第7話

文字数 2,899文字

 僕は男の大人の人に、自分の住むべき部屋に案内されました。
 ベットと机とクローゼットがあるきりの狭い部屋でした。そこに住む実感はまだなく、不安が濃く胸の内にありました。だけど自分の部屋ができたと思うと、少し嬉しくも思いました。
 案内してくれた男の人は、この部屋での暮らし方と毎日の過ごし方をほほえみまじりに優しく教えてくれました。もちろんエレベーターの乗り方も必要な各場所に行く方法も教えてくれました。分かりづらそうなことは紙に書いて渡してもくれました。お蔭で新生活に向けた不安はあらかた払拭された気がしました。最後に男の人は僕の目をジッと見ながら言いました。
「君の身体はお方様からいただいた、とっても大事ものなんだ。だから少しでも体調がすぐれないと思ったら、すぐに病院に行くんだよ。さっきも言ったけれどエレベーターに乗って病院って言ったら、移動の間に君の悪いところをちゃんとスキャンして、即座に一番適した病院の一番適した科に連れてってくれるから。遠慮なく行くんだよ」
 男の人は軽く僕の肩を叩きました。
「はい、分かりました」
「君の未来が幸福に包まれたものであるように祈っている。新生活を楽しみな」
「はい、ありがとうございました」
 男の人がエレベーターに乗り込み、扉が閉まった後、僕は一人部屋に戻りました。殺風景な部屋、今までいつでも、何をする時でも、仲間がいたけれど、これから一人暮らしがはじまります。少しだけ胸がしめつけられた気がしました。
 明日は、新しい部屋に慣れるためでしょう、一日休息日が設けられていました。明後日の朝、全員がB1区画の公会堂に集合するように言われていました。そこで改めて、各人これからどのような生活を送らなければならないか、通達があるようでした。
「あいつの部屋、どこら辺だろう」
 ツグミのほほえみが脳裏によみがえっていました。普段、当然ようにすぐそばにあるほほえみでした。最近は何か不機嫌そうでしたが、その理由も訊かないままに離れてしまいました。どうせ一緒に治安部隊に入隊できないことが、原因だと思います。もちろん生活の場が変われば、今までのように、つねに一緒にいることはできないでしょうし、互いに会うという意思がないと、なかなか会えなくなるのかもしれません。でも、その時の僕は、不思議とあまりその点に関しての不安はありませんでした。きっと僕たちは大丈夫、そう根拠のない自信がありました。考えている訳でも、思っている訳でもなく、ただそう感じていました。とにかく明後日会えるだろうし、その時、少しこれからのことについて話そう、そう思いながら少ししかない荷物を片付けて、何をすることもないので、その夜は早々に眠りにつきました。

 あたしと一緒に残っていた最後の一人に迎えがきました。
 若い女性でした。あたしに笑い掛けながら、
「もうすぐ迎えがくるから、ちょっと待っててね」と言った後、自分の連れていくべき女の子を連れて、エレベーター乗降口の中に入っていきました。
 それから少しの間、おとなしく座って待っていました。どんな人が迎えにくるんだろう。みんな男の子には男の人、女の子には女の人という風に同性のお迎えがきていました。だからあたしにも若くてきれいな女の人が迎えにくるはず、そんなことを考えながら。
 どれだけ待ったことでしょう。誰もいなくなった大広間の中で、あたしはなるべく明るく見つけやすい場所に移動して待っていました。時々、首を巡らせてエレベーターホールに視線を向けてみます。迎えはそこからしか来ません。エレベーターホールは大広間のすぐ横にありました。いつもは間の扉が閉まっていて中の様子を見ることはできなかったのですが、今日はずっと開け放たれていました。
 何度エレベーター乗降口を見てみても、迎えが来る様子はありません。それどころかエレベーターが動いている気配さえありませんでした。
 心細かったです。この大部屋はいつも子どもたちでいっぱいでこんなに静かなことなど初めてでした。それに久しぶりの一人。最近はどんな時もイカルがそばにいました。イカルがどこかに一人で行ったとしても、必ず自分の所に戻ってきてくれる、という確信がありましたから、つまらない思いはありましたが、寂しい訳ではありませんでした。でも今、イカルはいません。また、あたしはひとりぼっちになってしまうのではないか、という不安がじわりじわりと全身に染み込んでくるように思われました。
 別れ際に話し掛けることもできなかった。最後にちゃんと話をするべきだったのに。濃く淀んだ後悔。こんな思いを抱く羽目になったのも、イカルが悪い訳でもないのに、意固地になって不機嫌になっていたあたしが悪いのです。
 本当に、あたしは、こんなあたしが嫌いです。
 言い知れぬ不安はあたしの体内だけではなく、背後にあって更にあたしを包み込もうと周囲に集まりはじめている気がしました。早く迎えがきてほしい、祈るような気持ちであたしは待ち続けました。
 だけど、どれだけ待っても誰も迎えにきませんでした。胸の中にゴソゴソと心細さが動き回っている。どんどんその数を増やしていくばかりでした。忘れられてる?あたしは立ち上がり、エレベーターホールまで歩いて乗降口に向かって声を出しました。
「誰か、誰か、いませんか・・・誰か」
 応えはありません。その気配すらありません。
「誰かーっ!あたし、まだ、ここに、いるよ」
 腹の底から叫びました。そのとたん、エレベーターホールと大広間の間の扉が静かに閉まり、すぐに灯りが消えました。今まで聞こえていた機械音がすべて止まりました。驚いて周囲を見回す自分の動きから生じる音がやけに大きく聞こえました。自分以外には何も音を発するものがないのです。純度の高い無音。心細さが急速にふくらんでいきました。体の隅々に、その先の先まで冷たい孤独が染み込んでいく感じでした。
 この施設は一定時間、人がいなければ自動的に照明や空調設備などの電源が切れる設定になっていました。でも、子どもでも誰かがいれば切れることはないはずでした。だから混乱しました。あたしがここにいるのに?何かの間違い?誰か気づいてくれるの?迎えはこないの?とにかく混乱していました。
 あたしは暗闇の中、手探りで乗降口の扉を捜しました。少しずつ前進していると宙を探っていた指先が壁と扉の間の境目を探し当てました。
「誰か、誰かーっ!」
 あたしは声の限りに叫びました。叫び続けました。手で扉を打ち続けました。何度も何度も、何度も何度も。でも何の応答もありませんでした。
 やがて手は痛み、声は枯れました。
 どれだけ時間が経ったのでしょう。時計を見ることもできない暗闇の中でははっきりと分かりませんでした。でもあたしがいないことに誰かが気づいて捜しにくるには充分なほどの時間が経っているように思われました。
 もう泣くしかありませんでした。自分が哀れで泣きました。そして泣きつかれて、いつしか眠りに落ちました。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み