第10話

文字数 3,597文字

 更に次の日の朝、僕は目覚めると、即座に身支度をととのえ、出立するべき時間を待ちました。
 机上の壁に掛かった鏡に、治安部隊の制服に身を包んだ、自分の姿が映っていました。今日から僕たちは支給された大人の服を着ることになります。今まで着ていた子どもの服は、もう二度と着ることはないでしょう。そう思うと少し寂しい気がしましたが、新しいノリの効いた制服にそでを通したことで、自然と背筋が伸び、これから本格的に迎える新しい生活に正対する覚悟がととのった気がしました。
 僕は気を許すと、すぐに芽を出し、茂ろうとする弱気の種を払拭するべく、鏡の中の自分をにらみつけ、深く息を吸ってから、まだ時間に余裕はありましたが、エレベーターに乗り込みました。

 次に目を覚ました時、言い知れぬのどの渇きと息苦しさを感じました。いつまでも寝ぼけているような感覚に包まれていました。意識がどうもはっきりとしませんでした。
 干上がったのどを少しでもうるおそうと、つばを呑み込もうとしました。でも、かえって刺すような痛みが、干からびたのどの中ではじけました。その時、ぼやけた意識の中に枯れかけた花が一輪浮かびました。水を、少しでいいからあげて、そうしたらその花は蘇るのに。少しでいいから・・・。
 いくら息を吸っても、淀んだ空気にあたしの肺は満足しませんでした。本能がさらなる酸素を要求していました。静かに少しずつ苦しくなっていきました。
 あたしはここで、このまま死ぬんだ、そう思いました。でも目頭が熱くなるばかりで、もう涙も出てきません。
「イカル、ごめんね・・・」脳裏に、過ぎ去った日のイカルの様々な姿が、次々に浮かんでは消えていきました。あまり言葉に出してはくれませんでしたが、イカルはいつも、あたしに優しかったんです。いつもあたたかくあたしに接してくれました。なのに、あたしはあんなに冷たい態度で接してしまった。あたしが単にイカルの優しさに甘えていただけなのです。バカなあたしへの、これは当然の報いなのです。

