epilogue 2

文字数 1,364文字

 現実にはそのような悲劇を心配する日はなかなか来ず、傘を忘れた雨の帰り道で我が家まで千尋の傘を僕が持ったり、十一月の重い雲の下で長い順番待ちをさせられた合唱コンクールで仲良く風邪をひいたり、そして僕たちがつきあい始めたと知った西塚さんから例の権藤君の〝裸で肩ぐるま〟写真のことを聞いたり──、小学校で同じクラスだったときの実話らしい。
 雨や曇りと風邪、それぞれの予定にじゃまされるうちに、僕と千尋の緑色の月には()()前しか会えなくなっていた。
 昼間の白い月とは話せないため、僕たちは合唱コンクールの先の満月を選んでその訪れを待った。すでに()()り後に姿を見せているルナとは、僕だけでなく彼女も話したくはならなかった。
「晴れて良かったねー、碩哉。せっかくの満月だもん」
 隣の千尋が冷たい空気で深呼吸した。リナが東の空で満月の夜、その右上に左側が少し欠けたルナが浮かんでいる。僕たちは美しい緑色のリナを見つめて学校の柵の外側に並んでいた。こんな学校帰りにリナと話せるのは逆行衛星であるリナの満月を待ったおかげだった。
「大丈夫? 寒くない?」
 心配というよりそう声をかけるべきだと思って訊ねる。そこまでうぶな僕に、千尋は「うん、今日はもこもこの着てるから」と、自分を包むボアコートなる物を指さした。学校に着てくるのは初めてだそうで、それだけ今日のリナとの時間が大切なのだろう。なら僕はどれだけ大切? ばかなことを考えて胸がちくりと痛んだ。
 ちなみに今晩もお迎えつきの彼女だけでなく、僕も学校で恋人と月を見てから帰ると親に告げてある。そう、僕と両親は今日までの間にまともな家族を取り戻していた。恋人と聞いてめまいを起こしたお母さんがまたおかしくならなければいいのだけど。
「──ねえ、リナ、私のこと覚えてる?」
 僕の嫌いなヘリコプターがばらばらばらと夜空を横切って消え、いよいよ千尋が呼びかけた。リナは過去のツキノナミダを僕に聞かせたのだから、忘れているわけがない。
「覚えてますよね、リナ」
 僕が彼女に続けてそう言うと、振り返って「敬語使うんだ」と驚く彼女。緑色の月はアンドロメダ座の下の空に無言でたたずんでいる。
「でもほら、明らかに上だから、立場っていうか……」
 僕は「上」のリナが見えない下を向いた。
「それはそうだけど、碩哉ってときどき慎重すぎるから心配なの」
 そう言ってくれる、今こうしてそばで聞こえる声がリナではなく千尋なのだ。慎重すぎる自分も一歩ずつ前に進んではいると僕は思う。
 しかし恋人同士でもまだべたべたくっつけない僕たちは、肘と二の腕の間を五センチほど空けたままリナとの会話を始めた。
「リナ、私のあとで唯一になった碩哉が、私もまたリナと会えるようにしてくれて、それで──、私の彼氏になったの」
「ええと、千尋とのことはその通りで……、リナが前に話してくれた女の子が千尋だったんですね。二人ともリナに感謝してます」
 僕は千尋の台詞を受けてリナと話す。変に緊張して、いやこれが今の僕で、自分から言葉をつむぐのはまだ難しかった。
「あ、そうだ。告白は碩哉からしてくれたの。あんなひどい状態だった私に彼氏だよっ、びっくりしたでしょ?」
 彼女はぴょいっとかわいらしく跳ねて腕が柵にぶつかり、小さく悲鳴をあげる。
 ここで何かが変わった。
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登場人物紹介

初瀬川 碩哉 はせがわ ひろや


主人公。中学3年生の少年。緑色の月が見たい。千尋を好きになる。

川口 千尋 かわぐち ちひろ


碩哉のクラスメート。緑色の月を見たことがあるらしい。

矢田  やだ たかし


碩哉のクラスメートで親友。陽気で気が利く。

初瀬川 恵美 はせがわ えみ


碩哉の母。帰ってこない夫の心配ばかりしている。

初瀬川 辰哉 はせがわ たつや


碩哉の父。妻には隠してドイツに行った。

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