第14話 養母の入院

文字数 3,221文字

 10月19日に養母のタカハシさんが入院した。

 その日、タカハシさんの部屋を訪ねると、コタツでグッタリして動けなくなっていた。救急車を呼んで総合病院に搬送してもらったところ、脱水症状がひどくて危険な状態ということで入院することになった。後日、血液検査の結果が出て重度の糖尿病だということがわかり、容体が安定するまでは退院できず、退院しても療養型病院に入らなければならなくなった。病院からの助言で大急ぎで介護認定申請をし、現在は調査の結果が出るのを待っているところである。

 別アトリエの『フリーライターの身の上ばなし』でも触れているが、タカハシさんはわたしの父親の浮気相手だった人で、わたしの両親が離婚する原因となった人だ。本来であれば、わたしにとっては憎むべき相手なのだが、わたしが生後3カ月の頃から面倒を見てくれて、わたしのクソ親父のDVに耐えてくれて、わたしがクソ親父の再婚相手のユミコに虐待されていたときに逃げ場となってくれた言わば恩人でもあるため、どこか申し訳なさがあって憎みきることができない。

 人に言わせると、タカハシさんは自らの人生をなげうってわたしを育てた“立派な人”だそうだ。だが、わたしにとっては、憎みきることはできないけれど“迷惑な人”でしかない。わたしから見たタカハシさんは、公園のノラ猫にエサをやるだけやって“自分はいい事をしている”と自己満足している人と同じなのだ。

 公園のノラ猫は、エサをもらった相手から見返りを求められることはないからまだいい。でも、わたしはエサをもらった見返りに、もらったエサ以上の奉仕をタカハシさんにしなければならなかったのだ。そして今が、その奉仕のピークなのである。

 昨年の夏まで、わたしはタカハシさんと同居していた。だが、あまりに度が過ぎるタカハシさんの依存心に耐えられなくなり家を出た。といっても、出た先は同じ賃貸マンションのすぐ隣の部屋。さすがに81歳の老婆をポンと突き放すわけにはいかないので、いわゆる“スープの冷めない距離”に住んで世話を焼くことにした。

 掃除や料理など身の回りのことは本人にやってもらい、週に2回のゴミ出しと不定期の買い物はわたしがやった。少し面倒ではあったが、同じ家に住んでいたときは雑用から何からすべてわたしがやらなければいけなかったので、それに比べればはるかにラクだった。

 が、うっかりしていたことがあった。わたしがいなければタカハシさんが自分でやる、というわけではないことを見落としていたのだ。わたしが家を出て1年半しか経っていないのに、タカハシさんの住まいはゴミ屋敷になっていた。食器棚にはカビの生えた食べ物の入った皿が並び、冷蔵庫には腐った食料品が詰め込まれ、テーブルには小さな虫の死骸が無数に散らばり、ベランダにある大量の植物は荒れ放題だった。

 昔からわたしが「物がたまっていくから、いらないものは捨てて」と言い続けていたのに、タカハシさんは「そのうち使うからいる。自分で片づけるからほっといて」と言って聞き入れなかった。でも結局は、使いもせず片づけもしないまま自分は動けなくなり、わたしが後始末をしなければならなくなった。

 タカハシさんが入院してから2週間と3日が過ぎた11月第1週目の金曜に、ゴミ屋敷の片づけをどうにか終えることができた。4tトラック2台分の不用品や500㎏強の大量のゴミの処分を、すべてわたし1人でやった。友達が少ないわたしは、こういうときに頼れる友達が2人しかおらず、しかも2人とも遠方に住んでいるため手伝いは頼めなかった。せめて応援だけでもしてもらおうとメールで状況を伝え、彼女たちからの返信を励みに1人で黙々と頑張った。体のあちこちが痛くなり、疲労で倒れるかもしれないと思う瞬間が何度かあったが、無事にやり終えることができ、自分の化け物じみた体力と強靭な精神力にあらためて感心した。

