第6話 いしっころ

文字数 2,390文字

 2016年の夏に、ある私立小学校に取材に行った。目的は、その小学校の取り組みを紹介する記事を書くため。なんの取り組みかというと、2020年度から新たにスタートする「学習指導要領」に対応する取り組みである。

 学習指導要領の改訂は文部科学省の管轄だ。文科省のホームページを見ると、新学習指導要領の概要説明に「改訂に込められた思い」が紹介されている。

<学校で学んだことが、子供たちの「生きる力」となって、明日に、そしてその先の人生につながってほしい。これからの社会が、どんなに変化して予測困難な時代になっても、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、判断して行動し、それぞれに思い描く幸せを実現してほしい。そして、明るい未来を、共に創っていきたい。2020年度から始まる新しい「学習指導要領」には,そうした願いが込められています。>

 さらに、どんなふうに学ぶのかについても明記されている。

<主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)の視点から「何を学ぶか」だけでなく「どのように学ぶか」も重視して授業を改善します。>

 で、わたしが取材をした小学校は、これらにいち早く対応しているというので、次年度の新入生獲得に向けてそのことをアピールする記事を書くことになったのだ。

 校長先生に話を聞くと、まだ改訂前なのに本当に早々と対応していて、通信環境を整えて電子黒板やタブレット端末を使った授業をすでにやっていた。そうかと思えば、学校内に畑を設けて農業体験の授業をしたり、子どもたちの感性を養うめにプロを招いて芸術鑑賞の授業をしたりと、生身の人間らしい教育にも力を入れている。さらに、子ども同士はもちろん、先生と子どもたちとのコミュニケーションも大事にしていて、校長室にも子どもたちが気軽に遊びに来るとのことだった。

 話を聞きながら、新旧のバランスのいい教育をしていていいなぁ、わたしもこんな小学校に通いたかったなぁ、と感心していたのだが、ある場面に遭遇し、一瞬にしてその思いが消えてしまった。

 取材を終えて校長先生と雑談をしていると、2年生の男の子2人が校長室にやってきた。本当に遊びに来るんだと思っていると、校長先生がニコニコしながら「こっちおいで」と彼らを招き寄せ、わたしの横に立たせた。そして「このまえ習った『いしっころ』を聞かせてあげて」と子どもたちに促した。すると、2人はスッと手を繋いで「せーの」と呼吸を合わせて詩を暗唱し始めた。

 わたしはこの詩を記憶していないので、正確かどうかはわからなかったが、よどみなくツラツラ言葉が出ていて暗唱自体は素晴らしかった。校長先生も「ね、すごいでしょう」と得意げにしていた。そこでわたしは、こんな質問をしてみた。

「ねぇねぇ、そのいしっころってどんな石かな?」

 すると2人は黙り込んでしまった。わたしがもう一度「どんな石だろうね?」と聞くと、子どもたちは「知らなァーい!」と逃げて行ってしまった。校長先生は特に気に留める様子もなく、ずっとニコニコしたままでいる。わたしは、やっぱこの学校に通わなくていいや、と思った。

 『いしっころ』は谷川俊太郎さんの詩だ。

<いしっころ いしっころ
じめんのうえの いしっころ
いつからそこに いるんだい

いしっころ いしっころ
ひとにふまれた いしっころ
ちょっとおこって いるみたい

いしっころ いしっころ
あめにうたれて いしっころ
いつもとちがう あおいいろ

いしっころ いしっころ
おなかのしたは あったかい
むしのあかちゃん うまれてる

いしっころ いしっころ
そらをみあげる いしっころ
なまえをつけて あげようか>

出典:『ぼくはこうやって詩を書いてきた 谷川俊太郎、詩と人生を語る』(谷川俊太郎 山田馨 ナナロク社)

 わたしがこの詩を知ったのは20代の頃だった。本屋でたまたま手に取った本に、この詩が載っていて、その場であれこれと想像をめぐらせた。人に踏んづけられる石っころっていったら砂利かな? 雨に打たれて青くなる石なら宝石かも、ひっくり返したら虫が出てくる石、あるある~! などなど。大人のわたしでもこの程度のことは考えるのだから、子どもならもっとユニークな発想が出てきそうだと期待して「どんな石?」と聞いたのに、逃げられてしまった。

 先述の著書のなかで、谷川俊太郎さんがこんなことを言っている。

<「いしっころ」も、ぼくはもうヒックりしたんですよ。学校の授業で、「いしっころ」をあつかった授業を見たことがあるんです。そしたらね、誰もいしっころを持ってきてないんです。ぼくが先生だったら、絶対子どもたちにいしっころを持ってこさせる、あるいは自分自身がいしっころを持ってくると思うんだけど、全然いしっころなしで、抽象的に「いしっころ」の詩をやってるのね。>

 いしっころを手に取れば、石のことや石を拾った環境のことなんかを調べたり、石を使って工作をしたり、石から始まる物語を作ってみたりと、いろいろな分野の学びへと展開していける。なのに、いしっころなしの授業をするのは、どうしてなんだろうと不思議に思う。わたしは教育関係者ではないし、子育ての経験もないので、そんな奴が知ったふうな口を利くなと言われれば、それはスイマセンと引っ込むしかない。が、谷川さんだって、こう言っている。

<ことばを問題にしてもいいんだけれど、ことばと実体とくっついているわけだから、実体がある場合には、やっぱり実体と一緒にして、ちゃんと見せてほしいと思いますね。>

 いしっころを丸暗記するよりも、いしっころの実体を見たり、触れたり、匂いを嗅いだりしたほうが、頭だけでなく体でも覚えられるはず。学習指導要領や教育のことは、わたしにはよくわからないけれど、「いしっころの石はどんな石?」と聞いたら逃げずに相手をしてくれる子どもに、次は会いたいなと思う。






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