第18話

文字数 4,881文字

 それから少しして、僕は地上へ行くことになりました。
 もう、この地下都市には暮らせなくなったのです。
 その短い期間の中で、いろんなことがありました。
 かつてない大地震に襲われ、頭上をおおう岩石が崩落し、多くの死傷者が出ました。そして、それまで地下世界にいなかったケガレが襲来し、対抗した兵士の多くが命を落としました。
 僕も、ケガレに襲われて、生死の境をさまよいました。
 その間のことはほとんど記憶にありません。だから詳細につきましては他の方に委ねたいと思います。
 とにかく僕は地上へ行きます。
 地上へ行く前に、僕は思い出深い場所を一通り回ってみることにしました。保育棟やセントラルホールや仲間たちの部屋等々。最後に治安部隊本部に行きました。
 治安部隊に入隊して、訓練はきつかったのですが、やはり仲間がいて、やりがいもあって、楽しいことばかりではありませんでしたが、おおむね楽しい日々でした。
 いくつかの部屋を回った後、二階の倉庫にたどり着きました。仲間たちとともによく整理をさせられた思い出がよみがえります。ここには、資料や押収品などが納められています。その一つ一つを何気なく眺めていました。その中に、一本々々密封された人の指の束が無造作に置かれていました。
 指?当然の如く僕は驚きました。何時の間に、なぜ、こんなところに納められたのでしょう。
 その指は小さく、細く、子どもの指のように見えました。各個密封されているせいか、腐ってはおらず、形状も保てているようです。
 僕は先日のアトリの話を思い出して、その指の入ったパックを開封しました。少しにおってみましたが、特に腐臭はしませんでした。やはり腐ってはいないようです。
 その小さな指を両手で持ち、第二関節から折り曲げました。くきっ、という音がして指は折れ曲がりました。つづけて指先を時計回りに回しました。すると、その指の根元から、光が発せられ、壁に向かって投影されました。
 漆喰の白い壁に、アトリの姿が映し出されました。そしてその声も。

『二月二十二日 午後六時。定時日報です』

 薄暗い部屋の中で、アトリが一人で、こちらに向かって座っています。そして抑えた声で話しかけています。

『本日は、工場研修三日目でした。ようやくすべての工程を見終えることができました。かなり複雑かつ緻密な工程で、自分たちの身体がこうしてできたのだと思うと、少し光栄に思いたくなるくらいの叡智の結晶でした。また、この都市で亡くなった方の遺体処理の仕方も今日初めて知りました。ご存じの方も多いとは思いますが、遺体はすべてE地区の工場にいる大ミミズが処理しています。大ミミズの飼育されている水槽の中に遺体を納めると、一瞬にして跡形もなく処理されます。そうやって大ミミズを大きく成長させたところで、ペースト状にして各種アミノ酸と組み合わせて作られるのが、僕たち“地底生まれ”です。・・・この資源の乏しい地下世界ならではの循環利用ですね・・・・』

 一指に一か月分の日報が収められているようです。僕は一本分を見終えてすぐに二本目の指を折り、時計回りに回しました。

『三月二十日 午後六時。定時日報です。
今日も地上連絡通路の開削作業に一日費やしました。溶解液と掘削機があるとは言え、かなり危険な重労働です。みんな疲弊しています。でも念願の地上まであともう少しです。きっとやり遂げます。それから今日、選ばれし方様探索計画の遂行者が決まりました。僕とヒガラとタシギの三人です。先日から報告している通り、セキレイ先生も行きたがっていましたが、結論としてやはり最初は僕たち“地底生まれ”が行くことになりました。もちろん誰かが僕たちを指名した訳ではありません。でも、何があるか分からない、きっと生存が難しい地上には、まず試しに僕たちが行くのが都合がいい、それは誰もが思っていたと思います。僕たちは人に造られた人なんです。足りなくなればまた造ればいい、それだけのことです。もちろん、地上行きを僕は望んでいました。だから最初から立候補するつもりでした。でも結果としてヒガラとタシギを巻き込んでしまいました。それが良かったのか、悪かったのか。きっと地上から帰ってきたら分かるのでしょうね。帰ってくることができたなら・・・』

