第15話

文字数 4,459文字

「お前たち地底生まれが、何のために生まれてきたのか、俺が教えてやる。お前たちは、ケガレの襲来に備え、訓練を積み、万が一、ケガレがこの都市に襲撃してきたら、住民のために盾となり、ケガレに対抗する、そのために存在する。けっして楽しい日々を送るためでも、けっして有意義な人生を送るためでもない。お前たちはただの盾だ。命を懸けてこの都市を守る、そのためだけに生まれてきたのだ。だからお前たちはけっして勘違いしてはならない。お前たちが望むべきは、この都市の安寧、そのために力を尽くし、そして命を投げ出せ。そのために喜んで死ね。分かったな」
 それが、僕たちが治安部隊に入隊して、訓練初日に教育長から発せられた訓示でした。
 ほとんどの者が決して望んで入隊したわけではありませんでしたが、どこか仲間たちと一緒に行事をこなしていく、協力して障壁を乗り越えていく、そんなレクリエーション的な訓練を、頭のどこかに期待していたんだと思います。そんな僕たちの、浮ついた思いが、一気に吹き飛ばされた瞬間でした。
 それから僕たちは、C3区画にある広大な射撃演習場と付帯する施設を拠点として、訓練に明け暮れる日々を過ごしました。
 最初のうちは、座学と基礎体力作りが主でしたが、そのうち、格闘術や射撃の訓練や行軍などが行われるようになりました。

 訓練がはじまって、あたしは大忙しでした。あまりにも体力がなかったあたしは、まず体力をつけることで毎日へとへとになって、他のことを考える余裕などありませんでした。でも覚えることもたくさんありました。銃の構造、扱いについて、自分たちが対峙するかもしれないケガレや反社会的勢力のことを詳細に教わり、覚えなければなりませんでした。
 治安部隊での生活は、何か想像とは違いました。特に意識して思い描いていなかったせいでしょうけど、ただ、イカルと一緒にいて、保育棟での日々のように穏やかに過ごすことができると漠然と思いこんでいました。
 つらい訓練も、頭が痛くなる座学の時間も、イカルと一緒にいるために必要だと思ったから、あたしもそれなりに頑張りました。
 実は、治安部隊に女性が入隊したのは、あたしとミサゴが初めてだったらしいです。だから、幹部の人たちも教育係の人たちも、手探りで扱い方を模索していたようです。基本的に男のコたちには除隊は認められていませんでしたが、もしかしたら、あたしたちにはなるべく除隊してほしいのかな、と思う素振りを見せることもありました。周囲のことにかなり鈍感だと自覚しているあたしでも気づくくらいですから、それは間違いのないことなのだと思います。
 私たちは八人ずつ六班に分けられました。その構成は、保育棟内での関係性が考慮されたようで、あたしはイカルと同じ班になることができました。その班の中で、訓練は基本的に二人一組で行われます。あたしはもちろん、イカルと組むことをのぞみましたが、それは認められませんでした。そして無理矢理ミサゴと組まされました。何てことでしょう。あんな筋肉と暴力しか興味がないような人と組まされるなんて。もちろんその理由は、同性だから。でも、みんな騙されています。彼女はただの女の皮をかぶった男でしかないのです。しかもどんな男よりも狂暴な男です。でも、まあ、イカルとは同じ班だし、日中はそれほど離れることもないので、あきらめることにしました。
 イカルは、ハクガンというコと組みを作ることになったようです。大人しい感じの人で、もちろん同じ保育棟の中で二年間一緒に暮らしてきた仲ですが、まったくその存在に気づいてなかった人でした。

 僕たちの班は、僕の他には、ノスリやトビやエナガやイスカ、ツグミやミサゴもいました。保育棟でいつも一緒にいた連中でした。僕含めて七名だったので、後からハクガンが加えられました。
 ハクガンのことはもちろん知っていました。話したこともあります。でも、大人しく目立たない男だったので、それほど仲良く話したことはありませんでした。彼は、とても色白で、身体の線が細く、声も男子の中では比較的高い方でした。だから最初、男なのか女なのか判断できませんでした。ミサゴと並んでいると、お方様がそれぞれの体内に入れる性別の素を取り違えてしまったのではないかと本気で思えるくらいでした。
 訓練の時間では、二人一組になって行うことも多く、基本的に決まった相手と組むことになっていました。その相棒は教官により班内で振り分けられました。僕は、ハクガンと組むことになりました。
 彼は身体が弱く、体力があまりありませんでした。だから体力錬成や格闘訓練の時間は、彼にとって大変重荷のようでした。そのため僕たちは、他の組より、達成度が低く、時間も余計掛かり、毎回目標をかろうじて達成できる程度でした。
「ごめんね。イカル君」ハクガンはよく僕に向かって言いました。
「あやまるなよ。何の問題もないだろ」僕は特に他の組に遅れたり、成績で劣ったり、待たされたりすることを気にしないようにしていました。課題をクリアできていないのなら問題でしょうけど、僕たちは何とかこなせていたので、実際、特に問題にも思っていませんでした。
 ハクガンは最初、僕に向かってあまり話し掛けることはありませんでした。僕もあまりしゃべり掛ける方ではないので、二人の間にはよく沈黙の間がつづくことがありました。でも、次第にハクガンは話すようになりました。他の組に遅れても、成績で劣っても、二人で励まし合って課題を達成していくことに喜びを感じはじめたのか、嬉しそうに話してくれるようになりました。
 大人しい印象が強かった彼が、明るく話す姿を見ていると、僕も楽しくなってきました。
 次第に、僕たちは、訓練の間はもちろんですが、休憩時間や食事の時間も常に一緒にいるようになりました。

