10・ジュネーブ聖書渡来の経緯

文字数 872文字

10・ジュネーブ聖書渡来の経緯
ヒロシさんの意見によると、宣教師が持ってきた1560年ジュネーブ聖書は、カトリックが使っている聖書ではなく、あたらしく発行された聖書を資料として読むために日本への船旅のお供に持ってきたもので、日本に来れば、不要なので織田信長公が大切にしているバテレンが使っている本を、茶道の道具と同じように考え堺の商人に高く売りつけたのではないか。それも黄金と交換してのではないか。堺の商人は、めざとく、東北の大地主である亘理の鈴木作兵衛に売りつけたのではないか。それを購入した作兵衛さんは、そのあと、バテレン禁止令を聞きつけ、持っていては命にかかわると思い「からくり箱」の中に入れて土蔵にしまこんだ、というのが神学生・ヒロシさんの推測だ。僕は何かミステリーじみて面白いと思った。

持っていて危ない本であれば、すぐ焚書として焼き払うのであろうが、大枚はたいて買った本なので焼いてしまうのは惜しい、さりとて表には出せない、ということで「からくり箱」の中で460年近くもの長い間、眠っていたということになる。

だが、3通の古文書のうち、一通目は、仙台藩の亘理に住む大地主の鈴木作兵衛さんが手に入れたことはわかったが、「国家安康」の古文書が、1560年ジュネーブ聖書を包んだ風呂敷の中にあったのかはナゾのままだ。

僕がコーヒーを飲んでいる時、窓ガラス越しにガラスをトントンと軽くたたく音がした。
「お姉さんの小百合さんだよ。」とヒロシさんが言った。
窓の方を見ると、自転車をひいたまま、右手を振っていた姉がいた。
姉には、「これから、バースデーでヒロシさんと会うよ。」とメールを入れていた。
メールをしたが、来てもいいよとはメールには書かなかった。
家事とかで忙しいのではないかと思ったからだ。
バースデーの前に駐輪したあと、カウンターでパンとコーヒーを注文し僕たちの席にやってきた。
姉は僕の隣りに座った。
「子どもが幼稚園に行っていて暇だから来ちゃった。」と笑顔で話す。
「話が弾んでいたんでしょう。私も仲間に入れて。」

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登場人物紹介

僕・大学4年生・菊地イチロー






佐藤ヒロシ・東京神学大学大学院生

菊地小百合・僕の姉

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