第8話

文字数 4,339文字

 翌朝、僕は身支度をととのえると、自分に関わりがありそうな場所に行ってみました。
 先ず、B1区画のセントラルホールに行きました。そこには翌日行われる式典の会場である大会堂や各種手続きをしてくれる役所等々、いろんな機関のいろんな建物がありました。そのため朝早かったにも関わらずたくさんの人が行き来していました。
 本格的に初めて見る外の世界。僕はちょっと興奮していました。そしてホールの奥にある白く輝く建物、センタービルを見た時、何か身体中に力が湧いてくる気がしました。今ではそれはセンタービルを構成する発光石からの影響だと自分では思いますが、その時は、ただ新しい生活への希望が、僕の身体に満ちた瞬間のように感じられました。とにかく今までにない感覚に、僕の気分が否が応でも高揚していったのを覚えています。
 一通り思いついた場所を回り、行く先がなくなると続いて仲間の部屋を訪問しました。行き方は簡単です。エレベータ―に乗って行きたい相手の名前を言えば連れて行ってくれます。行き先住人の名前を唱えると同時に、相手には何秒後に誰それが到着する旨の連絡がいきます。訪問を迎え入れる気があればそのままでいればよく、訪問を拒絶したい場合は、その旨を言えばエレベーターの扉は開かず、一律に不在として訪問者に伝えられて素通りします。
 エレベータ―は素通りすることなくノスリやトビや他何人かの住居の前で扉を開きました。その後、アトリの部屋に行きました。
 そこでアトリと僕が交わした会話は今でも鮮明に覚えています。内容が衝撃的だったこともありましたが、地上へ行こうとする意志を初めてアトリが僕に対して表明した時でもあったからです。もちろんその内容の全てを一言一句間違いなく覚えている訳ではありませんが、おおよそ以下の通りで間違いないと思います。
 その時、アトリはどうやら一人、部屋の中で読書をしていたようです。それまでも保育棟施設内にある本を片っ端から読んでいた彼ですが、どこかしら大人びていたアトリは、その穏やかな人柄も手伝って、みんなから慕われていました。それが災いして、今までなかなか集中して本の世界に没頭するまとまった時間が得られなかったのだと思います。その時はその反動としてか、ずっと部屋に引きこもって雑多な本の世界に没頭していたようでした。
「読書の邪魔だったかな」
 本当にそうだったとしても、退出するつもりなどありませんでしたが、一応言ってみました。
「いや、朝からずっと本を読んでいたから、ちょうど少し休憩しようと思っていたところだよ。ノミモノでもどうだい」
「ああ、もらうよ」
 飲料として、僕たちにはただのノミモノとただの水が無制限に与えられていました。アトリが壁の一画を開き内部にカップを置き、その横にあるボタンを押すとドロリとした薄茶色のノミモノが注がれました。
 保育棟では、ノミモノは、君たちの身体を維持するためにも、体調管理のためにも飲まなければならないものなんだ、と大人たちから聞かされていました。毎日ちゃんと摂取しないと体組織どうしのつなぎが薄くなって身体がバラバラになってしまう、とも。
「この世界は本当に面白いよ」
 アトリからカップを受け取り、一口飲みました。ほんのり甘い味が口の中に広がります。いつもと変わらない味でした。
「何か新発見があったかい?」
「ああ」そう言ってノミモノを一口飲むアトリの姿は、とても同い年とは思えません。落ち着いた雰囲気を振りまいています。
「地上の事、ケガレの事、お方様の事、俺たちは知らないことだらけだ。分からない事だらけだ。でも本を読んで、さらに色々調べてみると少しだけ分かったよ」
「何がだい?」
 アトリらしい難しい話になりそうだと思って、僕は身構えました。
「大人もみんな、はっきりとは分かっていないってことさ」
 アトリは普段、他の仲間にも、自分の知識や経験に基づく意見や情報を伝えることがよくありましたが、その際には極力相手に合わせて分かりやすく、そして多方面に渡って支障が起きないような言葉で伝えているようでした。でも時折、僕に向かって話す時、そんなフィルターを取り払って話そうとすることがありました。僕の思いすごしかもしれませんが、少なくとも僕の理解力が対応できる範囲外の内容、アトリ自身が情報を分析した結果、得られた結論を自分の言葉で話そうとする時がありました。今もその時だと思って、僕は更に身構えました。
「イカルは、この世界の立法と行政について、どういう仕組みになっているか知っているか?」
 そんなこと勉強の時間に何度も教わったことです。もちろん答えられます。
「知っているよ。お方様の判断されたことを首脳部の皆さんに告げて、その言葉に従って首脳部から執行部である委員会に指示が下され、各委員会ごとに指示に従って実行に移す、ってことだろう」
 アトリはにやりと笑っていました。彼は、自分の知識を披露する場合に少し鼻につく笑い方をすることがあります。こんな笑い方をする時はたいてい、他の子どもたちが知らない情報を仕入れている時で、披露したくてたまらない、けど誰にでも話していい内容ではないし、獲物を捜しているところに、ちょうどいい相手が見つかった、という時でした。
