第13話 実家に行こう

文字数 2,939文字

 地下鉄を降りた僕はとにかくちよりと二人きりになりたくてあたりを探りながら地下道を歩く。いっそトイレの個室にでも連れ込みたい気分だったがぐっと我慢した。

 まあ、ちよりが拒むのはわかっているけど。

 一通り流れた後で人の姿が途絶える。僕は少し先に進んでもう一度周囲を確認してからちよりに声をかけた。

「君は僕と同窓生なのか?」
「ふふーん、聞きたい?」

 ちよりが悪戯っぽく笑う。

 自分の両手を後ろで組み、わずかに胸を張った。もったいぶった態度で彼女は僕の顔を覗き込む。

「聞きたいよね。空、聞きたくてたまらないって顔に書いてあるよ」

 僕は眉をひそめた。

 じっと無言で見つめるとちよりがつまらなそうに身を引いた。ふわりと亜麻色の髪が揺れる。その香りでごまかそうとするみたいに柑橘系の甘い匂いが浮かんだ。

 うーん、と一声漏らし、ちよりがくるりと僕に背を向ける。ワンピースのスカートがゆったりとした波打つ弧を描いた。

「もしあたしが空と同い年だとしたら、この姿が三十過ぎのおばちゃんじゃないとおかしくない?」
「……」

 それもそうかもしれないけれど、ちよりが僕にしか見えない時点で十分におかしいし常識外れだ。

「そもそも君は何なんだ?」

 少なくとも人間ではない。
 でも、僕と同窓生だとしたら……。

「幽霊?」
「足あるけど」

 ちよりが僕に向き直り裾を膝までまくり上げる。細くてきれいな両足があらわになった。とはいえそんなことしなくても足は見えているのだが。

「いや、幽霊だって足はあるだろ」
「そっかなぁ」
「君は幽霊じゃないのか?」
「さぁて、どっちでしょう?」

 質問を質問で返された。

 こいつ、まともに答える気がないな。

 僕はちよりを睨みつける。彼女が裾を掴んでいた手を離し、余裕の笑みで応戦してきた。こっちは誰も来ないうちに話を済ませたいのに。

「あのね」

 ちよりが僕との距離を詰める。

「あたしが何であろうと、空を幸せにしたいっていう気持ちは変わらないよ」
「……」

 幽霊かどうかははっきりしないけど、その表情には嘘があるようには見えなかった。だから、彼女は本当に僕を幸せにしたいと思っているのだろう。

 ガタンゴトンと地下鉄の電車がホームに入ってくる音が聞こえる。もうじき電車を降りた乗客たちが駅の改札を抜けてこちらへ向かってくるだろう。ちよりとの話を打ち切らねばならない頃合いだった。

 ちよりがにこりとし、僕に言う。

「どうしてもあたしのこと知りたければ自分の過去とちゃんと向き合わないとね」
「え?」

 突然のセリフに僕は聞き返した。ちよりがふっと切なさの混じったような笑みに切り替える。見た目は十七歳くらいだというのに大人の女性のような印象を受けた。

 ……ん?

 心のどこかに引っかかりを感じる。僕は瞬きした。記憶の隅っこに何かがあった。セピア色に彩られた写真の中に誰かがいた。それを突きとめるよりも前に人の気配が近づいてくる。

 話は終わりだ。

 僕は自然を装い、流れてくる人の群れに紛れ込む。ちよりのことでどうするべきか答えは漠然とだが浮かんでいた。

 姿を消したちよりを探すことなく僕は地上へと階段を上る。

 地上に出て陽光に照らされるころには一つの決心をしていた。

 うん。

 千葉の実家に行こう。



 ★★★



 休日を利用して僕は下りの快速と各駅停車を乗り継いで生まれ育った千葉県のY市に降り立つ。JRの駅舎を背にして私鉄の駅前にあるバスターミナルへと歩を進めた。

 電車の本数は学生時代に比べたら増えているのにバスの本数は減っていた。昔は一時間に一本はあったのに今では三時間に一本あるかないかという少なさだ。

 駅前の商店街はすっかりシャッター通りとなっており、よく食べに行っていたラーメン屋も潰れていた。入り口の閉ざされた店の寂しさとは対照的に屋根に掲げられた派手で真っ赤な看板はなぜか賑やかなイメージを想起させる。マンガを立ち読みして店主に白い目で見られた本屋も1ヶ月に一度くらいの贅沢だったショートケーキを売っていたケーキ屋も母と外出したときには必ず立ち寄った喫茶店も全てシャッターを下ろしていた。

 跡継ぎ問題かそれとも経営不振によるものかあるいは別の事情か、長年故郷を離れていた僕にはわからないけれど懐かしい街が衰退していくのは悲しいものがある。

 バスに乗車して市街地から遠ざかると窓から見える光景は黄色が買った茶色の畑と防風林の緑が交互に移り変わるようになった。長い坂を何度か上ったり下がったりし、思い出したかのようにバスを止める信号機に数回引っかかってようやく僕の実家近くのバス停に到着した。

「うーん」

 僕とちよりを降ろしたバスを見送るとちよりが大きく背伸びをする。バスの運賃は一人分しか払ってないけど、僕が最後に乗ったときの三倍ほどにまで値上がりしていたから彼女の文はなしでもいいよな。

 うん。
 気にするのはやめよう。

「ねぇ」

 ちよりが僕の着ていたカーキ色のハーフコートの袖を掴む。

「空のご両親って健在なの?」

 これまでこんな話をするチャンスはあったかもしれないが僕たちはまだお互いの家族について語ったことがなかった。

 僕は舗装の痛んだ片側一車線の市道の端を歩きながら言った。

「父は僕が二十五歳のときに死んだよ。実家には母が一人で暮らしている」
「そう……なんだ」

 と、ちよりが暗い顔をする。

「その、何かごめんね」
「いいよ、もうかなり前のことだし」

 畑の間にぽつんと立つように民家がある。たいていは庭の広い昔ながらの古い日本家屋だ。このあたりは公共の交通手段がバスくらいしかないから一家で数台の車を所有していても不思議ではない。僕の実家も父が生きていたころは車が二台あった。

「あたしの両親はまだいる……かな?」
「……」

 なぜ疑問系?

 つっこみかけるもちよりの少し嫌そうな顔に言葉を飲み込む。ちよりがいきなり僕と腕を組んだ。柔らかな感触を押しつけてくる。自分で自分の禁忌に触れてしまったかのように唇をきゅっと結んでいた。

 僕は無理に聞き出そうとせず、代わりに昔話をした。

「ここからちょっと先に小学校があってね、僕の実家から五分もしない距離なんだ。だから忘れ物をしたときなんかはよく休み時間に学校を抜け出して取りに帰ったもんだよ」

 たまに先生に見つかって怒られたなあ。

 小さな商店の前を通る。コンビニではなく個人のお店だ。店の前には木製の長椅子とジュースの自動販売機が置かれていた。

「ここでよくお菓子やアイスを買ったなぁ。当たりクジつきのアイスはボックスの右奥の底にあるっていう変なジンクスがあってね、それで何回か当てたもんだよ」

 ま、偶然だったんだろうけど。

 ちよりの口が開いた。
「あ、それ憶えてる。前に教えてくれたよね」
「え?」

 そんなこと言ったことあるのか。

 というか、なぜちよりとの記憶がない?
 
 
 
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