第86話 彼氏づくし(前)~二人の時間・開く秘密の窓~ Aパート

文字数 5,650文字


 朝早くからと言う優希君からのメッセージと、私には目一杯楽しんで欲しいって言う優希君の気持ちがあふれ出るメッセージが頭に残ってしまって、結局はあまり眠れなかったって言うか、学校の無い休みの日にも関わらず、いつもの時間に目が覚めてしまう。
 今日着て行く服も悩みに悩んだ末に、他の男の人に見せたくないと言ってくれたスカートを辞めて、でもキュロットだといつも通りだから、膝丈までのハーフパンツにする。
 それに私を少しでも楽しませてくれようとしてくれる優希君にも喜んで欲しくて、今日は久しぶりにネックレスに合う服に合わせる。
 一通りの着替えが終わったところで、いつもの登校日に起きる時間と同じ時間。まだ誰もいないリビングへと降りる。
 待ち合わせの時間まではまだたくさんあるからとゆっくり朝ご飯を食べながら過ごす。
 本当に優希君に全てを任せてしまって良いのか、それとも何かを用意した方が良いのか。迷いはするけれど、思わず保存してしまったメッセージを読み返してみても、私への気持ちがたくさん綴ってあるだけで、何をするとも、どこへ行くとも何も書いていない。
 “ありがた迷惑” 私は迷いに迷った末に、せっかく私を楽しませようとしてくれている優希君に、余計な事はしないでおこうと、今日は優希君に全てを任せてしまおうと腹を括る事にする。
 朝起きた時から服の事、今の用意の事など、今日は朝から迷ってばかりな気がする。
 私は心の中で独りごちながら、昨日の今日。我が家の男二人の事は放っておいて、少し早いけれど7つ道具の入ったポーチだけは持って、駅へと向かう事にする。


 約束の時間よりも早い時間に待ち合わせ場所に着いたにも関わらず、いつものように何故か私を待ってくれていた。
「おはよう愛美さん。その格好も初めて見るけど似合ってるよ」
 私の姿を見ていつも同じような感想を口にする優希君。男は女の服装を褒めておけば良いと思っている男性も多いらしいけれど、毎回感じる優希君の視線の場所が違うのだから、何をもって似合うとか可愛いとか言っているのかは分かる。
 ちなみに今日は胸部に視線を感じるからネックレスだと思う。
「ありがとう。そう言う優希君のリュック姿も初めて見るから新鮮だよ」
 周りからは多少浮いて見えない事も無いけれど、日曜日の午前中。それほど人が多い訳でもないから、目立つって言うほどでもないって言うか、使い古されたと言うか、所々汚れているところからもそのリュックを妙に使い慣れているのが伺える。
「ありがとう。じゃあ行こうか。はいこれ切符」
「ありがとう? 切符代。出すよ」
「良いよ。今日は愛美さんに少しでも楽しんで欲しいから」
 渡された切符に対して財布を出そうとしたら、止められた。
 それに何か緊張しているのか、私に切符を渡してくれた優希君の手が少し震えていた。


 切符の額面からどこに連れていかれるのかと内心で不安と期待を同居させながら、鉄道で約二時間。
 途中乗り換えを一度挟んだものの、私は常にクロスシートの窓側に座らせてもらって、優希君が通路側に座ると言う位置取りは変えずに、リュックを網棚に乗せたっきり口を開く様子はない。
 無口ではあるけれど、こう言う気遣いは家の男連中には無理だろうなと、主に優希君を、時々気恥ずかしくなった時は車窓から外の景色を眺めながら、私自身は車内を過ごす。
 ただ時折感じる私の胸部へと向けられる視線の事を考えると、不機嫌とかそう言うのでもなさそうだ。
「……」
 その証拠に、今日は雪野さんの事は無いし匂いも感じ無いのだからと、私の方から手を繋ぐとすごく嬉しそうに私の方を見てくれて、何故か安心してくれている。
 そこから目的の駅までは無言だったけれど、繋いだ手の温もりを楽しむ。