「百点、といいたいことだけど、現実に照らし合わせて見てみると、いいとこ五十点てところかな。残念、落第だ」
「でも、そうやって習っただろ。それ以外にどんな答えがあるって言うんだよ」
 アトリは更にニヤリと笑っていました。いつもの事だったので特に不快に思うことはありませんでした。それよりどんな解答を与えてくれるのか、少し興味を持って耳を傾けていました。
「ブレーンコンピューターって知っているか」
「確か、お方様のお言葉を受け取る通信施設だろ」
「そう、お方様のお言葉や情動、状態を受信、計測して明確な言葉にして首脳部に伝える人口知能だって教わったよな。でも、これは噂の域を超えないんだけど、この地下世界に移住して五年間はちゃんとそのようにお方様の意思をついで伝達をしていた。しかし五年前、お方様にある問題が発生してそれを中断したらしい」
「お方様に問題?いったいどんな?」
 お方様はこの世界の意志であり、この世界の心であり、この世界のすべての源なのです。そのお方様に問題が発生したとしたら、この世界全体の存続に深く関わってきます。
「それは分からない。でも一説には、この地下世界を放棄しようとしたとか」
「そんなバカな。ここを放棄していったいどこに住むっていうんだ?・・・もしかして」
「そう地上に戻ろうとしたんじゃないかな」
「そんなことあり得ない。それじゃ僕たちはどうなるんだ?お方様が僕たちを見捨てる訳がないだろ」
「そりゃそうだな。分からない事が多いから、何とも言えないし、どれも噂の域を超えないんだけど。とにかくお方様に問題が発生したと判断した首脳部が、お方様との通信を断った。そしてそれ以降ブレーンの指示に従ってこの世界を動かしているって言うんだ」
「そんな、じゃ、お方様の意思はまったく反映されていないってことか?」
「噂が本当ならね。まあ、もし本当だとしても、それで特に問題もなく、僕たちも普通に平穏に暮らせているから、何の問題としても表面化してこなかったんだろうね」
 何か釈然としない気持ちを抱えていました。お方様抜きでこの都市の運営が本当にうまくいくのだろうか?そのうち何かひずみのようなものが出てくるのではないだろうか?もちろんアトリの言うことをそのまま鵜呑みにするつもりはありませんでしたが、もし本当なら、この世界の運営が唯一無二として誰もが認める存在によるものではなく、一塊の人工知能の手によるものだとしたら、そう思うと、何か釈然としない、違和感を感じざるを得ませんでした。
「今、そんな首脳部の専横に対抗するべく、秘密裡に組織が作られているらしい」
「組織?」
「お方様の声を受け、お方様の意思によりこの都市を運営させようとする組織らしい。そしてその組織は地上への移住を最終目標にして活動しているらしい」
「そんな、むちゃな」
「むちゃ?なぜそんなことが言える?」
「だって地上ってケガレだらけなんだろう?人間の住むことなんて出来ない場所なんだろう?それに例え移住出来たとしても、大人はいいとして、俺たちはどうなる。地上に行けば溶けてなくなるんだろ?」
「なぜそんなことが言える?見たのか」
「見ちゃいないけど、そんなこと常識だろ」
「常識が正しいなんて考えない方がいい。そんなもの、ただ単に各人の生活の範疇から生じる人々の気分の集合体もしくはどこかの誰かに都合のいいように仕立てられた話にすぎない。人の生活から乖離した事柄を判断する指針には成り得ない」
「そんなこと言ったら、自分の目で見ていないことは何も言えないし、判断することもできないじゃないか」
「だから俺は地上に行く。いつか行く。自分の目で見て、自分で判断する。本当に住めないのか、住むようにするにはどうしたらいいのか」
「おい、でもそれって首脳部が禁止していることじゃないか。捕まるぞ。誰にも知られずにそんなことできる訳がないだろう。そもそも溶けてしまったらそれどころじゃない。この地下都市で充分幸せに暮らせているじゃないか。そんなバカなこと考えるのはやめろ」
「幸せ?こんな穴倉にこもっていることが?知らないってことはある意味幸せなのかもしれないな。でも知ってしまっては更に知りたいと思うものだ。俺は知りたいんだ。地上のことも、この世界のすべてを。だから俺はやる。いつかやる。もちろん一人でやろうなんて思っていない。その組織と連絡を取ることも考えている」
 アトリは言い出したら誰の意見も聞きません。自分の知識にもとづいた自分なりの行動指針を持っているからでしょう。僕は少しうらやましくもあり、親友の危うさを心配もしました。
「俺は、お前の言うことに喜んで同調することはできないな。そこに希望はあるのか?今の話からだと、そのうちお前が失望する顔しか見えてこないぞ」
「希望ならある」
「どこに?ケガレだらけの地上で、どうやって生きていく?ここでだって何不自由なく生活していける。いやむしろ今、地上に移住するよりここのほうがよほど快適なんじゃないか」
「お前も聞いたことがあるだろう。選ばれし方の話を」
 知っていました。でもそれはただのおとぎ話です。何のためかは分かりませんが、お方様が僕たちにお与えくださった、ただの物語です。
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