 最近、イカルがハクガンというコとばかり一緒にいて、あまりあたしを構ってくれません。とても不愉快です。
 もちろん、訓練時間が終わるごとに、ミサゴの呪縛から逃れて、あたしはイカルを捜します。でも最近、イカルを見つけるごとにハクガンが一緒にいて、イカルと楽しそうに話したり、たまにあたしの到着を待たずに食事をはじめていたりします。イカルの薄情さにも腹が立ちましたが、ハクガンがイカルをあたしから奪ったような気がして、日に日に不快感が募っていきました。
 その不快感が日を追うごとにハクガンのことを嫌いにさせていきます。イカルは当然のようにあたしたちも仲良くなれると思っているようです。でも、あたしはそんなに良い子ではないのです。あたしは、横合いからイカルの興味を奪ったハクガンをどうしても好きになれませんでした。
 もちろん他のイカルの友人たち、アトリやノスリたちもイカルと仲が良いです。でも一定の距離感があります。あたしに遠慮して二人きりにしてくれることもあります。でも、ハクガンには、そんな距離感を調整する気配を感じることがありません。いつもイカルにまとわりついている印象です。
 ハクガンには他の友人たちからは感じられない感覚、奪われてしまう、そんな感覚をどうしても感じてしまいます。だから、彼が嫌いです。もう、本当に、死んでくれればいいのに、ふとそう思ってしまいます・・・

 それは、僕たちの訓練がはじまってから一か月が経った頃のことです。
 その日の出来事を、僕は絶対に一生忘れません。そう断言するくらい衝撃的な出来事でした。
 その数日前からハクガンの顔色がすぐれませんでした。元から色白だったのですが、それでもはっきりと分かるくらいに血の気が薄くなっている印象でした。ただ、それでも体調はそれほど悪いわけでもなかったようで、僕の心配をよそにハクガンは訓練をつづけていました。
 同じ訓練班であるノスリやエナガたちも気になったようで、心配して声を掛けていました。
「何か、色がどんどん薄くなってんな。そのうち消えてしまうんじゃないか。俺たちと同じもの食べて、同じ訓練受けてんのに、何でそんなに肌の色が薄くなってんだろうな」
 エナガは不思議そうに、ハクガンの目の前でそうつぶやいてました。
 そして、その日、僕たちはまたいつものように二人一組で格闘訓練をしていました。
 決まった形の反復練習です。その時は、ハクガンが攻め手、僕が受け手でした。ハクガンが僕を拘束しようと襲い掛かってきます。僕はその手を取り、足をすくって倒します。いつもと同じように。
 仰向けに倒れた瞬間、ハクガンは吐血しました。それも勢いよく。
 瞬間的に、内臓が破裂したか、あばら骨が折れて肺に刺さったか、それとも他の骨か、と思いました。でも、そこは屋外で土の上、倒れたのも足とお尻からでしたから、原因が分からず、ただ驚き、とっさに教官を呼び、ハクガンの横にヒザを着いて、声を掛けることしかできませんでした。

 あたしが気づいた時、ハクガンは全身血だらけになっていました。口から止め処もなく血を吐き出していましたが、身体の他の箇所からも血が出ていたように見えました。
 その上体を抱えながら必死の形相で、その名を呼んでいるイカルの身体も真っ赤に染まっていました。
 あわててノスリやトビたちが駆け寄ります。近くにいた教官も駆け寄ってきます。辺りは騒然となりました。
 あたしは、ただ驚くばかりで、その人たちの姿を、はたから眺めているだけでした。
 やがて、救急車両がやってきて、ハクガンは連れていかれました。あたしはただ、立ち尽くすだけでした。イカルはもちろんかなりショックを受けているでしょう。あたしは声を掛けるべきだったんだと思います。でも、何も、声を掛けることができませんでした。

 僕は取り調べを受けましたが、すぐに事件性は否定され、何のおとがめもなく、ハクガンのことは事故として処理されました。
 ハクガンはそれから何日経っても帰ってきませんでした。何が原因だったのか、ハクガンの容体はどうなのか、誰に訊いても誰も知りませんでした。誰も何も僕に教えてくれませんでした。故意ではないにせよ、罪の意識だけが僕の中に降り積もっていきました。

 あたしが、無意識にしてもハクガンの死を願ってしまったことを、イカルは当然知りません。そんなことを言えば軽蔑されそうで黙っていました。
 そんなひどいことを願って、しかもそれが叶ってしまった。もちろん、少しも嬉しくありません。あたしの胸の内にあるのは、ただ罪悪感、それだけでした。
 あたしはきっと、すごく悪いコなんです。他のコならもっと仲良くなれるように努力をしたでしょう。でも、あたしは努力もせず、勝手に憎んで、勝手にねたんで、勝手に死を願った。
 こんなあたしと、イカルはこれからも一緒にいてくれるのでしょうか。こんな、自分でも好きになれない、あたしなんかと。
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