 乗り換えを挟んだ先、都会とは言えないけれど田舎とも言えない、のどかな街と言う表現が一番近い目的の駅に着いた私たちは、そのままバスに乗り換えるみたいだ。
 駅のロータリーにある、よく分からないオブジェを横目に見つつバス停の方まで行くと、電車と連絡していたのか、そのまま来たバスに乗車して着いた場所は
「『国有林歩道』?」
 歩道って事は歩くのか。
 私が生い茂った木々の葉が晴れている太陽光を遮って、全体的に影っぽくなっているその獣道みたいな先を覗き込むようにしていると、
「どうぞー」
「おさきー」
 さっきのバスに同乗していた人たちが、そのまま楽しそうに入って行く。その中には社会人らしき女性三人の姿も見えていた。しかもこの薄暗い森の中で何を撮るのか、一人は首からカメラをぶら下げていた。
 その三人の姿も急な下り坂にでもなっているのか、さっきの人達の声はすぐ近くでするけれど姿は全く見えない。
「……えっと……ダメだったかな?」
 私に不安そうに聞いてくる優希君。だからさっきから緊張していたのか。だけれどその目は早く奥に行きたそうな目をしている。
「駄目って言うか、この中を歩くの?」
 こんなデート見た事も聞いた事も無いけれど、私たちが問答している間に今度はご年配の方も、
「お疲れさまー」
「お先どうぞー」
その獣道の中に入って行く。
「これが一番愛美さんと長く、手を繋げるデートだと思ったし……」
「……思ったし?」
 何か分からないけれど、本当に私と手を繋いで歩きたいと思ってくれているみたいだ。
「……僕の趣味を愛美さんに知って欲しくて」
「分かった行こうよ」
 色々迷っていた私にまさかの優希君の言葉。優希君の方から“秘密の窓”を開けてくれるって言う事なら、もう迷う事は無い。
 山の中に入るのに、普通のスニーカーで大丈夫かなと思ったけれど『国有林歩道』と言うくらいだから大丈夫かなと思いなおして、気にしないようにする。


 入口こそ人が三人ほど横に並んで歩けそうな幅を持ってはいたけれど、少し中に入った国有林歩道はすぐに人ひとり分程の幅しかなくなってしまった。
 しかも地面も山肌をそのまま踏み固めたような、獣道って言っても良い程の歩道だ。更に両側には盛り上がった土の中に、摘まめるほどの小石から、拳ほどの石が混じっている上に、その合間を縫うようにして細太様々な木の根が張っている。
 ただ思ったほど急ではなかったのか、落差が少なかったのか、木々の合間からさっきのお姉さんや、ご年配の人の姿を見ることが出来た。
「優希君。慣れているように見えるけれど、こういう所よく来るの?」
 さっきも知らない人なのに普通に話しかけてるし。
 それにさっき優希君が趣味だと言ってくれたけれど、今まで学校や統括会ではそんな素振りは一度も見せてもらった事が無い。
 私は影っぽくなっていると思っていた森の中でも、意外と採光が取れている事に驚きながら、優希君の後ろにつきつつ尋ねる。
「テスト明けとか、気分転換をしたい時とかにはたまに。でも一人の時や優珠と一緒に来る時もあるかな。もっとも今日は愛美さんと手を繋ぎたかったのと、愛美さんに僕の趣味の事を知って欲しかったのもあるけど」
 私は土と小石に半ば埋もれているような木の板と言うか、木の橋とでも言うのか。の上を歩きながら、優希君の答えを聞く。
「でもこの幅だと並んで手を繋げないね」
 そう。なんせ道幅が狭いから二人仲良く手を繋いで歩くことが出来ないのだ。恐らくだけれど並んで歩いたら、左側
 に立っている人がなだらかだけれど、その斜面に滑り落ちて行きそうではある。しかも夏場直前にもかかわらず落ち葉で敷き詰められているから、一度滑ると中々止まらないような気もする。
「そうでもないよ」
 だけれど優希君は今、手を繋げるような状態でも無さそうなのにとても楽しそうに私の方を振り返る。
 なんだか学校にいる時、雪野さんと一緒にいる時とは全然違う、想像もつかないような楽しげな表情をしている優希君。
 そして20分ほど歩いたところで、一抱えほどの大きな石と言うか岩が階段状に並んでいるのを降りた先に、地面の状態も景色もあまり変わらないけれど、木のベンチが二脚ほどといくつかの立て看板が地面に突き刺すようにして表示してある。
 私はその看板に何が書いてあるのか目を通そうと、あちこちに張っている木の根と、人の顔ほどもある大きな石を避けるようにして、目の前まで行くと、山の名前と所々にある見どころみたいな案内とそこまでの距離、所要時間が書いてある。
 しかもよく見るとその立て看板自体が矢印の役割も果たしているみたいだ。それぞれの名称と時間が書いてある看板の向きが少しずつ違うのと先が尖っている。
「これ。今日歩く時間?」
 そこでカバンを漁っていた優希君に聞くと
「そこも行くけど、そこで大体半分かな? 今日は全部でおおよそ五時間ほど歩くつもりだから」
 優希君が私の質問に答えながら、何の為かは分からないけれど
「はいこれ。忘れてたけど一応つけといてよ」
 優希君が私に軍手を渡してくれる。五時間って言う事は今日は本当に一日歩くつもりなのか。
 私は優希君からもらった軍手を手にはめながら、この先の五時間に思いを馳せる。
 そして僅か20分程。特に疲れているわけでもなかった私たちは、休むことなくそのまま後にする。
 そしてさっきよりも小石も木の根も少なくなった、獣道とは言えない獣道を10分ほど歩いたところで、
 今度は木に直接『イロハモミジ』と書かれた看板が木の枝にかけられているのが目に入る。
 そしてその先の木には『ツツジ』と書いた看板が木にぶら下げられている。
 さっきと違ってとても歩きやすい土の地面。しかもアスファルトじゃないからか思ったよりも足は痛くないし、あまり疲れも感じない。
 私はまるで天然の植物園みたいだなって思いながら、看板から看板、時々立て札と動いている時に、
「――っ?!」
「――っと。足元もちゃんと見ないと危ないよ」
 ぬかるんでいた地面に足を滑らせそうになった時、優希君が私の手を取って助けてくれる。
「……ありがとう」
「今日はたくさん手を繋げそうでしょ」
 転びそうになった私に対して、得意げに言う優希君。なんかどさくさに紛れて私の恥ずかしい所を見られてしまった気がしないでもない。
「ひょっとして今、私が転ぶのを分かってたりした?」
 そうとしか思えないタイミングで私の手を取ってくれた優希君。もちろんこけない様に助けてくれたのはありがたいけれど、どうも釈然としない。
「と言うより山の中では滑って転ぶとか結構ある事だし。僕も今日も一回くらいはどこかで転ぶと思ってるよ」
 私は恥ずかしさと少しの恨めしさを込めて聞いたのに、優希君から返ってきた答えはそれも含めての楽しみなんだって言う。
「しばらく雨が降っていなくても、山の中の夜はすごく気温が落ちるし、昼間も太陽の光が中々差し込まないから地面は中々乾きにくいし、それに今も “外” よりかは涼しいと思うんだけど」
 優希君につられるように上を見上げると、何の木かは分からないけれど、上の方まで全く枝が無くて一番上でたくさん葉を広げている木ばっかりだ。
「じゃあ先進もっか」
 優希君が楽しそうに私を先にへ促す。


