第12話 ちえみとかちはるとか
文字数 2,493文字
ブタ……じゃなくて上田が懐かしそうに目を細める。
「それにしても久しぶりだな。あれから何年になる?」
「中学を卒業して長いからな。でも十年くらい前に同窓会をやっただろ。そのときいなかったっけ?」
「あーわからん。もう忘却の彼方だ」
まあそんなもんだろう。
僕だってそんなのいちいち憶えてない。たぶん夏ごろに集まった気はするけど。
ちよりが暗いトーンで言った。
「同窓会……あたし呼ばれてない……」
呼ばれてない?
僕は聞き捨てならない発現に内申驚く。ちよりが僕たちの同窓会に呼ばれてないって……てことはあれか?
同窓生ってことか?
無意識のうちに胸がドキドキしてくる。全身の血液が流れを加速していくようだった。車内はそんなに暑くないはずなのに額に汗が浮かぶ。
慌ててハンカチを取り出して汗を拭った。
もう一度記憶のアルバムをめくり始める。パラパラと音を立てて中学のときまで戻ると思いつく限りの写真を調べた。けれど古びた写真はどれもセピア色に色あせていて上田のときより探すのに苦労する。
というか見つからない。
上田が昔話をしているけど僕のお耳はスルー状態だ。ちよりのことで頭がいっぱいで中学の思い出話どころではない。
ちよりが傍で「へえー」とか「そうそう」とか相槌を打っててやっぱり同級生だと判じるものの肝心の正体が不明のままで正直気持ちが悪い。
これちよりと二人っきりなら問い詰めているところだぞ。
「そうだ、松山憶えてるか? うちのクラスにすげぇ可愛い娘がいたの」
ぴこん。
ちよりの頭の上に「!」が音を鳴らして現れる。本日一番の笑顔を輝かせてちよりが声を弾ませた。
「えーっやだっ、あたしそんなに可愛くないよ」
「……」
ついジト目でちよりを見てしまう。
ちよりが両手を赤らんだ頬にあて、くねくねと身体を揺らして照れている。上田にこの姿を見せてやりたいところだが残念ながら無理だった。ちよりは僕にしか見えないし触れない。亜麻色の髪の彼女はまるで僕だけのものであるかのように僕以外には認識されないのだ。
ところで上田はちよりの名前を出していないのに、どうして彼女は自分のことだと思ったんだ?
自意識過剰か?
そんな僕の思考を読み取ったのかちよりがいきなり形相を変える。ギロリと睨まれて僕はちょっとたじろいだ。
く、口にしてなかったよな。
ちよりがぼそっと僕にささやく。
「空、こういうときはあたしのことを言ってるんだからそういう目をしないで」
……目でバレましたか。
まあ、ジト目をしていたのは確かなんだからやむなし。
「名前は何て言ったっけなぁ……あれだよ、ちえみとかちはるとか」
「ちよりだよ!」
今度は上田を睨むちより。僕はぼんやりと千夏のことを思った。千夏もたまに「小夏(こなつ)」と間違われていたのだ。
これ地味に嫌がっていたっけ。
ちよりの訂正は上田の耳に届かないので僕が代わりに指摘してやった。
「ちよりじゃないのか?」
「あ、そうだ、ちよりちより」
軽い物言いにちよりが複雑そうな表情になる。「傷ついたからなぐさめて」とばかりに僕に身をすり寄せてきた。彼女の体温を感じつつ上の名前がわからないままだったということに思い至る。
僕は上田にたずねた。
「彼女、姓は何て言った?」
「山本(やまもと)とか山田(やまだ)とかそんなんだったはず」
「違うっ!」
ちよりが大声で否定する。怒るくらいなら本名を教えてくれればいいのに。
僕も上田同様ちよりの姓を知らないから訂正のしようがない。直接聞きたくても他人の目があるうちはちよりに話しかけられないし。
どうしたものかな。
迷っていると上田が話題を変えた。
「ま、彼女もきっともう三十過ぎのおばちゃんになっちまったんだろうけどな。それより松山、お前今何やってるんだ?」
「おばちゃんじゃないもん!」と怒鳴るちよりを横目に僕は答える。
「理工書の出版社で働いてる。上田こそ何しているんだ?」
「俺か、ふっふっふ」
と妙な含み笑いをした。
怪しさ大爆発なニヤリ顔をし、そのぎらぎらした目を僕に向けてきた。
