第15話 専門家の死角

文字数 2,524文字

 
 専門家にも死角があるんだな、と実感する出来事があった。

 前回の投稿にこんなことを書いた。養母が入院したので、わたしが通帳を管理する関係で成年後見制度を利用しようと思い司法書士に相談したところ、うちのような事情の場合、まずは養子縁組をしなければならないとアドバイスを受けた。けれども養子縁組をしてわたしの苗字が変わると日常生活に支障が出るので、できれば養子縁組はしたくない。でも、そうなると成年後見制度の利用ができないので困ったことになりそうだ……と。

 が! 養子縁組などしなくても成年後見制度が利用できることがわかった。

 わたしが相談した司法書士は、わたしたちのような複雑な親子の成年後見の手続きをした経験がないと言っていた。そこでわたしは、病院のセカンドオピニオンじゃないが、ほかの司法書士か弁護士をあたってみようと考えた。相談にのってくれる事務所をネットで調べてみると、たくさんあるにはあったのだが、どこもまぁ費用がド高い。着手金が20数万円、手続き費用10数万円というところがほとんどなのである。ただでさえ養母の施設の費用や医療費などでこれからお金がかかるのに、書類一つ作るためにそんなに出せるかい! と思い、いっそのこと自分で方法を探して手続きをしてみようと思い立った。

 で、さっそく公証役場に教えを乞うために電話をかけてみた。そして、電話に出た公証役場の女性にこう伝えた。高齢の母が入院したので財産管理のために任意後見人制度を利用したいが、自分と母親は血がつながっておらず、戸籍も別で養子縁組もしていない。司法書士に相談したところ、そういう関係で後見制度を利用するには養子縁組をしなければならないと言われたが、養子縁組をしなければ後見人の手続きはできないのか。すると、電話の相手はサラッと答えた。

「できますよ」

 えっ……!? どんな面倒な手続きだろうと絶対に自分でやるゾ! と意気込んで電話をしたのに肩透かしを食ってしまった。詳しい話を聞くためすぐに公証役場に出向くと、大ベテランの風格が漂う高齢の公証人がパンフレットをくれて、じきじきに説明をしてくれた。

 成年後見制度というのは、認知症や知的障害、精神障害などの理由で判断能力が不十分な人を支援する制度のことを言い、平成12年に介護保険制度と同時に始まっている。判断能力が不十分な人が対象なので、身体的な障害のみがある人は成年後見制度の対象とならない。

 成年後見制度には法定後見制度と任意後見制度の二種類があり、わたしが利用することになったのは任意後見制度のほう。任意後見制度の「移行型」任意後見契約という手続きを進めることにした。「移行型」任意後見契約というのは、後見人をあらかじめ選任しておき、将来的に認知症などで判断能力が不十分になったときに後見人が支援を開始するという契約。養母に判断能力があるうちは、わたしに直接「銀行でお金おろしてきて」などと頼めるので、この契約に基づいてわたしが動くことはない。要するに、いざというときのための契約なのだ。

 で、どんな人が任意後見人になれるかというと、法律が定めた“ふさわしくない人”に該当していない成人であれば、誰でもなることができる。親族はもちろんのこと友人でもなれるので、当然わたしも養母の任意後見人になることができる。ちなみに、法律で定めているふさわしくない人というのは、たとえば被後見人と揉めごとを起こしたことがある人など。このサイトの投稿で、わたしはさんざん養母に対する不平不満を言っているが、実は面と向かって文句を言ったことはない。10代、20代の頃に2,3回言ったことがあるにはあるが、養母はいつも聞く耳を持たないか言いわけをするかのどちらかでお茶を濁すので、言ってもムダだとわかり言わなくなった。だから、養母と揉めごとを起こしていないわたしは、法律が定めたふさわしくない人には該当しない。

 実際に手続きをするのはこれからだが、必要な書類は公証人が作成してくれる。かかる費用は5万円程度。弁護士や司法書士に頼むと30万円以上かかることを思えば安いものである。そして、わたしがやらなければならないことは、戸籍や住民票やマイナンバーカードのコピーなどを用意して公証人宛てに郵送すること、書類を確認すること、公証人が養母と面談するときに送り迎えをすることぐらい。こんな具合に手続きはとてもシンプルで、養子縁組をする必要などまったくなかったのである。

 司法書士はいったいなぜ、こんなシンプルなことをややこしく捉えてしまったのだろうかと不思議に思う。難しいことばかりを見すぎていて、シンプルなことが見えなくなっているのだろうか。初めて相談に行ったとき、わたしの相談を親身になって聞いてくれたし、先々のことを心配する言葉もかけてくれたし、とても誠実な司法書士事務所だということは間違いないと思う。誠実であるがゆえに、まったく必要ではない転ばぬ先の杖を用意してしまったのかもしれない。でも、そのせいでわたしは前に進めなくなってしまった。進む方法が見つかったから良かったが、冷や汗をたっぷりかいた。専門家にも死角があるんだな、と感じる出来事だった。

 養母はまだ入院中だが、少しずつできることが増えてきているようだ。何も食べられなかったが食べられるようになり、ベッドから動けなかったが歩行訓練をするようになっているという。面会ができないので、ときどき主治医が電話で状況を知らせてくれるのだが、不思議なことに「元気になってきてますよ」という言葉を聞くと安心する。養母が入院する前は、わたしに迷惑をかけるようなことばかりしてホント厄介な人だ、と腹立たしく思っていたのに、最近では、ここまできたらとことん面倒みてやるか、と思ってしまっている。自分が養母を心配し気遣っていることが、とても意外だ。でも、気分はまぁ悪くない。

 養母が退院したあとに入る施設をこれから探し始めるので、アットホームで居心地の良さそうなところを見つけたいと思っている。植物を育てるのが好きな人だから、小さな庭があって、いつも花が咲いているような施設を見つけてやりたいなぁ。
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