心の宝石

文字数 2,089文字

 久美がベッドで泣いていると叔父さんがドアの隙間から心配顔を見せた。久美は知らんぷりをしていたのだが、叔父さんは黙ったまま見つめ続ける。久美はため息をついてドアを開けた。

「叔父さん。いつ帰ってきたの?」

「久美ちゃん大丈夫かい、お腹でも痛いのかい? 診せてごらん」

 叔父さんが手に持っている診察鞄を掲げて見せる。久美はまたため息をつく。もう六年生なのだ、そんな理由で泣いたりしない。

「大丈夫。ちょっと友達とけんかして落ち込んでただけ」

 久美は叔父さんを部屋から閉めだそうとしたが叔父さんは頑として動かない。そうして子犬のような瞳で久美を見つめる。久美は根負けした。

「けんかはよくないよ。仲直りしようね」

「そんなに簡単に言わないで。女には色々あるの」

「色々って?」

「思想の違いとか感情の行き違いとか。女心は傷つきやすいの」

「よし、そういう理由ならこのお土産で解決だ!」

 そう言って診察鞄に手を突っ込む叔父さんを、久美はうんざりとした顔で見やる。
 叔父さんはママの弟で船医だ。船に乗って世界のあちこちへ旅をする。船の上での怪我も病気も一人で治すのだ。凄い仕事だと尊敬している。

 それなのに仕事を離れると途端に子供になる。いつものお土産がいい例だ。

 エジプトのミイラの爪という小石、ドラゴンの卵だというダチョウの卵、小人の帽子だというどんぐりのかけら。久美はもうお伽噺を信じる年ではないと叔父さんは気付いていないのだ。

「ほらこれ。魔法の遠眼鏡だよ、すごいだろう」

 鞄から取り出したのは薄茶色の油紙で包まれた、手の平に乗るくらい小さな箱。包みを開くと金属製の円筒形のものが出てきた。

「小さな望遠鏡?」

「違うよ、これは遠眼鏡。人の心が見える魔法の道具さ。メキシコで出会ったケニア人の修行僧が秘密で譲ってくれたんだ。どんな人の心も一目で見抜けるすごい宝物だ」

 メキシコでケニア人で、しかも修行僧! 久美はツッコミたいのを我慢して叔父さんの好きに喋らせることにした。

「ただし、使えるのは人生で一度きり。だから大事な時まで取っておかなくちゃ」

 そう言いながら叔父さんは無造作に遠眼鏡を目に当てて久美を見た。

「何してるの叔父さん! 大事に取っておくんでしょう?」

 慌てた久美に叔父さんはゆったりと微笑む。

「久美ちゃんが傷ついた一大事に使わないわけないさ。今、診たけど、久美ちゃんの心はピカピカで傷なんかついていないよ」

 久美は少しムッとする。

「ほんとに傷ついたんだもん。泣いちゃうくらいに心が痛かったんだもん」

「これを見てごらん」

 叔父さんは箱の中から黄ばんだ紙を取り出して広げた。色とりどりの宝石の絵が描かれている。

「なあに、これ」

「これが心の宝石だよ。この遠眼鏡で覗くと心は宝石の姿に見えるんだ」

「私の心はなんだったの?」

「宝石の王様、ダイヤモンドさ。世界で一番硬くて何者も傷つけることなんかできない」

「でもほんとに私傷ついたのよ。心が痛いの」

 叔父さんは腕を組みふーむと唸った。

「それは、ダイヤがカッティングされたんじゃないかな」

「カッティングって?」

「ダイヤモンドを輝かせるために周囲を削るんだ。その時は痛いかもしれない。けれど、それを越えるとますます美しくなるんだ」

 久美はまた泣きそうに眉を下げた。

「私の心は、きっと美しくなんかなれないよ」

「どうして?」

「由利にひどいこと言っちゃった。由利は悪くないのに」

「お隣の由利ちゃん?」

「ケンカしちゃったの。由利が私のこと冷たいって言うから」

 叔父さんはじっと久美を見つめた。久美はぽつりぽつりと話す。

「クラスに転入生が来たの。その子、誰とも話さないし、お弁当も一人で食べるし、話しかけても返事もしないし。もう放っておこうって私が言ったら由利が……。でもほんとに、その子が何を考えてるかわかんないんだもん」

 叔父さんは腕組みして遠眼鏡の説明書をじっくりと読んだ。

「その子の心は真珠なのかもしれないね」

「真珠の心?」

「やわらかくて傷つきやすい。だから貝殻に閉じ込めているんだ」

「出て来れないの?」

「いいや、安全だとわかったら貝の口を開けて呼吸をする」

「じゃあ、その時をずっと待っていなきゃいけないのね?」

「待ってあげられるかい?」

 久美はにこりと笑ってうなずいた。叔父さんは遠眼鏡で、もう一度久美を覗き見た。

「よし、それでこそダイヤモンドの心だ。きれいだよ」

 久美の頬に朱がさす。叔父さんは遠眼鏡を久美の手に渡すと部屋から出ていこうとした。

「叔父さん」

 呼ばれて叔父さんが振り返ると、久美が遠眼鏡で覗いていた。

「叔父さんの心もきれいなダイヤモンドだわ。ピッカピカに輝いてる」

 叔父さんは一瞬、驚いた顔をして、それから恥ずかしそうに頭を掻いて出ていった。久美は遠眼鏡を光に透かして、くるくる回した。色とりどりの小さな小さな宝石がキラキラと輝く。

「あの子の真珠もきれいだろうな」

 つぶやいて、遠眼鏡という名の万華鏡を大事に箱にしまった。
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