「二年前まで四菱商事(大手企業)にいたんだが今は独立してる。急成長中だから人が足りなくてな。お前さえ良ければ雇ってやってもいいぞ」
「ずいぶんと上からだな」
ちょっと面白くない。
「まあそう言うな。こっちだって経歴もろくに知らん奴を誘ってるんだ」
「……」
僕はそれもそうだと半分思うもやはり言い様が気に入らない。
くっくっと上田が小さく笑った。意地悪そうに口角を上げ、さも愉快げに僕を眺める。
「その顔だよ。さっきお前を見つけたときもそうだったけど、お前って昔からそんなふうに不機嫌そうな面していたよな。本当に変わってない」
「はぁ?」
つい反応してしまう。
そりゃ、不機嫌そうな顔なのは認めるけど……。
「空はちゃんと変わったよ。中学のときより大人になってる」
フォローのつもりらしいが……ちより、さすがに三十四歳になって中学生のままじゃ駄目だろ。
上田と再会している間に電車は次の駅の傍まで進んでいた。ドーム型の球場の最寄り駅に停車するアナウンスが車内に流れる。機械的な男性の声だ。
おっと、と上田が短く漏らす。
「俺、ここで降りるから。そのうちまた会おうぜ。あと転職の件も考えておいてくれ」
ジャケットの内から名刺入れを取り出して一枚抜く。それを僕に差し出した。僕も慌てて名刺を取り、上田のと交換する。
「ふうん、あんぺあ出版か。知ってるぞ」
「トドって……え?」
僕も上田の会社を知っていた。
というかこの会社はかなり有名だ。巨大ファッションサイトの利用者数もそうだけどスマホにトドのアプリを入れている人も多い。
こいつマジでトドの?
「わあ、社長さんかぁ。すごいすごい! 上田くん紅の社長さんなんだね。飛べないブタはただのブタじゃなくて社長さんなんだね」
ちよりが貶しているのか褒めているのかよくわからないことを言っている。
もちろん上田には聞こえていない。僕は少しほっとしながらも自分がとんでもない奴からオファーされたことで新たなどきどきを抱えてしまったのであった。
「それにしても久しぶりだな。あれから何年になる?」
「中学を卒業して長いからな。でも十年くらい前に同窓会をやっただろ。そのときいなかったっけ?」
「あーわからん。もう忘却の彼方だ」
まあそんなもんだろう。
僕だってそんなのいちいち憶えてない。たぶん夏ごろに集まった気はするけど。
ちよりが暗いトーンで言った。
「同窓会……あたし呼ばれてない……」
呼ばれてない?
僕は聞き捨てならない発現に内申驚く。ちよりが僕たちの同窓会に呼ばれてないって……てことはあれか?
同窓生ってことか?
無意識のうちに胸がドキドキしてくる。全身の血液が流れを加速していくようだった。車内はそんなに暑くないはずなのに額に汗が浮かぶ。
慌ててハンカチを取り出して汗を拭った。
もう一度記憶のアルバムをめくり始める。パラパラと音を立てて中学のときまで戻ると思いつく限りの写真を調べた。けれど古びた写真はどれもセピア色に色あせていて上田のときより探すのに苦労する。
というか見つからない。
上田が昔話をしているけど僕のお耳はスルー状態だ。ちよりのことで頭がいっぱいで中学の思い出話どころではない。
ちよりが傍で「へえー」とか「そうそう」とか相槌を打っててやっぱり同級生だと判じるものの肝心の正体が不明のままで正直気持ちが悪い。
これちよりと二人っきりなら問い詰めているところだぞ。
「そうだ、松山憶えてるか? うちのクラスにすげぇ可愛い娘がいたの」
ぴこん。
ちよりの頭の上に「!」が音を鳴らして現れる。本日一番の笑顔を輝かせてちよりが声を弾ませた。
「えーっやだっ、あたしそんなに可愛くないよ」
「……」
ついジト目でちよりを見てしまう。
ちよりが両手を赤らんだ頬にあて、くねくねと身体を揺らして照れている。上田にこの姿を見せてやりたいところだが残念ながら無理だった。ちよりは僕にしか見えないし触れない。亜麻色の髪の彼女はまるで僕だけのものであるかのように僕以外には認識されないのだ。
ところで上田はちよりの名前を出していないのに、どうして彼女は自分のことだと思ったんだ?
