第25話 わびぬれば 元良親王(二十番)後編
文字数 982文字
ふいに記憶の断片が目の裏に映し出される。
感情が、表皮をすばしっこく走り抜けるようだ。
見たからそうなったのか、そうだったから見たのか、ヒヨコが始めて目にしたものを親と認識するかのように、それの虜になってしまった。
Tシャツで顔の汗を拭っていた。
言葉にすれば、
ただ、それだけのことだ。
そんなものは、夏場にでもなればいくらでも目につくことだった。ここはそういう場所であり、だから気にもならないことだ。
その、はずだった。
柔肌のきらめきを、脳髄が反芻している。
少し腹筋のついた腹が、Tシャツをめくったときに、ちらりと見えた。
濡れた髪についた汗が、雫となって首筋に流れていた。
煙草の煙とともに心臓の毒気を吐き出す。
我ながら、無様だと思う。
そんな笑いが込み上げてきた。
他と何がちがう?
他とどうちがう?
ましてや自分についているものと、
ほんの少しのちがいも無いというのに、だ。
なのに。
もっと、みたいとおもった。
「せんせい」
もう少し、近づいてみたくなった。
「せんせい」
許されるはずもないことを、望んだのは、俺の方だ。
煙草を片手に、生物教師笹塚は時が止まったかのように動けなくなっていた。
目の前に、首を傾げた藤原トオルが立っていた。
笹塚は内心、恥ずかしくて仕方がなかった。
俺いま、めっちゃかっこいい感じだったのに。
いたいけな生徒に恋しちゃう、罪深い教師的な、キレたナイフ的な厨二的な感じでかっこよかったのに。
(もうこれ以上かっこいいシーン無いよ?)
そして笹塚はもんもんとしたまま、教師としての仕事をする。
煙草を消して、そのまま校内に戻ろうとした。
……
背後で、トオルがさらりと言った。
カップラーメンはシーフードが好きだよ、くらい、さらっと。
背中を向けていて、本当によかったと、笹塚は思っていた。
期待してしまう。
振り返った笹塚は、少し微笑んで、言った。
だから、期待してしまう。
お前がいつか本当に好きな人に出会うその日まで、それまで、俺が隣にいても、いいのだろうか。
気をつけて帰れよ
背中を向けたまま言うと、アルミ戸を開けて、笹塚は校舎へと入って行った。
(二十番 了)