 僕は、セントラルホールに到着して、会場の大会堂に向かいました。
 まだ早かったので、歩く人はまばらでしたが、何となく落ち着かない雰囲気が辺りを包み込んでいました。今日ここで、多くの子どもたちが、人生ただ一度きりの大切な節目の日、ハレの日を迎える、そのための仕様に周囲の空気さえなっているようでした。
 子どもたちは大会堂の中で、自分が所属する部署や科ごとに分かれて集合することになっていました。ですので男の子はみんな大会堂の半分を占有する形で集まっていました。残り半分にミサゴを除いた女の子全員が、色とりどりな制服を着て集まっていました。
 女の子たちが集まる様子を、早めに到着した僕は、ずっと見続けていました。特に被服科の制服を着た女の子たちを。でもツグミはいつまで経っても現れません。やがて間もなく式典開始時間になる頃になりましたが、とうとうツグミの姿を見つけることはできませんでした。
 もしかして寝坊でもしているのだろうか?もしかしたらこの式典があること自体忘れているとか・・・ツグミならあり得る話です。こんな大事な式典を忘れるはずがない、と思われるかもしれませんが、彼女は、興味のないこと対しては極端に、行動も思考もにぶくなることがあるのです。そして、人が多く集まって姿勢を正してひとの話を聞かないといけない、この式典のどこにも、彼女が興味を見出せなかった可能性は大いにあります。
 その式典を運営する総務委員によって、集まっている子どもたち百名弱の認識番号と名前が一人ずつ呼ばれました。名前を呼ばれた子どもは大きな声で返事をします。しかし最後の一人まで呼ばれても、ツグミの名前は呼ばれませんでした。
「すいません。一人いません」思わず僕は叫んでいました。
 大会堂にいたすべての人が僕を見ていたと思います。僕は意を決して前に進み出ました。
「ツグミというコがいません。呼ばれていません」
 委員たちはみな顔を見合せていました。そして各自手首に着けた通信機器の画面やタブレットや他の機器で確認していました。その上で一人の委員が僕に言いました。
「ツグミというコはここに来ることにはなっていないよ。これから開式だ。首脳部の皆様もお越しなんだ。後で調べてみるから君は列に戻りなさい」
 そうすることが正しいとは思いながらも、胸中のざわつきが僕を騒がしく急き立てていました。
「来ることになっていないって、そんなはずはないんです。一昨日まで一緒にいたんです。彼女も確かにここに来るはずなんです。もう一度調べてください」
 僕の目の前にいた委員はあからさまに不快な表情をしました。しかし僕もその時だけはそんなことに気圧されるつもりはありませんでした。なぜツグミがいないのかその理由が知りたい。ツグミが今どこにいるのか、それが知りたい。理性を軽く振り切って、そう全身が訴えていました。
「後で調べると言っている。早く列に戻りなさい」
 目の前にいた委員が断固とした口調で言いました。それ以上、口答えするなら分かっているんだろうな、とでも言わんばかりの雰囲気でした。
 トビとノスリが列を出てきて僕のもとに駆け寄り、やめろバカ、早く列に戻れ、と口々に言いながら僕の腕をとって下がらせようとしました。でも僕はその手を振り払って言いました。
「いるはずの人がどうしていないのか、それを知りたいだけです。ここにいるはずの人なんです。なんでいないのか調べてほしいんです。お願いです」
 委員が見る見るうちに激高していくのが分かりました。ノスリとトビが再び僕の腕引こうとしていました。
「まあ、いいではないか」
 奥の壇上から声がしました。会場にいる全員の視線が一気にそちらに向かいました。壇上の横一直線に並ぶ席に、舞台袖から八名の首脳部の方々が移動しているところでした。
「全員、気をつけ、礼」
 あわてて司会を担当する委員の声が響きました。たぶん予想よりも早めのタイミングで首脳部の方々が出てきたのだと思います。首脳部の方々が全員席に着きました。
「詳細は分からぬが、いるはずの者がいないとなると、由々しき問題ではないかね。調べるくらいしてあげなさい」
 この地下都市の立法は、この首脳部の方々が一手に引き受けています。
 首脳部の方々は、お方様の意志に従い、この地下都市を創り、みんなが安心して暮らせるように、都市を機能させ、運営している存在だと言われています。
 その全員で八名いる首脳部の方々を、この地下都市の人々は敬意を込めて、八賢人と呼びたたえていました。
 賢人たちの中で、一番位が高いと目されていたのは一の賢人です。その一の賢人の言葉に委員たちは色めき立ちました。総務委員たちは僕たちの後ろにひかえていた、僕たちを担当した保育委員たちにあわてて確認に行きましたし、数人掛かりで過去のデータを検索したりしていました。
 その間、会場内はざわついていました。事の顛末を知りたい欲求と早く行事を進めてほしいといういら立ちが、子どもたちみんなをじょじょに弛緩させているようでした。 
 間もなく結論が出たようでした。委員の代表が首脳部の集まる壇上に向かっていき、その結論を伝えていました。そして一の賢人が再び声を出しました。
「記録によると君の言う通り、ツグミというコは確かに一昨日まで存在していたことになっている。しかし今、その存在が消えてしまっている。理由は分からない。死んだという記録もない。どこかに行ってしまったという記録もない。大変不思議なことである」
 胸の中のざわつきが、どうしようもなく暴れ出して、思わず口から漏れました。
「ツグミはどこかにいるかもしれないんですね。僕、捜して来ます。いいですか?」
 たぶんその時、僕は有無を言わせぬような顔つきをしていたと思います。周囲に緊張感が走り、しわぶき一つ聞こえませんでした。
「君はこれから式典があるだろう。大人たちで捜すから君は残りなさい」
 別の首脳部の一人が言いました。
「ツグミとはずっと一緒にいたんです。彼女のことはよく知っています。僕が捜した方が見つかりやすいと思います」
 感情があふれ出しそうで必死に抑えつけていました。声も身体も震えていました。今にも走り出したい欲求が全身のすみずみにまで達していました。そんな僕の様子を見て、首脳部の方々は、嘆息してささやき合いました。そして一の賢人がまた口を開きました。
「分かった。君にそのコを捜す許可を出そう」
「ありがとうございます」
 僕は言うと同時に、子どもたちが並ぶ列の間を走っていきました。みんなの視線を浴びていたと思いますが、その時はまったく気になりませんでした。
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