30.『刹那』

文字数 2,733文字

昔々あるところ、桃太郎が鬼と間違えて金太郎を袈裟(けさ)斬りした。

金太郎は二度びっくりしたそうな。ひとつ!急に桃太郎に斬られたから。ふたつ!傷口からおびただしい血が吹き出したから。

傷口を押さえど押さえど流れしたたる血、血、血。金太郎は涙した。あぁ、もう、ワレの命もおしまいか。こんなことなら頼りないからって助太刀してくれんかと頼んできた、あのじいさんとばあさんの言うことを聞かんかったらよかった。何が頼りないじゃ。見事な袈裟斬りではないか。絶命寸前じゃ。目の前では目が血走った桃太郎、頭がおかしなったか、まだワレに斬りかかろうとしとる。おそらく、自分がワレと鬼を見間違えてしまったこと、恥ずかしゅうて恥ずかしゅうて仕方ないんじゃろう。あからさまにワレを斬ったあと、一瞬「あ」という間(ま)があった。自分がやってしまったことや今自分に起こってることをうまく処理できるような知恵がないから、現実を見ない見ないモードに自らを押し込んでしまい、頭がおかしゅうなっとるんだろう。いや、頭がおかしゅうなっとるふりをしとると言うべきか。弱いのう、桃太郎。とはいえ、まだ齢(よわい)、十七。仕方なしと言えば仕方なしか。

桃太郎を必死に羽交い締めにしている猿、犬、キジがいなければ、ワレの首はすでに胴の上には乗っていなかったろうな。あぁ感謝だ。最後の最後で動物たちに助けられるとは。しかし、助けられたとて、寿命が数秒、数分伸びたのみ。

とはいえ、最期の最期に来て思ったが、こんなにも頭が鮮明になってくるものなのか。死ぬと人はあの世に行く。だからこの世にはない超越したものがあるのだろう。今までに感じたことのない感覚がワレの中に広がってくる。痛みはある。確かにある。うっ・・・痛みに意識を持っていった瞬間にこの凄まじい痛み。つまりこれ、この感覚がこの世か。しかし、ふとそこから意識を外すと痛みが消えたように頭がすっきりする。するすると雲の上まで行ってしまいそうになる。どうやらもう、片足あの世状態なのだろうな。

しかし、桃太郎や、なぜワレを鬼と間違えた。

鬼たちが宴会する中、隙を見計らって突入しようと岩陰に隠れていた桃太郎たち。おそらく、鬼たちが十分酔っ払い、泥酔千鳥足状態になったところをねらう算段だったのだろう。

ワレが乗った船が鬼ヶ島に上陸した瞬間、たしかにワレと桃太郎は目が合った。その刹那、桃太郎の様子がおかしゅうなった気がした。思い返してみると、目が合ったその時、桃太郎は「あ」という顔をした。まるで隠れてタバコをふかす中坊が先生に見つかった時の「あ、やべ」という、まさにその顔であった。
推察するに、ワレはこの通り、ほぼ全裸で斧一本肩に担いで単独真正面から挑む、正々堂々スタイル。桃太郎は動物を使い、ばあさんがこしらえたほぼほぼすべての傷が癒えてしまうという吉備団子を携えており、多角的かつ綿密に計画された作戦で挑む、ずるがしこスタイル。実際に寝込みを襲おうとしとったのがその証。

おそらくだが、ワレと目を合わせた瞬間、奴は負けたぁぁ!と思ったのだろう。対鬼というか、対ワレというか、なぜ対ワレなのかという話だが、なんというか、人生観?考え方?こう、人間として、生き物として、森羅万象レベルで考えて、ワレに敗北を感じたのであろう。

もうどうでもよくなったのか、目を合わせた次の瞬間、桃太郎は鬼たちの宴会へ突っ込んでいきよった。「ワー」っと言って。どこから声を出したのだとツッコミたくなるくらい、か細い「ワー」。それはもう、もみくちゃだった。もみくちゃ以外の言葉では表せないくらいのもみくちゃ。もちろんワレも加勢して、なんとか勝った。焦って目をつむって投げた斧がたまたま大将鬼の脳天に命中したことが幸いだった。それでほぼほぼの鬼たちが降参したのだ。しかし、桃太郎は許さなかった。膝をつき、手を上げている鬼たちを一人一人斬り倒しよった。顔は見えなかったが、桃太郎の背中から漂う空気はやばかった。近寄れなんだ。近寄るなと物語った背中だったのだ。とうとう最後の鬼を斬り倒した桃太郎は怯えるワレらの方に振り返った。

満面の笑みだった。それはそれは絵に描いたような素敵な笑顔。そして一言「勝ったぁ!」と叫んだ。

犬、猿、キジと抱き合って泣いて喜んだ。ワレはどうしてか、「アホか」と思った。動物たちは主(あるじ)が喜んでいることにホッとしたのか同じように泣いて喜んでいた。もちろんワレも勝って嬉しかったのは間違いない。

「金太郎さんもわざわざこんなところまで来てくれてありがとうございました」

と言われた。「こんなところ」という言葉になぜかひっかかったが、涙を流す桃太郎を見ているとこちらまで泣けてきそうになった。ほんとに良い笑顔をしよるのだ、桃太郎というやつは。

我々は腹が減ったということで、鬼たちの宴会の残り物を拝借した。少し酒も頂いた。一応、鬼たちには手を合わせて。それを習うように桃太郎と動物一同も手を合わせていた。

疲れと酒で眠気があったが、小便をして帰ることにした。立ちションは無礼な気がし、せめてもの礼儀ということで、岩陰に見えていた厠(かわや)へ行って用を済ませた。驚いたのが、厠には大きな、ワレの胴体くらいの太さで腰ぐらいの高さに切られた竹が置いてあり、こちら側に大きく口を開くように斜めに切られており、小便がしやすい形であったことだ。竹の底には穴が空けられていた。上からは紐が垂れ下がっており、その紐を引くと、壁づたいに細い竹の管が釘付けされており、中から水の音がすると思いきや、その管から流れる水が今まさに用を足したそこに流れていきよった。だから、この厠は臭いがしないのかと、目から鱗が落ちた。生きとったら色々学びもあったかもしれんのにのう。

厠から出ると、雨が降ってきていた。帰るにしても、挨拶をしてすぐにとは行くまい。奴らとまた少し酒を酌み交わすことになるだろう。だから奴らのとこに戻る前に、雨で心配になっていた船を見に行くことにした。

船を停めたはずのその場所にはなせが船がなかった。はて。この、ワレの豪腕に似とると思った岩にくくりつけたはずだったが。結びが甘かったか、もしくは少し波が激しくなっとるから、流されてしまったか。

気持ちが少し重くなった。1日弱かかった船旅を、奴らと共に帰らにゃならんのか。あぁ。来なければ良かったと少しだけ思ってしまった。まぁ頭を下げて共に帰るかと、振り返ったとき、つい暗闇で油断をして小石でけつまずいてしまった。右足の小指を思いのほか強く打ちつけており、ずきずき傷んだ。そして、奴らのとこに戻ろうと岩陰から顔を出した瞬間に、ワレは斬られたのだった。

刹那。
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