第5話 あしびきの 柿本人麻呂(三番)

文字数 1,148文字

ふぁあ……
その日の放課後も、藤原トオルの席には生物教師笹塚ミノリがなぜか仏像のごとく鎮座していた。
(うわっ、いるっ)

笹塚先生の手には当たり前のように百人一首の解説本。若干引きつつもトオルは内心、この教師との百人一首の解説がたのしみになっているのであった。

人の気配に気づいた笹塚先生は本から目を離し、トオルを見て声をかけてくる。

よ、トオル。じゃあ、さくっとやるか
そうですね
ーーー今日は、どんな解説なんだろう。

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む


あしびきの やまどりのおの しだりおの ながながしよを ひとりかもねむ

さ、現代語訳、いくぞ
先生の声はいつもよりも幾分弾んでいるようだった。
はい
トオルもつられて楽しくなっている。
「咳をしても一人」
んあ?
そりゃ歌人じゃなくて俳人じゃないか。いくらトオルでもそれくらいは分別がつく。
あ、まちがえた
笹塚先生はメガネを押し上げながら言う。

「(うそつけ)」

トオルは内心そう思った。

百万歩譲っても、今のはわざとだ。なんか、言い方が棒読みだった。

一人はさびしいっ

 急に立ち上がった先生は、ミュージカル風に両手を広げながら大声で叫んだ。目線は遙か遠くを見つめている。

 トオルは驚いて椅子ごと仰け反ってしまう。反射的に先生はいよいよ頭がおかしくなってしまったのかもしれないと思った。生物教師なのに授業の準備そっちのけで学生つかまえて百人一首なんか解説して、きっとそうだ。

と思ったが、そうではなかった。

つまりな、一人はさびしいってことをわかってもらいたくてしかたがない! という歌だと思うのよ

「……なるほど」

ーーーなんか疲れた。そしてよくワカラナイ。

 トオルの気持ちを知ってかしらずか、先生は何事もなく席に着くと思案顔で話す。
だけどな、ちょっと寂しいくらいじゃわざわざ歌にして詠まないと思うのよ俺は~
う、うん確かに

 わざわざ詠まないかもしれないところはトオルも同意見だったが、解説に対する先生の熱量には正直理解ができない。

「たとえばな、相当好きな相手がいて、両思いだとする」

 先生は机を凝視しながら両手を顔の横でふわふわと動かして話し出す。さながら地球外生命体とのそれを思わせるが、トオルにはこれが先生の妄想だということは百も承知だった。

しかも相手は超美人?
そう!
笹塚先生はぱっと目を輝かせてトオルの目を見る。
会えると思ってたのに会えなかったら?
明日もし、先生に会えなかったら……
さびしいですね
だよなー
トオルはこの歌が他人事には思われないような気がしたのだった。
先生
トオルはずっと抱いていた質問をぶつける。
これがあと97回続くんですか?
そうだぞ!!
 生物教師笹塚は、満面の笑みで答えた。
OH……
OH!!
トオルはショックのあまり外国人になったとさ。
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登場人物紹介

藤原 トオル

生物教師 笹塚

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