敵陣

文字数 1,681文字

 八木(やぎ)は頭を抱えていた。彼の推測によれば、田口真理に殺意を持つ人間は少ないはずだ。
 確かに学校では厄介な存在であっただろう。だがそんな理由で殺害する者がいるとは思えなかった。
となればターゲットは自ずと絞られる。田口充だ。彼への精神的攻撃だとすると充自身の命も補償できない。とするならば、こんな会議を開く前にボディガードを付ける方が優先事項として正しいのではないか…。
 ここで思考が途絶えた。後輩の秋本が肩を叩いてきた。

「事故死なのに会議を開くんですかね〜」

間抜けな面構えをしているが、それは外見だけではないようだ。

「そんな訳ないだろ。今回の事件は事故死じゃない、そう俺は踏んでる。上層部でもそういう意見があったからこうして集められているんだろう」

 八木耕介(こうすけ)は捜査一課に属する刑事だ。敏腕として知られる八木は一課だけではなく二課など他部署でも尊敬する者が多くいる。
 会議は難航することなくスムーズに終えられた。それは八木にとってみれば実に退屈なものだった。彼が既に考察していたものを再度説明されただけであったからだ。

「こんなことならデスクで寝ておけばよかった」

 愚痴をこぼす先輩に秋元は苦笑いしながら答えた。

「まあまあ、小さいながらも捜査本部が設置されることが分かっただけでも収穫ですよ」

確かにその通りだ。会議が開かれた理由が気になるくらい、圧倒的大多数が事故死を唱えていた。もしかすると政治的な圧力に怯えていたのかもしれない。
 だが八木はどうしても気になる点があった。なぜ真理と共にいた2人の友達は何も話さないのか。単なる事故死ならそう言えば済む話だ。だが2人とも事情聴取では固く口を閉ざしたままだった。彼女らだって死に至ってはいないものの、火傷を数箇所に負っている。親が何も話さぬよう言ってあるのだろうか。田口充が政党・政治において大きな権力を持っていることはどうやら保護者の間でも有名な話だったようだ。ならばその可能性も十分有り得る。
 兎にも角にも捜査を進めなければ今の段階では何も断言することはできない。

「お前この後暇か?」

 八木は秋元に尋ねた。

「ええ、予定はないですけど」

「よし、じゃあ高崎中学校に向かうぞ」

 自動販売機を見つけ八木はブラックコーヒーを2本買った。

「先輩は、やっぱり焼死した訳じゃないと?あ、ありがとうございます」

 コーヒーを受け取りながら秋本は答えた。

「ああ、そう思ってる。仮に炎がとどめを刺したとしても、その前に致命傷を負った可能性が高い。もしくは何か人に話せないことがあったんだろう」

喉が潤ったおかげでいつもより流暢に舌が動いている気がする。

「まあ先輩の勘は結構当たりますしね。あ、自分車出しますよ」

 そういうとポケットからキーケースを出し、階段の方へ向かい始めた。エレベーターが故障してくれているおかげで頭の中身を整理する時間ができた。しばらくの間、静寂が2人を支配していた。


 数十分後、2人は保管室に到着していた。まだ焦げた跡が残っている。ただダメージを受けた部屋はここと廊下の一部のみで、復旧も順調に進んでいるようだ。この保管室は現場維持のため、手を加えることは禁止されているが。そして学校は1週間で再開したらしい。落胆している生徒も多いだろう。

「部屋の物のほぼ全てが焼失してますけど、手がかりはありますかね?」

 秋本の声が隣から聞こえてくる。八木は床に顔を近づけ、何やら観察している最中だ。これが殺人事件で犯人がいるとすると、恐らくこのくらいの証拠隠滅はしていて当然だろう。そのくらいは彼にだって分かる。
 だが現場写真だけでは納得できないのが八木耕介という男だ。36という年齢でたくさんの事件を解決に導いてきた。そしてこの八木が、今回の事件の解決は難しいと直感したのである。
 思わずため息が出そうになるのを堪え立ち上がった。

「これ以上は無駄か…」

 そう呟くと背広を翻し車の方へ歩き始めた。
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