第5話 エグザイルと等速ジョイントブーツ

文字数 2,898文字

 わたしはテレビを持っていない。地デジ化の前までは持っていて、地デジ化の直後にはアナログテレビにチューナーを取り付けて使っていた。が、2、3年でチューナーが壊れたため、買い替えるのが面倒くさくてテレビを捨てた。

 その後、テレビがなくて困ることは特になかった。そもそもわたしは、ティーンエイジャーの頃からほとんどテレビを見ていなかった。中学生のときにAM局のCBCラジオ(中部日本放送)の番組にハマって以来、テレビを見るのは漫才か時代劇をやっている時間帯のみで、それ以外は夕食後から深夜までずっとラジオを聞き続けていた。学生の頃からそんな生活をしていたため、わたしは芸能情報や流行ものなどの大衆文化にかなり疎くなってしまった。

 以前、取引先の編プロから、ワイドショーのコメンテーターをやっている東海地方出身の紳士に取材し、原稿を書いてほしいと頼まれたことがあった。が、紳士の名前を聞いても誰だかわからなかったので、編プロの担当者に、別のライターにやってもらったほうがいいと言って断った。自分のことをまったく知らないライターに取材をされたのでは、取材相手も気分が良くなかろうと思ったのだ。

 ところが編集者は「名古屋では有名な人なんで、顔を見ればわかるから大丈夫ですよ」と気楽に言い、辞退させてくれなかった。それで仕方なく引き受け、しぶしぶ取材に行ったのだが、やっぱり顔を見ても誰だかわからなくて「知らないことがバレて機嫌を損ねたらどうすんの……」とヒヤヒヤしながら取材を終えた。

 自分がどれくらい大衆文化に疎いのか、自分ではよくわからないが、友人知人が芸能人の話をしているとき、あまりの無知ぶりに驚かれることはしばしばある。たとえば2011年の秋に、こんなことがあった。

 ある日、仕事関係の知人4、5人と、高級ホテルが併設されている名古屋駅の商業ビルで昼食を取った。ホテルに「高級」という冠が付くだけでソワソワするような人たちの集まりだったので、せっかくだから食後はホテルのラウンジでお茶をしましょうということになり、お茶が済むと、せっかくだから商業ビルのエレベーターでなくホテルのエレベーターで降りましょうということになった。

 エレベーターに乗り込むと、すでに4人ほどの先客がいた。わたしたちは入るとすぐに隅のほうにまとまり、身を縮めるように立った。その直後、知人の1人が何かを思い出したような表情をして、こんなことを言った。

「そういえば私、ここのエレベーターでエグザイルに会ったことがありますよ」

 知人仲間たちは「えーッ」「すごい!」などと口にし、見知らぬ先客たちも遠慮がちに視線をチラチラと彼女に注いだ。と、ここでわたしがひとこと。

「外国のスポーツ選手ですか?」

 ついさっきまでの驚嘆の声がピタリと止み、全員の視線がわたしに注がれた。見知らぬ先客勢まで、なんの遠慮もなく視線どころか顔を丸ごとこちらに向けている。

「エグザイル知らないんですか?!」

 と知人の誰かがわたしに言った。全員が賛同するようにウンウンと首を縦に振る。

「サッカー選手?」

 そう問うと「違います!」と厳しめに否定された。

「じゃあ野球選手?」

 「いや、スポーツ選手じゃないんですよ」間違いを指摘されたところでエレベーターが1階に着いたので、降りたあと、そういうグループ名の日本人の歌手だということを教えてもらった。2011年の秋の時点でエグザイルを知らないのは、かなり時代に乗り遅れているようだった。

 次にまたどこかで話題になったときのためにと、グループ名を覚えたのだが、その後、話題にのぼる機会はめぐってこなかった。だから、いざこの投稿を書こうという段になって「あれ? エグザイルだったかな、エグザエルだったかな」とネットで確認しなければならない程度まで記憶が薄まっていた。けれども、大衆文化に疎いわたしにとっては、エグザイルが歌手だと知っているだけで御の字なのである。

 大衆文化に疎いのはテレビを見ていなかったせいもあるが、そもそもわたしは、もともと人間にあまり興味がなかった。加えて、ライターになってすぐの頃に、自動車部品メーカーへの取材で“等速ジョイントブーツ”という部品の開発秘話を聞き、感動したのがきっかけで、モノに対する興味が100になり、人間に対する興味がゼロになってしまった。

 今やわたしは、体温がなくて呼吸していなくて血が通っていないモノが大好きになっている。特に、製造工程が難しかったり、精密な加工を要したりするモノほどトキメキを覚える。間違いなく誰もまったくなんの興味もないと思うが、ブロー成形という製造法でつくられた等速ジョイントブーツが、わたしの一番の推しである。

 等速ジョイントは、1982年10月に初版発行の『自動車メカニズム図鑑』(出射忠明 グランプリ出版)のなかで、こう説明されている。

<駆動する側のシャフトと、駆動されるシャフトの角度が大きく変化しても回転力をムラなく伝えられるジョイントを“等速ジョイント”と呼ぶ>

 要するに、エンジンでつくられた力をタイヤに伝える装置で、タイヤのすぐ横っちょにかわいらしく居座っている。わたしの大好きな等速ジョイント“ブーツ”は、そのカバーだ。蛇腹型をしていて、その蛇腹の形状を金型でつくることが至難の技(今はどうか知らないが、わたしが取材したときはそうだった)。廉価に量産できるモノが、実は高い技術でつくられていて、しかも質がすこぶる良いというところにグッと来てしまう。

 わたしの推しはもう一つある。マニュアル車の運転が好きな影響で、ヘリカルギアが大好き。これについては取材をした経験はないが、トランスミッションの構造が知りたくて『クルマのメカニズム』(青山元男 ナツメ社)という本を買ったら、ヘリカルギアに心を奪われてしまった。本は、パワートレイン、エンジン、動力伝達装置といった具合にカテゴリー分けされていて、パーツごとに写真付きで解説がされているのだが、その写真がまた美しいったらないのだ。

 わたしは理系出身ではないから、解説は理解できないことのほうが多いが、この本を購入した当初は、毎日ヘリカルギアの写真を眺めてはウットリしていた。そのときのわたしの様子は、さながらエグザイルの写真集(あるかどうかは知らないが)を眺めてウットリしているファンの人たちのようだったに違いない。

 プライベートでも仕事の場でも、雑談になると、芸能人や流行りものが話題にのぼることが圧倒的に多い。みんなが楽しそうに話している内容を聞いているだけでも楽しくはあるのだが、参加して一緒に盛り上がれないのがちょっと寂しい。とはいえ、等速ジョイントブーツやヘリカルギアの話を振ったって、だーれも付いてこられないし興味がないことはわかっているから、話題にするのを我慢している。

 だけど、今日はここで語ることができたから、ちょっぴり嬉しくて満足している。どさくさに紛れて、最後にもう一度言ってしてしまおう。わたしは等速ジョイントブーツとヘリカルギアをこよなく愛しています。フフッ。



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