第7話 貴きも賎しきも

文字数 2,404文字

 珍しい肩書を持つユーチューバーの青年が、生活困窮者の方々の尊厳を傷つける発言をしたという記事をインターネットで見た。

 なかなかの騒動になっているが、わたしはこの青年のことをよく知らないし、なおかつ、わたしは事勿(ことなか)れ主義なので、彼の言動に対して言いたいことは特にない。ただ、記事を読んでいるうちに、わたし自身がホームレスの人と関わった出来事を思い出した。それは三つあり、うち二つは警察官だった頃のこと、一つは今から6年ほど前のことである。

 警察官だった頃、わたしは防犯課の防犯係に所属していた。いろいろな業務があるなかで、外勤警察官が通報を受けて保護したホームレスを保健所に引き渡す、というのもわたしの業務の一つだった。その当時、しょっちゅう住民に110番通報をされて、防犯課に連れてこられるホームレスの老人がいた。

 老人が防犯課に連れてこられると、わたしはすぐに保健所に連絡を取り、担当者が来るまでのあいだ老人の話し相手をした。どんな話を振っても会話が成立しないので、始めは、もしかして少し精神疾患があるのかな? と思った。ところが、しばらく会話をしているうちに、老人がいきなり流ちょうな英語をしゃべり出した。それだけでなく、わたしがメモを取るために用意していた紙と鉛筆をサッと引き寄せ、筆記体の英文をスラスラ書いてポンと鉛筆を置いた。わたしよりもはるかに教養があると感じた。

 また、話をするうちに、どうやら老人は兵士として戦地に赴いた経験があるらしいことがわかった。

「戦争に行かれたご経験があるんですね?」

 わたしがそう尋ねると、老人は、

「人は人、自分は自分」

 と言った。なにを意味しているのか、わたしにはわからなかった。そうこうしているうちに保健所の担当者が来て、老人を連れて行った。だが、老人は保健所が支援先を紹介しても拒否するらしく、何度も通報されては防犯課に連れてこられた。老人は来るたびに流ちょうな英語を話し、いつも「人は人、自分は自分」と言っていた。

 わたしが警察を辞めたあと、老人が交通事故で亡くなったと人づてに聞いた。あれから30年以上経った今でも「人は人、自分は自分」という言葉が耳に残っている。どこか哲学的な雰囲気のある人だった。

 二つ目の出来事は、その当時、パトカー乗務員をしていた先輩から聞いた話。あるとき先輩が、ホームレスが行き倒れになっているという110番通報の対応をした。すでに息絶えていたため亡骸を署に運んでもらい、身元を確認するために所持品を調べた。すると、服の中に預金通帳を隠し持っていて、開いてみると300万円の預金が入っていた。

 通帳で身元が判明したので先輩は連絡先を調べ、身内の1人に電話をかけた。遺体を引き取りに来てほしいと伝えると、その身内は、関わりたくないから好きに処分してくれというようなことを言ったという。そこで先輩が「預金が300万円ありますが、こちらはどうしますか?」と尋ねると「すぐ行きます!」と飛んできたそうだ。当直で勤務が一緒になったとき、先輩はわたしにこの話をして「なんだかな……」とため息をついた。

 三つ目は、6年ほど前に炊き出しのボランティアをしたときの話。ライターの仕事で、ミッション系大学の教会活動について牧師さんに話を聞き、記事を書いた。その縁がめぐりめぐって、ある教会が実施する炊き出しのボランティアに参加することになった。教会の厨房で大きな鍋3個分の親子どんぶりの具を作り、ご飯を炊き、名古屋高速の高架下に運んで配給の準備をした。

 日が暮れると、整理券を持ったホームレスの人が40~50人集まってきて、鍋の前に列ができた。わたしはご飯係を担当させてもらい、1人1人の顔を見ながら「量はこれぐらいでいいですか?」と確認しながらご飯をよそった。

 配給所には食事だけでなく、将棋や囲碁などのゲームや、DVD鑑賞ができるスクリーンも用意されていて、工事現場で使うようなライトが辺りを照らしていた。ボランティアの人たちは配給が終わると仲間内で集まって雑談をしていたが、わたしは知り合いがいなかったので、ホームレスの人たちに交じってゲームをしたり話をしたりした。

 しばらくホームレスの人たちと一緒に遊んでいると、ライトの一つがスッと消えて辺りが暗くなった。気づいたボランティアの1人が駆け寄ってきてライトを確認したが、消えた原因がわからず首をひねっている。すると、その様子を見ていたホームレスの男性が、

「発電機の燃料切れじゃないのか?」

 と言った。まさにその通りで、すぐにボランティアが燃料を取りに行った。燃料切れを指摘した男性の横顔を見ながらわたしは、工事現場で働いていたことがあるのかな、と思った。

 わたしが出会った(もしくは知った)ホームレスの人たちは、外国語を身に付けていたり、堅実にお金を貯えていたり、仕事で培った技能を具えていたりした。みんながみんなそうではないだろうが、多くのホームレスの人は、やむを得ない事情があって現状では以前のような生活ができないだけなのだと思う。

 わたしもホームレスの人たちも、中身は同じである。どんな人間であろうと一皮剥けば骨になる。骨に優劣などあろうはずがない。これはわたしの発想ではなく、有名なお坊さんの受け売りだ。締めくくりに、そのお坊さんの言葉を紹介しておく。

<そもそもいづれの時か夢にあらざる、いづれの人か骸骨にあらざるべし。(中略)貴きも(いや)しきも、老いたるも若きも、更に変りなし。>(アニメ『一休さん』「骸骨とそむいた一休」より)


上の句は、一休和尚骸骨という法語集で詠われているとアニメ『一休さん』のナレーションで言っていた。
写真は法語骸骨の抜粋版だが、残念ながらこの句は載っていない。
『一休骸骨 図版と訳注』(一休[著]、柳田聖山[現代訳注釈]、早苗憲生[釈文・解題] 禅文化研究所)

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