 僕は、最後に残った、もう一本の指を折りました。

『四月三日午後六時。定時日報です。
 明日、僕たちは地上へ選ばれし方様の捜索に行ってきます。
 この日報ももしかしたら最後かもしれません。だから、本当の僕の思いを記録しておこうと思います。
 今、部屋の中には僕一人です。やっと他の人がいなくなりました。だから遠慮なく話をしようと思います。
 僕たち“地底生まれ”は、地上に出たら溶けて消えてしまうと教えられてきました。地上を経験したことのない僕たちは、その空気や気圧に耐えられず体組織が崩壊するなんて教えられてきました。・・・そんな訳ないですよね。首脳部の奴らが、地上へ行こうという気を起こさせないために吐いた稚拙なデマです。そんなことに僕は騙されない。でも物心つくころからそう言われつづけて、恐れが僕たちの中には染みついています。正直言って、今も一抹の恐怖心が残っています。でも僕は行かなくてはならないんです。
 工場研修をした時、ドクターカラカラが教えてくれました。僕たちがどうやって生まれてきたのか、そして僕たちに残された時間も。僕たちの身体は間もなく分解してしまうかもしれない。その可能性が高い、とドクターは言っていました。保育棟を出てから僕たちの何人かが突然死しました。その全員が、内臓が分解していたそうです。個人差があるけれど遅かれ早かれ僕たちはそんな風に突然死を迎える可能性があるそうです。
 僕たちの身体は、発光石の霊力とケガレのエキスによって一部成り立っているそうです。主に発光石の霊力は僕たちの精神、ケガレは肉体を構成する細胞一つ一つのつなぎになっているそうです。
 ドクターの話は、僕にはまだ難しくて理解しきれていない箇所もたくさんありますが、おおむねそんな感じで間違いないと思います。
 そして、僕たちの身体からは少しずつですが、日々ケガレエキスが流出しているらしいのです。この地下世界にはケガレが極端に少ない。だから外部から摂取できずに減ってしまう一方らしいのです。
 だから僕たちの身体は間もなく、そのつなぎが弱くなり、分裂してしまうかもしれない、と言われていました。
 その話を聞いて、昔、保育棟で僕たち子どもがケガレを体内に注入されたことを思い出しました。なぜ、そんなことをしたのか、それまで不明だったのですが、おそらく目減りしていく体内のケガレエキスを補填するために行われたのでしょう。
 でも、それも意味がなかったようです。僕たちの体内のケガレエキスは増えることはなく減っていく一方でした。なぜなのか、それは現時点では、ドクターにも誰にも分らないそうです。
 ただ、ドクターによると、おそらくこの地下世界は無菌状態に近い。だからケガレエキスが空気中に拡散されてしまう。地上に出ることができれば、それが解消されるかもしれない、そういう話でした。
 やはり、僕は地上に行かなくてはいけないようです。
 これが僕の命に課せられた使命なのでしょう。これが僕の運命なのでしょうね。
 僕には大切な友達がいます。地底生まれの大切な仲間がいます。
 僕が地上に行かないと、いずれ、彼らは、死んでしまう。
 だから、僕は行ってきます。これは僕にしかできないことです。
 もう、アントのみんなとは別れを済ませました。もう、覚悟はできています』
 
 少しの間、アトリは目をつぶり、黙っていました。胸が詰まるような少しの時間が流れていきました。

『生まれてもう、五年が経ちました。いろんなことを知ることができました。まだまだ知りたいことがたくさんあったけれど、また生まれ変わった時にゆっくりと学びたいですね。たくさんの友だちや仲間に恵まれて、楽しかった。いろんな話を飽きることもなく笑いながら話した。彼らがこれからも元気に、生きてくれたら、嬉しい。彼らが笑って地上で生活できるようになれば嬉しい・・・』

 再び、アトリが目をつぶり、少しの間があきました。やがて開いたアトリの目が少し潤んでいるように見えました。

『はぁ・・・、もうきちんと別れを済ませたのに、覚悟を決めたはずだったのに・・・

 困ったな・・・まだ、死にたくない・・・

 ・・・すみません。今のは聞かなかったことに、してください。・・・大丈夫です。僕は皆さんの期待に応えます。・・・では、行ってきます』

 視界がぼやけていました。目が潤んでうまくアトリの姿を見ることができませんでした。僕は生まれて初めて涙が頬を伝う感覚を知りました。とても、へんな感覚でした。

 アトリたちが地上に行き、証明してくれたお蔭で僕たち、地底生まれも地上に行っても死なないことが分かりました。彼らの行為は偉業として称えられ、尊崇されるべきものです。彼らは命を懸けてみんなのために、この世界のために偉業を成し遂げたのです。・・・でも・・・
 僕は、そんなことより、アトリが、そばにいてくれることの方が、大切でした・・・

 親友の死や、仲間の死、そして自分が生死の境をさまよったことで、僕は命というものがどういうものか、何となく分かった気がします。
 でも、ここでそれがどういうものか、言ってもしょうがない気がします。
 それはたぶん、各人がそれぞれ自分で気づくべき事柄なのだと思います。
 ただ、命がどういうものか分かったところで、何が変わるという訳でもありませんし、それで自分が何か変わった気もしません。ただ、生きるということと死ぬということに対する不安が、少し和らいだ気がします。
 死ぬことは恐れるべきことじゃない、とも思えました。その時までの時間を、ただ懸命に生きればいい、その覚悟が備わった、そんな気がします。
 これから僕たちは地上に行きます。その新天地で新しい生活がはじまります。困難なこともたくさんあると思います。悩むことも苦しむこともあるかと思います。でも僕たちは今から見ることができます。アトリや多くの仲間たちが見ることができなかった、空を。
 どんなに広く、どんなに大きいのか、見上げるのが今から楽しみです。
 その空の下で僕たちは、これからも、ずっと、やっぱり、生きていきます。

 そろそろ迎えが来たようです。あの足音はたぶんツグミです。
「イカル、もう、みんな行くって言ってるわよ」
 ほら、やっぱり。
 ツグミは最近よく笑うようになりました。周囲に対する緊張感も和らいだように思います。そんな朗らかな彼女を見て、僕は今、幸せを感じています。
「分かった。行こうか」
 僕の身体は今、すごく軽く感じられます。本当に空も飛べるくらいに。
 では、行ってきます。
「ねえ、地上でのあたしたちの住まいのことだけど・・・」
「住まいって、俺たちには宿舎があてがわれる予定だろ。もちろん男女別で」
「それは分かっているけど、あたしたちの宿舎、距離がとても離れているじゃない。だから、どうにかして一緒に住むことができないかって考えてみたの」
「え?何考えているんだ。もう決まったことだろ」
「あたしね、この前、すごく頑張ったじゃない。お方様のために、この世界のために。だから、お方様に頼んだら、どうにかしてくれるんじゃないかと思うの。ねえ、いいでしょ」
「バカなことを言うな。そんなことでお方様の手をわずらわすんじゃない」
「えーー、でもそのくらいのわがまま、聞いてもらえるくらいあたし頑張ったじゃない。だからいいでしょ。ちょっと、待ってよ、イカル。ねえ、いいでしょ、ねえったら、イカル、ねえ・・・・・・・
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