 そこから一時間ほど、人ひとり分の幅で地面こそは小さな石も木の根も何もなくて、歩きやすかったものの、その左右からは肩ほどの高さのある、雑草と言うには似つかわしくはない何かの草や笹の葉みたいなのが、この道を覆い隠さんとばかりに生い茂っている。
 私たちはこの文字通りの獣道と言って良い程の歩道を歩き進める。初めの方は虫刺されも少し心配ではあったけれど、想像に反して都会と言うか、いつも生活している場所に比べても、もちろんいない訳は無いけれど、虫も少ない気がする。
 そんな不思議な感想を持ちながら歩を進めていると、おおよそ今までの道にはふさわしくない丸太で組み上げられた二人いっぺんに登り降り出来るだけの幅を持った階段が現れる。
 ただ似つかわしくないとは言っても、駅やスーパーであるようなコンクリートやリノリウムなんかで出来たような
 階段ではなく、手すりも丸太で、階段の足をかける所、確か滑り止めだったと思うけれど、そこも丸太で出来ていて、足を置く面は踏み固められた土で出来た階段だ。
 そしてその5・6段の階段を上り切ったところで、
「わぁ。何これ! すごい景色!」
 今まで木々に囲ままれていて何も見えなかったけれど、突然の大空と眼下に広がる山と畑……がとても小さく見える。
 空と空色が大好きな私としてはこんなに空が近くに見えるのが嬉しい。
「風も気持ちいいね」
 いつの間に追い抜いたのか、私の後ろから優希君が並び立つ。
 相変わらず道は狭いし、さっきと違っていつの間にか大小さまざまな石が転がってはいるけれど、この景色と
「……なんかすごく涼しく感じる」
 時折吹く風がたまらなく気持ち良い。
 さっきの人達が何で笑顔で入って行ったのか、優希君が早く行きたそうだったのかが分かった気がする。
「じゃあ先に進もうか。のどとか乾いてない? 今日は水筒も弁当もこっちで用意してるから遠慮なく言って欲しい」
「それは大丈夫だけれど、せっかくだしここで写真撮ろうよ」
 先があるから仕方が無いのだけれど、このまま通り過ぎてしまうには惜し過ぎる気がする。
「分かった。じゃあ愛美さんの携帯貸してよ。僕が撮るよ」
「じゃあ優希君の分は私が撮るね」
 二人並んで撮りたいのだけれど、あいにく私たち二人しかいないからこればかりはどうしようもない。
 私は綺麗な空の背景を中心に写真を撮ってもらい、優希君には眼下に広がる山と畑の背景を中心に写真を撮る。
「じゃあ改めて先に進もうか」
「分かった」
 写真だけを撮り終えて、このきれいな景色を少しでも長く目に焼き付けようと、
「ちょっとだけ休んでも大丈夫かな?」
 少しだけこの景色を楽しみたいと優希君に声を掛ける事にする。


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