自意識過剰か?
そんな僕の思考を読み取ったのかちよりがいきなり形相を変える。ギロリと睨まれて僕はちょっとたじろいだ。
く、口にしてなかったよな。
ちよりがぼそっと僕にささやく。
「空、こういうときはあたしのことを言ってるんだからそういう目をしないで」
……目でバレましたか。
まあ、ジト目をしていたのは確かなんだからやむなし。
「名前は何て言ったっけなぁ……あれだよ、ちえみとかちはるとか」
「ちよりだよ!」
今度は上田を睨むちより。僕はぼんやりと千夏のことを思った。千夏もたまに「小夏(こなつ)」と間違われていたのだ。
これ地味に嫌がっていたっけ。
ちよりの訂正は上田の耳に届かないので僕が代わりに指摘してやった。
「ちよりじゃないのか?」
「あ、そうだ、ちよりちより」
軽い物言いにちよりが複雑そうな表情になる。「傷ついたからなぐさめて」とばかりに僕に身をすり寄せてきた。彼女の体温を感じつつ上の名前がわからないままだったということに思い至る。
僕は上田にたずねた。
「彼女、姓は何て言った?」
「山本(やまもと)とか山田(やまだ)とかそんなんだったはず」
「違うっ!」
ちよりが大声で否定する。怒るくらいなら本名を教えてくれればいいのに。
僕も上田同様ちよりの姓を知らないから訂正のしようがない。直接聞きたくても他人の目があるうちはちよりに話しかけられないし。
どうしたものかな。
迷っていると上田が話題を変えた。
「ま、彼女もきっともう三十過ぎのおばちゃんになっちまったんだろうけどな。それより松山、お前今何やってるんだ?」
「おばちゃんじゃないもん!」と怒鳴るちよりを横目に僕は答える。
「理工書の出版社で働いてる。上田こそ何しているんだ?」
「俺か、ふっふっふ」
と妙な含み笑いをした。
怪しさ大爆発なニヤリ顔をし、そのぎらぎらした目を僕に向けてきた。
「二年前まで四菱商事(大手企業)にいたんだが今は独立してる。急成長中だから人が足りなくてな。お前さえ良ければ雇ってやってもいいぞ」
「ずいぶんと上からだな」
ちょっと面白くない。
「まあそう言うな。こっちだって経歴もろくに知らん奴を誘ってるんだ」
「……」
僕はそれもそうだと半分思うもやはり言い様が気に入らない。
くっくっと上田が小さく笑った。意地悪そうに口角を上げ、さも愉快げに僕を眺める。
「その顔だよ。さっきお前を見つけたときもそうだったけど、お前って昔からそんなふうに不機嫌そうな面していたよな。本当に変わってない」
「はぁ?」
つい反応してしまう。
そりゃ、不機嫌そうな顔なのは認めるけど……。
「空はちゃんと変わったよ。中学のときより大人になってる」
フォローのつもりらしいが……ちより、さすがに三十四歳になって中学生のままじゃ駄目だろ。
上田と再会している間に電車は次の駅の傍まで進んでいた。ドーム型の球場の最寄り駅に停車するアナウンスが車内に流れる。機械的な男性の声だ。
おっと、と上田が短く漏らす。
「俺、ここで降りるから。そのうちまた会おうぜ。あと転職の件も考えておいてくれ」
ジャケットの内から名刺入れを取り出して一枚抜く。それを僕に差し出した。僕も慌てて名刺を取り、上田のと交換する。
「ふうん、あんぺあ出版か。知ってるぞ」
「トドって……え?」
僕も上田の会社を知っていた。
というかこの会社はかなり有名だ。巨大ファッションサイトの利用者数もそうだけどスマホにトドのアプリを入れている人も多い。
こいつマジでトドの?
「わあ、社長さんかぁ。すごいすごい! 上田くん紅の社長さんなんだね。飛べないブタはただのブタじゃなくて社長さんなんだね」
ちよりが貶しているのか褒めているのかよくわからないことを言っている。
もちろん上田には聞こえていない。僕は少しほっとしながらも自分がとんでもない奴からオファーされたことで新たなどきどきを抱えてしまったのであった。