別な理由を考えるのでしょうけど。
現代でも、いい言葉を思いついて、それをネットで調べてみると、他の文献の中に同じ言葉が出ていたとかね。かつて読んだ本の中で見た言葉なのに、それを自分の言葉だと錯覚してしまうことだってあるでしょう。」
「もし、大坂の役の時代に小百合さんのような人が豊臣方にいたら、戦争を防ぐことができたということですよね。
歴史って、そういうものの連続なんでしょうね。」
「そうですね。日本の戦争だって、勝っているうちに止めてしまえばよかったのに、とあるテレビ番組で言っていた中学生がいたけど、歴史はそういうことの連続でしょうね。交通事故だって、あの時、あと10秒だけ、家を出るのを遅くしていれば事故なんて起きなかったのにとかね。」と僕が言った。
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登場人物紹介

僕・大学4年生・菊地イチロー






佐藤ヒロシ・東京神学大学大学院生

菊地小百合・僕の姉

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