屈辱

文字数 2,498文字

 監視を始めて今日で16日目だ。相変わらず客は少ないようだ。犯罪者でも可哀想にも思えてきた。
 八木と秋本は例のバーの向かい側のビルの2階の一室を借り、交代で監視していた。署に話すとやはり大反対された。だが八木の経歴を買って特別に許可されたのだ。
 ギィーと玄関の扉の開く音がした。来たか。今日から助っ人に1人、三浦を呼んだのだ。三浦なら彼の考えを理解してくれるのではないかと思い、事情と彼なりの考察を話した。するとやはり賛同してくれたのだった。

「思ってたより古臭いビルなんですね」

 と剥がれかけている壁の一部を触りながら言った。

「高級ホテルを想像してたのなら残念だな」

 笑って返した。

 時刻は23時を超えている。彼も今まで捜査をしていたようだ。

「三浦くんは疲れてるだろう。明日から任せるよ。今日はゆっくり休めばいい」

「ではお言葉に甘えて…」

 彼はそういうとスーツケースから寝袋を取り出した。しはらくすると寝息が静かに聞こえてきた。
 それにしてもどういうことだろう。思っていたより接触が遅いようだ。定期的に話すよう予定されているなら彼女の方から来るだろうし、急遽伝えたければいけないことが起こったなら彼の方から出向くはずだ。だがそんな気配はない。彼女に仲間がいて代わりに来ていることも考え、来店した客を数時間ほど秋本に尾行させている。つまりまだ接触はしていないということになる。
 秋本も目を擦っている。閉店間際なので彼にも睡眠許可を出した。ほとんど店から出てこないところを見れば、店内に彼が生活する空間があるのだろう。まあ細かいことは明日、三浦と考えよう。そう決めて再び窓の外に目を向けた。



 午前7時55分。マスターが店を空ける時間の5分前だ。これで10時間ほど窓の外を見つめていることになる。さすがに目が疲れてきた。乾いているのか、少し痛い。2人を起こし顔を洗いに行った。部屋に戻るとちょうど置時計のアラームが鳴った。開店と閉店の時に鳴るようセットしておいたのだ。
 三浦が

「おはようございます。起こしてもらえれば途中で交代出来ましたよ」

 といいながら時計のボタンを押した。

「今から休ませてもらうよ」

 そういって壁際に座った。だが顔を洗ったからか、あまり眠気はない。それでも目は休めるべきだ。いつ寝られなくなるか分からない。ゆっくり目を閉じた。
 いつまでこうしていたか。三浦に話しかけられ目を開けた。

「開店って8時ですよね?もう30分もオーバーしてますが、遅れることはよくあるんですか?」

 普段通りなら8時ピッタリに現れるはずだ。遅れてもほんの2,3分といったところだ。30分というのはあまりにも遅すぎる。単に寝坊しているだけなのか…?

「もう少し様子を見てみよう」

 俺は落ち着いてそう言った。というより、落ち着いているように見せた。実際は嫌な予感が頭の中を駆け巡っていた。彼は一晩中監視していたが、人の出入りはなかった。彼の身に何かが起こっているとは考えられないはずだ。
 さらに30分が経とうとしていた。誰も言葉を発さなかったため、10倍にも20倍にも長く感じられた。窓から入る隙間風が音をたてている。

「見に行きましょう」

 三浦が先に口を開いた。自分も言おうとしていたので、ゆっくりうなづいた。
 ビルを降り、店のドアの前に立った。外見からは何の異変も感じられない。思い切って扉を開いた。
 彼の嫌な予感は的中した。マスターが倒れていたのだ。倒れる時に壁に並べてあった酒やワインを引っ掛けたのか、かなり散乱している。だが彼が吐血していたことだけは理解できた。
隣で秋本が慌てて救急車を呼んでいたが、俺は頭が真っ白になっていた。



 一定の間隔で水泡が昇っていく。八木がぼんやり見ているのはバーの主人に繋がれている点滴である。あの後、脈を取ったら幸いにもまだ死んでいないことが分かり急いで応急処置など施そうとした。だが外傷がある訳でもなく、毒物を飲んだ様子もなかった。
 医者によると、脳や内蔵の一部に影が見つかったらしい。精密検査を受けると全く想定していなかった事実が露わになった。なんと影の正体は虫だというのだ。いわゆる寄生虫である。しかも寄生虫の中でも厄介な「芽殖孤虫」という種なのだそうだ。ヒトの体内に入ると急速に分裂し身体中に移転していき、最終的に宿主を死に至らしめる性質を持っている。患者が助かったケースは無い。つまり致死率は100%である。

 完全にやられた。浮かれていた自分がバカだった。医者に聞くところによると、寄生されてもすぐに症状が現れる訳ではないという。もっとも、珍しい種類だけに断定は出来ないそうだが。その計算によると、田口真理殺害事件が起きてから少なくとも2週間後までに彼の体内に虫がいたことになる。つまり犯人、俺の予想が確かなら神谷希咲は、彼が目を付けられることを想定し事件後すぐに手を打っていたということか。
 ここまで症状が悪化してしまったら意識が戻ることはない上、仮に戻ったとしても脳に大きなダメージが加わっている為、記憶障害・精神障害が残るそうだ。ここまでのストーリーをあれだけ初期に打ち立てられたのだ、大したものだ。敵ながら関心せざるを得ない。
 秋本はベッドに向かって項垂れている。2週間も密着しても成果かなかったのだから当然だ。一方三浦は何を考えているのだろう。彼は椅子に座って両手を膝の前で組んでいる。目は瞑っているが寝ているわけではなさそうだ。やはり彼も思うところがあるのだろう。
 何にせよ、振り出しに戻った訳だ。だが彼にはある考えがあった。成功すれば神谷希咲が犯人であることを誰でも疑わざるを得ないものだ。だが今は無理だ。体制を整える意味でも、自分の信用を集める意味でも…。俺はため息の混ざった深呼吸した。横目で三浦の横顔が不気味に笑っているように見えたのは気のせいだろう。やはり疲労が溜まっているのかもしれない。俺はビルを引き払いに病院を後にした。
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