第1話 カラーを取り戻せ!

文字数 1,742文字

 (2021年の)7月下旬頃から、この場をお借りして武者修行をしようと考えている。目的は、カラーのある文章を書けるようになるためのリハビリ。

 以前、求人媒体の仕事をどしどしやっていた頃に、営業さんからこんなことを言われたことがある。

「おきさんの文章はカラーがないから、内容だけが伝わって助かります。女性のライターさんは感情移入して書く人が多いんで、文章は目立つけど内容がわかりにくいんですよね」

 うーん、うれしいような悲しいような。別にカラーのない文章を書こうとして書いているわけではなく、営業さんやら編集さんやら企業の人事担当さんから出てくる要求に応じつつ、限られた文字数で原稿をまとめようとすると、感想や感情を差し挟む余地がないので、淡々としたカラーのない文章になってしまうだけなのだが……。

 が、実はこれ、ライターにとって案外メリットが大きかったりする。伝えることだけを意識した文章、つまりカラーのない文章のほうが、感情のこもった抒情的な文章よりも修正が少ないのである。実際わたしは、原稿の修正が少ないとよく言われる。

 とはいえ、400字の原稿に苦戦していた駆け出しの頃には、なかなかカラーの強めな文章を書いていた。文章講座で、そういう書き方を教わったからだ。当時講座で提出した課題を読み返すと、我ながらユニークで個性的な文章を書いていたと思う。

 が! 今のライター目線で評価すると、ムダが多くて実に読みづらい文章だと感じる。しかも、何を伝えたいのかさっぱりわからない。商業用の文章では、多少意味がわからなくても個性があるほうがいいよね、とはならないのである。そういう書き方をすると、そりゃあもうたっぷりと修正が入る。当時のわたしもそうだった。

 もともと文章を書くのが嫌いなわたしは、たくさん修正したり書き直したりするのがイヤだから、できるだけ修正せずに済む書き方をいろいろと試みた。すると、自分の感想・感情はさて置き、機能(伝わりやすさ)を重視すると効果的だとわかったので、そういう書き方ばかりするようになった。その結果、カラーが行方不明になってしまったのである。どこ行っちゃったのかな???

 修正が少なくて済むし、内容がちゃんと伝わるし、書きやすいし、いいことづくめだから、カラーのない文章を書くことに対して特に何も感じたことはなかった。ところが、エッセイ賞の投稿を機に、このサイトのいろいろな作品を読んでみると、色豊かな文章が勢ぞろい。読んでいるうちにだんだん、みんな個性的な文章が書けていいなァ……と羨ましくなり、やっぱりわたしもカラーのある文章を書けるようになりたい、と刺激されてしまったのだ。

 というわけで、武者修行をすることに決めたのである。スタートが7月下旬からなのは、若干仕事が立て込んでいるため。今やっている仕事が落ち着いたら、特訓を開始しようと思う。

 めざすは、恐れ多くも厚かましくも、開高健氏の著書『知的な痴的な教養講座』(集英社)。裏表紙に載っている紹介文を、ちょいとご案内しよう。

<「一本のワインには二人の女が入っている。一人は栓をあけたばかりの処女、もう一人は、それが熟女になった姿である」――酒、食、色、人、エトセトラ。恐怖の博覧強記(はくらんきょうき)作家・開高健が知性と痴性をブレンド、男の世界の森羅万象を語り尽くす教養エッセイ50章。1ページに一度はニヤリと笑い、ウーンと唸ります。>

(※)博覧強記…広く書物を読みよく覚えていること(さま)。【電子辞書 三省堂 大辞林 第三版より】

 こんなに紹介文どおりの内容ってある?! と思うほど本当にこのとおりで、すっかりハマってしまったわたしは、第三十章「コラム」という話に出てくるコラムニストの本を、ほぼ全て手に入れて読んだ(残念ながら杉村楚人冠(すぎむらそじんかん)の作品だけは手に入らなかった)。こんなエッセイが書けたら、どんなに楽しいだろう。

 厚かましいとは思うけれど、せっかくの武者修行なのだから、ココロザシぐらいは高く持たなくては。がんばってカラーを取り戻すゾ! と張り切ってはみるものの、どうなることやら……。


開高健氏おすすめのコラムニスト薄田泣菫(すすきだきゅうきん)、マイク・ロイコ、ロジャー・サイモン、ラッセル・ベイカー、ボブ・グリーンの著書
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