 が、昨日の夜は少し気持ちが弱ってしまっていた。その原因は、タカハシさんの定期預金の解約手続だった。ゴミ屋敷の片づけの費用や、今後タカハシさんが入る施設の費用を、タカハシさんが働き盛りの頃に薄給からコツコツ貯めた定期預金で賄おうと、解約して普通預金にしようとしたのだが、戸籍上のつながりがないわたしにはその権限がなく、暗礁に乗り上げてしまった。

 司法書士さんに相談して成年後見制度を利用しようとしたのだが、わたしが成年後見人になるには、タカハシさんと養子縁組をするところから始めなければならないという。養子縁組自体に抵抗感はないが、苗字を変えなければならないことに抵抗があった。ずっと自分の姓で仕事や日常生活を送ってきたのに、タカハシさんの定期を解約するだけのために今さら苗字を変えることはしたくない。そんな理由から、成年後見制度を利用する選択肢はなくなってしまった。

 今は別の方法を探しているところだが、昨日の夜、どうしてわたしがこんなことで奔走しないといけないんだろう……? と理不尽さを覚え、いじけてしまったのである。いじけたわたしは、キッチンのフローリングの床の目地にたまったゴミを爪楊枝でほじほじしながら「キツイな、しんどいな、なんでわたしがこんな目にあわないといかんのかな、いっそ死んだほうがましかもな……」とつぶやいていた。不思議なことに、ほじほじした箇所がキレイになったのを見ると気持ちが落ち着いたので、つぶやきながら1時間近くほじほじした。おかげで床がだいぶキレイになった。

 ノラ猫にエサをやって自己満足できるタカハシさんは、わたしに迷惑をかけているとは思っていないし、何が迷惑なのかさえわかっていない。今、わたしの目の前にある問題は、わたし自身が原因で発生したものは一つもなく、すべてタカハシさんがしてきたことや、してこなかったことから発生している。それなのに、解決策を探すところから尻拭いまで、わたしがやらなければならないことが理不尽でたまらない。

 問題解決をわたし1人でやることがどんなに大変か、今までどんな大変な目にあってきたか、タカハシさんはわかっていない。わたしに頼れば何とかすると思っている人だから、今も病院のベッドの上で、わたしが何とかすると思っているだろう。病院嫌いで、救急車で搬送されるときも、失禁するほど動けなくなっているのに「行きたくない」と駄々をこねた。体調が悪いと言うから病院に行こうと勧めたのに、行きたくないと言い張って健康管理を怠ったのはタカハシさん自身だ。なのになぜか、あの人の体調を管理できなかったわたしが悪いような気がしている。どうやら、そう考える癖が身に付いてしまっているらしい。本当に理不尽でやりきれない。でも、どんなに理不尽だろうと、タカハシさんの世話をする人はわたし以外にいないから、わたしがやるしかない。

 しんどいし、これからもきっといじけるだろうが、必ず乗り切れるという自信もある。なぜなら、わたしを心配して手助けをしてくれる人たちがいるから。タカハシさんの入院後、事情を知った近所の奥さんが大量のゴミ出しを手伝ってくれて「ちゃんと食べなきゃダメ」と食べ物を差し入れしてくれた。ゴミの日だけではとても追いつかないため、親しいカメラマンさんにゴミの自己搬入の手伝いを頼んだところ快諾してくれて、200㎏のゴミを丸1日かけて一緒に運んでくれた。さらに、仕事の取引先の社長までが事情を汲んでくれて、わたしがやらなければならない校正を引き取って対応してくれた。

 皆さんの気づかいがありがたくて、タカハシさんへの腹立たしさが少し薄らいだ。エネルギーをたくさんいただいたおかげで、ここまで頑張ることができたのである。だからきっと、これからも頑張れるはずだと信じている。皆さんに手助けをしてもらいながら、フローリングの目地を爪楊枝でほじほじしながら、わたしは頑張る。

片づけ前

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