第11話 おしまいの蝉

文字数 1,367文字

 アブラゼミの大合唱に悩まされた時期が過ぎ、9月に入ると、蝉の鳴き声がほとんど聞かれなくなった。それはそれでなんとなく寂しい気がしていると、9月中旬ごろになってツクツクボウシの鳴き声が聞こえてきた。しかも、鳴いているのは1匹だけ。もし蝉に感情があるとしたら、自分が最後の1匹だと理解して寂しがったりするのかしら、などと考えて、孤独なツクツクボウシを気の毒に思った。

 最後の1匹というと、そこから最後の1人を連想し、オカルトブームの先駆けとなった“ノストラダムスの大予言”を思い出す。1970年代には、その言葉がそのままタイトルになった本が出版されたり映画化されたりした。本を読んだことがないので詳しい内容はわからないが、わたしが子供の頃にウワサになっていたのは、医師で占い師のノストラダムスさんが「1999年7の月に恐怖の大王が来る」とかなんとか言ったのを、どこかの誰かが「1999年の7月に人類が滅亡する」と解釈したという話だった。

 小学生のわたしたちは「宇宙に逃げればいいんじゃない?」とか「地面にすごい深い穴掘って隠れれば?」とか、現実みのない対策を立てていた。同級生とそんな話をした日はいつも、人間は死んだらどうなるんだろう? どこへ行くんだろう? と深く考え込んでしまい、怖くて眠れなくなってしまうこともあった。死んだらどうなるかなんていっぺん死んでみなワカランわ、と思っている今のわたしとは大違い。あの頃のわたしはピュアだった。

 1匹で鳴いている蝉は、自分の状況をどこまで理解しているんだろうか。以前、聴覚のしくみを探るために、ショウジョウバエの脳を研究しているという大学教授に取材をさせてもらったことがある。ショウジョウバエの雄が、羽音を使って雌に求愛することを「求愛歌」と言うそうで、その求愛歌が、ショウジョウバエの脳の神経回路でどう理解されているかを研究しているとのことだった。通常、こういう研究では線虫類や魚などが実験対象として使われるのだが、ショウジョウバエの脳は小さくてシンプルで、原理的なしくみを観察しやすいという理由から、ショウジョウバエを選んだと教授は話していた。

 サイズが小さくシンプルかつ原理的な脳を持つショウジョウバエでさえ、羽音で求愛の意思を伝えることができるということは、もうちょっと大きい脳を持つ蝉ならば、意思伝達以外のことも考えることができるかもしれない。ということは、やっぱり1匹で鳴いているツクツクボウシは自分の状況をわかっているに違いない。

 蝉の感情が脳にあるのか、脳以外のところにあるのか知らないが、このツクツクボウシはきっと寂しがっているのサ——。夏の終わりを告げるおしまいの蝉の鳴き声を聞きながら、そんなことに思いを馳せて、少し物悲しくなった9月中旬のある日だった。

 ……と思っていたら、今日の朝、また1匹のツクツクボウシが力強く鳴いていた。コラ、蝉、わたしのセンチメンタルを返せ。まったく、たくましいヤツめ。わたしもこのツクツクボウシを見習って、たとえ人類が滅亡するとしても最後の瞬間までたくましく鳴いてやろう、と決意した9月の終わり間近の日曜の朝だった。

ツクツクボーシ、ツクツクボーシ、ツクツクボーシ……。


偶然見かけた脱皮したばかりの蝉。
緑色の体が妖精みたい……でもないか。
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